自分を信じる気持ちをゆる~く保つことが大切【言葉の読み解き「ナンクルナイサ」】
はじめに
「ナンクルナイサ」
私は、この沖縄の言葉が大好きです。
音の響きが柔らかくて、どこか温かい。
少しくらいうまくいかなくても、
「まあ、何とかなるよ」
と肩の力を抜かせてくれる。
沖縄の青い海や空、ゆったりと流れる時間まで思い浮かぶような言葉です。
何かに悩んでいる時。
先のことが不安になった時。
自分ではどうにもできない出来事にぶつかった時。
「ナンクルナイサ」
そう口にするだけで、固くなっていた心が少しだけ緩みます。
でも、この言葉を単に、
「何もしなくても、どうにかなる」
という意味で受け取ってしまうと、本来の魅力を見落としてしまうかもしれません。
ナンクルナイサは、ただ運に任せる言葉ではありません。
自分にできることから逃げず、誠実に向き合った人が、最後に未来を信じるための言葉なのだと思います。
目次
1.「ナンクルナイサ」とは何か
2.言葉の前にあった「まくとぅそーけー」
3.琉球王国が育んだ独自の言葉と文化
4.努力だけでは変えられないものもある
5.ナンクルナイサは、自分を信じる言葉
6.私がこの言葉を好きな理由
1.「ナンクルナイサ」とは何か
ナンクルナイサは、沖縄の言葉として広く知られています。
一般的には、
「何とかなるさ」
「どうにかなるよ」
という意味で使われます。
「なんくる」には、「自然に」「ひとりでに」という意味があるとされています。
そのため、言葉だけを見ると、
「放っておけば自然にうまくいく」
という楽観的な表現にも聞こえます。
しかし、本来は「ナンクルナイサ」だけで使われていたのではなく、その前に、
「まくとぅそーけー」
という言葉が付いていたと紹介されています。
全文では、
「まくとぅそーけー、なんくるないさ」
となります。
「まくとぅそーけー」は、
誠実に生きる。
正しいことをする。
真心を持って取り組む。
といった意味です。
つまり、全体としては、
誠実に、正しい行いを続けていれば、物事は自然と良い方向へ向かっていく
という意味になります。
何もしなくても何とかなる。
ではありません。
やるべきことを誠実にやった。
自分にできることには向き合った。
だから、その先は必要以上に心配しなくてもいい。
そんな言葉なのです。
2.言葉の前にあった「まくとぅそーけー」
現在は「ナンクルナイサ」の部分だけが広く知られています。
短くて覚えやすく、明るい響きもあるため、沖縄を象徴する言葉として広まったのだと思います。
ただ、前半の「まくとぅそーけー」を知ると、言葉の印象が大きく変わります。
たとえば、何も準備せずに試験を受けて、
「ナンクルナイサ」
と言う。
仕事の締め切りを守らず、
「何とかなるよ」
と笑う。
これは、本来の精神とは少し違います。
ナンクルナイサの前には、
自分にできることをする。
相手に対して誠実でいる。
簡単に投げ出さない。
正しいと思うことを積み重ねる。
という姿勢があります。
それでも、人生には自分の力だけでは決められないことがあります。
結果がどうなるか。
努力がいつ実を結ぶか。
未来に何が起こるか。
そこまで、すべてを自分で支配することはできません。
だから、やるべきことをやった後は、
「ナンクルナイサ」
と未来へ委ねる。
これは、無責任な楽観ではありません。
むしろ、
自分の責任を果たした人が持てる楽観
なのだと思います。
3.琉球王国が育んだ独自の言葉と文化
「ナンクルナイサ」が、いつ、誰によって生まれたのか。
その正確な起源は、私が確認した範囲ではわかりませんでした。
そのため、
「琉球王国時代に、この言葉が生まれた」
と断定することはできません。
ただ、沖縄の言葉を考えるうえで、琉球王国の歴史を切り離すことはできません。
沖縄は、かつて琉球という一つの国でした。
琉球王国は中国、日本、東南アジアなどと交易し、異なる文化を受け入れながら、独自の文化を育てていきました。
琉球王国は約450年間続き、明治時代に沖縄県となりました。
料理。
音楽。
そして言葉。
島々では、それぞれの土地に根差した言葉が受け継がれてきました。
外からさまざまな文化を取り入れながら、それをそのまま真似するのではなく、自分たちの文化として育てていく。
