冴羽獠とキャッツアイ3姉妹の関係性をご存じですか?
今回は、漫画家/北条司先生の作品について少し書いてみたい。
北条先生といえば、まず思い浮かぶのが「シティーハンター」と「キャッツアイ」だろう。
ちなみに、先生にとっては連載1発目が「キャッツアイ」であり、2発目が「シティーハンター」である。
2発続けてヒットというのは、なかなか大したものである。
・・そういえば、今秋には「キャッツアイ」がリメイクされるらしいぞ?

なんか、3姉妹の顔が昔と違う・・(泣)
このキャラデザインを見て、私はリメイク版「キャッツアイ」の爆死を確信しましたけどね。
初代アニメのキャラデザを見てくれ↓↓

・・いや、こうして改めて見てみると、初代のキャラデザも案外大したこと無かったですね(笑)。
でもこれ、レジェンド/杉野昭夫さんのデザインですから。
ちなみに、杉野さんが外れた2期はもっと酷いこと↓↓になります。

ちなみに、原作はこれです↓↓

北条先生って、新人の頃からかなり画力が高かったと思う。
さらにいうと、ちょっとオシャレだし。
最近改めて昭和版の「キャッツアイ」を見てみたんだが、やっぱ杏里さんの唄うオープニングがイイですね~!


こういうオシャレな感じのOPって、80年代はまだ少なかったんですよ。
おまけにEDも杏里さんで、ここでもまた3姉妹のレオタード姿を堪能できる感じ。

とにかく昭和生まれの男子はレオタードが大好物なんですよ。
「タッチ」の南ちゃんだってそうだろ?

多分、こういうレオタードブームは「フラッシュダンス」から始まってると思う。


正直、それまでの漫画/アニメは、こういう時代の空気とは全く別のところで成立してたという趣きがあったが、「キャッツアイ」あたりから<時代>を乗せてくる方向性が明らかに見えてきた。
だから続く「シティーハンター」でも、OPが小比類巻かおるさんですわ。

この空気感↑↑、ご理解いただけます?
「いかにも80年代!」という感じの薄っぺらいオシャレさ(笑)。
ぶっちゃけ、少年ジャンプの当時の読者層は小中学生だったし、小中学生はどっちかというと、こういう流行とか世俗とかに割と無頓着だよね?
そういう意味では、「キャッツアイ」や「シティーハンター」はそれよりも少し上の世代にズレた感があり(というか、北条先生自身はハードボイルドをやりたかったらしい)、正直、読者アンケートでは結構苦戦を強いられていたらしいんだわ。
そのテコ入れとして、たとえば冴羽獠の「もっこり」が導入されたらしく、でも先生の「もっこり」は明らかに漫画表現として少しおかしいんですよ。

普通、漫画のセオリーではこういうギャグ表現をする際には、キャラ自体をデフォルメして「もっこり」表現をすると思うんだ。
でも北条先生はなぜか局部のみをデフォルメし、それ以外は通常通りの作画バランスで描いてるんだよね。
こういうパターンは、香のハンマー表現でも同様。

ハンマーのみがデフォルメ表現され、他は一切デフォルメされていない。
つまり先生の最大の特徴は、たとえギャグシーンであってもキャラの頭身を一切イジらないところにあるんです。
だから改めて見ると、ちょっと違和感があったりして・・↓↓

ちなみに北条先生の弟子には井上雄彦先生がいるんだが、井上先生はリアルとデフォルメをきちんと使い分けてるよね?


だが、ごくたまにリアル作画のままギャグをかます時があるから、その時は「ここ、笑っていいのかな・・」と一瞬戸惑う時もあります。

おそらく、北条先生が敢えて頭身をイジらないのは「そこを崩すとギャグにとめどなく流れる」とし、どうしてもここだけは守っておくべき矜持だったんだと思う。
先生は、意外と作家性が強い人なんですよ。
実際、80年代当時の漫画家はアニメ化に対して誰もが「全てお任せします」というスタンスだったのに対し、北条先生だけはきっちり<監修>をしてたというんだから。
たとえばアニオリ脚本だろうと、それは北条先生の原案がモトになっていたという。
そんな生真面目な漫画家って、80年代には他にいなかったぞ?
後に弟子の井上先生が「THE FIRST SLAM DUNK」を自ら監督したの見て「あぁ、受け継がれている北条イズム・・」と正直思いましたね(笑)。
・・で、こういう北条先生の生真面目さ、作家性の強さが時にジャンプの「商業主義」とウマが合わない、というニュアンスが見てとれるんですよ。
たとえば、最も分かりやすいところで
皆さんは「キャッツアイ」最終回に2パターンあるのをご存じですか?
①ジャンプ連載上の最終回

②後に読み切りで発表された最終回(トゥルーエンド)

