かつて同期トップだった男が、10年後、第二新卒レベルの仕事しかできないアラフォーフリーランスになってしまった話——一度逃げると逃げ続ける行動パターンについて
かつて、ヒーローのように輝いた男がいた。
ここでは仮に「Aさん」と呼ぶことにする。
私がAさんと一緒に働いたのは5年前。
第一印象は、とにかく「優秀で頼れる人」だった。
立ち居振る舞いはスマートで、人当たりも柔らかい。会議では落ち着いて発言し、周囲に安心感を与えていた。頭の回転も早く、資料も的確。
「この人はチームを引っ張る存在になるだろう」
誰もがそう思った。私も例外ではなかった。
だがその印象は、ある仕事を任せたときに一変した。
それは、決して彼の能力では不可能ではない、少し背伸びすればできるレベルのタスクだった。
しかしAさんは、ある時点から突然「これは自分の責任ではない」と言い出し、最終的にフェードアウトしてしまったのだ。
処理能力やコミュニケーション能力の高さからは想像できなかった行動だった。
「まるで第二新卒みたいだな」
そういう印象だけが、強く残った。
Aさんを知るもう一人の証言者
数年後のある日。偶然、Aさんと10年前に同期として働いていたというBさんと話す機会があった。
Bさんの話は、私の記憶と重なる部分が多かった。
「当時、Aは同期の中でも頭ひとつ抜けていたよ。正直、優秀だと思ってた。だからリーダーを任されたときも、“やっと来たか”くらいの感じだった」
ところが、リーダーになって以降、状況は変わっていった。
上司に未達の説明をしなければならない場面や、責任を問われる場面が増えると、Aさんは急速に気持ちを失っていった。
そして、最終的には退職を選んだ。
「彼は、あの瞬間から止まってしまったんだと思う」
Bさんはそう言った。
10年後に再会して見たもの
Bさんはその後、その会社でマネージャーになり、さらに転職してキャリアを積んだ。
一方のAさんはフリーランスとして職を転々とするようになった。
(私が仕事をしたのは、Aさんがフリーランスをやっていたときだ。)
そして数年後、偶然にも二人は同じプロジェクトで再会する。
Bさんは驚いた。
「10年前と、まったく変わっていなかった」
相変わらず、難易度の高い仕事や説明責任を伴う場面になると、理由を語らず、フェードアウトしてしまう。
話を聞く限り、新人の頃と同じ姿。私が5年前に見た姿と、まるで同じようだった。
「職務経歴書の行だけは増えているのに、中身は何も変わっていなかった」
Bさんはそう呟いた。
つまりAさんは、この10年間、成長が止まったままだったのだ。
成長が止まる瞬間
私はAさんと1on1で話した日のことを思い出す。
会議で説明を求められたとき、Aさんはうまく答えられず、沈黙が流れた。
その日の午後、彼は深いため息をつきながら言った。
「……あの会議って意味あるんですか?作業の時間が削られるんでストレスです」
言わんとすることはわかるが、最低限業務の説明責任を果たす場は必要だ。
とはいえ、そのときは業務効率を上げたい意思の現れかな、会議もうまく活用すればプロジェクトの進行効率は良くなるのにな、ぐらいにしか私は思っていなかった。
しかし、今振り返ると、あの日がAさんにとって「挑戦をやめる準備」の始まりだったのかもしれない。
以降、彼の口癖は少しずつ変わっていった。
「やってみます」 → 「様子を見てからにします」
「頑張ります」 → 「それって本当に僕がやるべきですか?」
そして「無理です。」「できません。」が増え、
徐々に、会議へ理由を付けて欠席することが増え、説明責任を果たさなくてはならない場ではほとんど彼の姿を見ることはなくなった。
結果、作業を振られるだけの人になっていき、フェードアウトしていった。
人は、こうして静かに挑戦をやめていくのかもしれない。
優しさは武器にも、鎖にもなる
Aさんは、決して無能ではなかった。
むしろ、頭の回転は速く、人当たりも良く、優秀な部類に入るだろう。
だが、彼の「優しさ」と「繊細さ」が、彼自身を縛ってしまっていたのかもしれない。
優しい人は、人前で傷つくことを極度に避ける。
傷つきを避けると、説明や反論の場に立たなくなる。
説明から逃げると、人はやがて言葉を失っていく。
つまり彼は、「変わらなかった」のではない。
「変わることから目を背け続けた」のだ。
もし、引き受けることができていたら?
今振り返ると、あの場面で、
Aさんは、人に向かった問いを立てていた。
「自分は悪かったのか?」(自責)
「この仕事は誰の責任か?」(他責)
といった、
しかし、そうではない問いが立てられたはずだった。
「いま何を引き受ければ、前に進むのか?」
という問いだ。
能力の問題ではなかった。
正解を出すことでもなかった。
ただ一度、説明できないままでも前に立ち、
「ここは自分が引き受けます。前に進むなら。」
と言えるかどうか。
あの瞬間、問いがそこに立っていれば、
彼の10年後は、違う場所にあったのかもしれない。
私たちが学ぶべきこと
この話は、Aさんという一人の人物の物語にすぎない。
だが同時に、誰にでも起こり得ることでもある。
キャリアの中で、一度でも「挑戦をやめる」選択をした人は、その後も同じ選択を繰り返す。
「責任を取らない」習慣を身につけた人は、次の場面でも逃げる。
その積み重ねが、10年後の姿をつくるのだ。
Aさんはかつて同期トップだった。
ヒーローのように輝いていた。
だが今は――第二新卒レベルの仕事しかできないアラフォーになってしまった。
結論
私がこの話を残すのは、Aさんを揶揄したいからではない。
むしろ、彼の姿に、後ろを向いた瞬間、残酷な成長が止まる可能性がある「未来の自分」を見たからだ。
挑戦をやめた瞬間、人は止まる。
説明責任から逃げれば、言葉を失う。
優しさは武器にもなるが、鎖にもなる。
ヒーローは堕ちる。
それは決して他人事ではない。

約1852年に制作された油彩画で、旧約聖書(創世記)のソドムとゴモラの滅亡を劇的に描いた作品。燃え盛る都市を背景に、荒廃と破滅の光景が広がり、ロトの妻が律法に背いて後ろを振り返った結果、塩の柱になる。後ろを向くことは「挑戦をやめる」「責任から逃げる」を象徴する。一度後ろを向けば、そこで塩漬けにされる。後ろ向きな行動を一度とるとくせになり、透明な見えない天井が頭の上に張られ、そこで成長が止まる。
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