海に囲まれ、多くの人や文化と出会ってきた土地だからこそ、沖縄には独特の柔らかさと強さが同居しているように感じます。
ナンクルナイサにも、その両方があります。
力を抜かせてくれる柔らかさ。
そして、誠実に生きようとする強さです。
琉球王国時代から続く沖縄独自の文化は、料理や泡盛、芸能などにも現在まで受け継がれています。
言葉もまた、人々の暮らしや価値観を運び続けるものなのだと思います。
4.努力だけでは変えられないものもある
私は、努力は大切だと思っています。
行動しなければ、変わらないことがあります。
挑戦しなければ、出会えない人がいます。
続けなければ、見えない景色もあります。
でも同時に、
努力すれば、すべてが思い通りになる。
とは思っていません。
どれだけ練習しても、試合に負けることがあります。
どれだけ準備しても、評価されないことがあります。
だからといって、努力に意味がなかったわけではありません。
結果をすべて自分の責任にしてしまうと、人は苦しくなります。
もっと頑張ればよかった。
自分の力が足りなかった。
自分が駄目だった。
そうやって、必要以上に自分を責めてしまいます。
でも、自分にできることをやったのなら、その後のすべてまで背負わなくていい。
自分が動かせるものと、自分では動かせないものを分ける。
動かせるものには、誠実に向き合う。
動かせないものは、未来に委ねる。
それが、
「まくとぅそーけー、なんくるないさ」
なのではないでしょうか。
5.ナンクルナイサは、自分を信じる言葉
ナンクルナイサは、未来が必ず思い通りになると保証する言葉ではありません。
何もしなくても、誰かが助けてくれるという言葉でもありません。
この言葉が信じているのは、
未来そのものより、
誠実に生きてきた自分
なのだと思います。
自分は、できることをやった。
だから、きっと大丈夫。
たとえ望んだ結果にならなくても、また次の道を探せる。
何かが壊れても、もう一度つくり直せる。
そのような、自分への静かな信頼です。
不安を完全になくすことはできません。
未来をすべて予測することもできません。
だから人には、最後に自分の心を支える言葉が必要です。
「絶対に成功する」
では、少し強すぎる。
「どうでもいい」
では、少し寂しい。
その間にあるのが、
「ナンクルナイサ」
なのだと思います。
やることはやる。
でも、抱え込みすぎない。
本気で向き合う。
でも、結果に縛られすぎない。
この言葉は、努力と楽観のちょうど真ん中に立っています。
6.私がこの言葉を好きな理由
私は、ナンクルナイサという言葉が大好きです。
たぶん私は、いろいろなことを考えすぎるからです。
チームのこと。
仕事のこと。
これからのこと。
誰かのために動こうとするほど、
本当にこれでよいのか。
もっとできることがあるのではないか。
自分の判断は正しかったのか。
と考えてしまいます。
そんな時、
「自分の力が足りなかった」
と、すべてを抱え込んでしまうことがあります。
でも、本当に誠実に向き合ったのなら、最後は少し手を放してもいいのだと思います。
相手の人生まで、自分が決めることはできません。
未来に起きることを、すべて防ぐこともできません。
だから、
まくとぅそーけー。
まずは、誠実にやる。
そして、
ナンクルナイサ。
あとは、きっと何とかなる。
この順番が大切なのだと思います。
ナンクルナイサは、沖縄の優しさだけではありません。
その奥には、誠実に生き抜こうとする人の強さがあります。
だから私は、この言葉が大好きです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
私たちは、未来をすべて思い通りにすることはできません。
でも、今日をどう生きるかは選べます。
自分にできることを誠実に積み重ねる。
そして、やるべきことをやった後は、少しだけ肩の力を抜く。
「きっと、何とかなる」
ではなく、
「ここまでやってきた自分なら、きっと何とかしていける」
そう思えた時、ナンクルナイサは、ただの励ましではなく、自分を支える言葉になります。
まくとぅそーけー、ナンクルナイサ。
誠実に生きていれば、きっと道はつながっていく。
いつでも心に太陽を。
SUNmaru