公式にも、②が真の最終話です。
でもこれには賛否両論あり、
「①のままで終わっとけばよかったやないか!」
「これは完全に蛇足だ!」
という声が実は多かったんです。
・・いや、もちろん一方で「これでいい」とする声もありましたけど。
じゃ、なぜこういう賛否両論になったのかというと、早い話が、②は純粋な形のハッピーエンドとはいえず(いやぁ、私はハッピーエンドだと思いますけど?)、少しビターエンドに近い締め方なんですよね。
②では、ヒロインの瞳が過去の記憶を全て失う病気になってて、しかも彼女の記憶が戻らないまま物語は終わるんです・・

こういう読者を裏切る展開は「シティーハンター」でも同じで、この作品の続編「エンジェルハート」がまさにそうだと思う。

この「エンジェルハート」は、皆さんも既にご存じでしょうけど
あの香が、交通事故で死亡した後というところから物語が始まります・・

もちろん、この展開には「シティーハンター」ファンが大激怒し、北条先生も「本作は『シティーハンター』のパラレルワールドという設定の物語です(つまりモトの世界では香は生きてる)」と取り急ぎアナウンスしたわけだが、まぁ、これもファン用/商業用の詭弁ですよね(笑)。
ぶっちゃけ、北条先生の中で「エンジェルハート」は「シティーハンター」の正統続編だろうし、つまり、どうあれ香が死んだ事実は動かないんですよ。
でも、皆さんは不思議に感じませんか?
なぜ北条先生は、瞳の記憶喪失、香の事故死という「既存ファンが見たくないもの」を敢えて突きつけてくるのか、と。

いや、私が思うに、これが北条先生の<本来の作家性>なんですよ。
この人、もともとやりたかったのは「ハードボイルド」ですからね?
「もっこり」だの何だのはジャンプ用に施した商業的オプションにすぎず、別に彼自身がやりたかったことではない。

そして、ハードボイルドの作劇にはひとつ大事な鉄則があることを皆さんはご存じですか?
それが、これなんですけどね↓↓
罪を犯した者は、罰を受けなくてはならない

つまり、
・怪盗という道に外れた行為をしてきた3姉妹が「普通の幸福」を手にするのは鉄則に反する
・殺し屋という道を外れた行為をしてきた冴羽が「普通の幸福」を手にするのは鉄則に反する
ということさ。
ハードボイルドの世界は、原則「因果応報」。
人をさんざん殺してきたような奴が、普通に幸せになってはいかん。
でも、ジャンプ理論はそこと真っ向から対立するのよ。
「何言ってんの?ウチの鉄則は1点のみ、
読者が求めるものを見せればいいんです」

うむ、こんなジャンプ理論に甘やかされて育ってきた我々は、ついつい北条先生のような生真面目な作家性にアレルギー反応が出ちゃうんだよね(笑)。
・・だけどさ、今になって理解できることだが、北条先生、決して間違ってなかったと思うわ。
その検証として、皆さんにも「シティーハンター」と「エンジェルハート」を一度見比べてみてほしい。
果たして、どっちの方がしっくりくるか?
いやね、オッサンになった今の私が見ると、「エンジェルハート」の哀愁の方が断然ココロに刺さるんですよ・・

逆に「シティーハンター」は今見ると、バブル臭がきつくて正直辛いですね。
なお、「エンジェルハート」は集英社からではなく、コアミックス(新潮社)から出版されています。
このコアミックスというのは北条先生が、原哲夫先生、次原隆二先生、声優の神谷明さん(ケンシロウや冴羽獠の人)、ジャンプ5代目編集長/堀江信彦さんらと共同で立ち上げた会社で、じゃこのメンバーが一体何なのかというと、早い話、「ジャンプ内の権力闘争に敗れた側の勢力」なんですよ(笑)。
負けた側がみんな集英社を飛び出して、自分たちで新興の出版社を作ったんだね。
このへんの話は詳しく語ると長くなるので、また別の機会にでも・・。
とにかく「エンジェルハート」は、北条先生にとって「少年ジャンプを出たことでようやく描けた自分の描きたかったもの」というニュアンスがあり、あまり商業的じゃない分、なかなか味がありますね。

・・とはいえ、これも結構売れてるんですよ。
「キャッツアイ」発行部数2000万部
「シティーハンター」発行部数5000万部
「エンジェルハート」発行部数2500万部
・・3つとも全部売れとるやないか!

で、これは2023年公開された「シティーハンター」劇場版最新作「天使の涙」。
実は、ここで冴羽遼とキャッツアイの共演があるんです。
映画冒頭でいきなりキャッツアイ登場ww

私もこの映画で初めて知ったが、海坊主が働いてる喫茶店「キャッツアイ」は、どうやら3姉妹の拠点だった例の喫茶店と同一の店舗だったらしくて、
つまり海坊主にとっての3姉妹は「オーナー」という関係みたいですね。


思ったより奥が深い、「シティーハンター/キャッツアイ」の世界観。

この分でいくと、今秋リリースの新「キャッツアイ」でもそういうギミックがあるかもしれんし、一応チェックしとくに越したことはないと思う。


