小説|「セレニティ模様」第18話
和夫さんは次第に自分の症状について話さなくなった。何も言わなくなったけれど幻覚や幻聴がなくなったわけではない。言ってもどうせ伝わらないし責め立てられるだけだから諦めただけのことなんだ。
高圧的なトメさんに従うしかない状況下で定期通院しながらも和夫さんは新しい仕事を強いられた。トメさんにとって不可思議なことを言わなくなり仕事も始めた和夫さんを見てトメさんは満足そうだ。真っ昼間から活き活きと仏間で浴びるように酒を煽っているから分かりやすい。トメさんにとってはこれで一件落着、問題が解決してよかったと思っているに違いない。
一体全体この状況をご先祖様はどう思っているのだろう、と香は訝しむ。少しくらいトメさんが改心できる、他人の気持ちに寄り添える修行を与えてくれればいいのに。
香は毎朝仏壇に手を合わせる。
*
幼稚園の頃から毎朝毎朝手を合わせ続けても叶わないものは叶わない。
香と悠が小学生になるとお金がないことでいざこざが起こるようになった。
和夫さんの症状は一進一退を繰り返しながら少しずつ寝ているだけの時間が短くなった。症状がいくらか落ち着いているように見えるときもある。
「俺だってお金ないでえ」
「和夫さんもトメさんに少しはお金の使い方を改めるように言ってけれで」
「あれだば治らね」
「昼からお酒、タバコ。タクシーで出かけたりもするべ」
「何言ったって変わんね。俺の退職金だってあっという間になぐなった。お金なんてねえで」
「だから、そのことで和夫さんからも何がトメさんに言ってけれで」
今朝も堂々巡りの会話が居間から聞こえてくる。せっかくの休日の朝だけどどうせ起きたっていいことない。
小学生になった香と悠。二階の部屋を子ども部屋にしてもらった。
そのベッドに横になりながら階下の会話を聞いている。というか耳に入ってくる。声のトーンでだいたいの会話の内容は察するようになった。
唐突だがこの子ども部屋。ベッドだから洋室だと思うだろうが元々は和室だ。
それを香と悠二人で力を合わせ懸命に洋室にリノベした。
その結果ちぐはぐになった。押し入れの戸を取っ払ったら元々押し入れがあったことがバレバレな備え付けの棚になった。
障子を取っ払ってカーテンを付けたら壁の土間と色合いが合わず変な感じになった。
畳の上にじゅうたんを敷いたらそれもいまいちなコーディネートになった。なんとかしようと壁に画鋲で布を貼り付けたらもっと違和感が出た。
どう頑張っても理想の洋室にはならなかった。けれど香と悠は二人だったから変になる度に涙を流して笑い合った。
だから幸い残念で悲しい思い出にならずに済んだ。なんなら少しずつ愛着も出て来た。
「悠、おはよう」悠は先に起きていたけれど布団から出ていない。身をひそめる癖ができている。
「香、おはよう。また諍いだね。まだ居間に降りていかないほうがいいかと思って」
「そっかあ」
がらがらがらがら。玄関の戸が開く音が聞こえる。
「あ。終わった」悠が言う。
「うん。起きよっか」香が問いかける。
和夫さんは嫌なことがあると家から離れる。自分なりの防衛反応かもしれない。そう思っても香はそれも良しと思えなかった。
