小説|「セレニティ模様」第36話
茜色の空。日暮れの心細さが香の心を支配する。
お昼寝から起きたら太陽が沈みそうな時間になっていた。
明日が近づいている。目なんて覚めなきゃよかった。と香はぎゅっと目を瞑る。
お母さんの車が止まっている。ああ。帰りたくない。帰りたくない。現実に引き戻さないで。ブランケットを力いっぱい握りしめる。
「起ぎだがぁ」八重子が来る
「うん」口を真一文字に結ぶ。
「二人でここまで来れるくらい大きくなったんだなあ」
「うん」さっきよりきつく口を真一文字に結ぶ
「明日だども学校休むが?」
「えっ?」ブランケットを取って思わず起き上がる。
「休んでもいいよ」
「いいの?」
「悠もいいよ。休もう」
「うん」悠もブランケットを取って起き上がる。
明日も休めると思ったら一気に肩の荷が降りた。ふーーーっと深く息をはいた。
「今日はヨシばあの家に泊まろう」
「うん」そう言った途端、香の目からたくさんの涙があふれた。
自分が思っているよりはるかに思い荷物を背負いこんでいたのかもしれない。気を張って歯を食いしばって持ち続けていた。それが緩んだのか涙が出て来た。
ずっと続くと思っていた。逃れられないと思っていた。その日常が少し変わった。ずっとこのままで良いわけはないと分かっている。一度でも足を止めたらその世界に戻ることはもっと勇気が必要になると分かっている。けれど明日休めるということが今の香と悠にとっては心休まるきっかけになった。
*
翌朝、香が居間に行くと八重子と悠の話声が聞こえる。
「私が香を誘ったんだってば。だから香はなにも悪くないよ。悪いのは私だよ」
「悠と香が二人で決めたんだよね。香を無理に連れて行ったってことではないでしょ」
「無理やりなんてそんなことしないよぅ」
「んだよな。それはわがってる」
「おはよう」香がそろそろとドアを開ける。
「香、おはよう」悠が香の方を向く。
「おはよう」八重子も香を見る。
「私のこと話してたの?」香は香で自分のいじめ問題がバレてしまったのかと気をもんでいた。
「お母さんに私が香を誘ってここに来たのって話してたの。香のこと無理やり連れて来たんじゃないかって言うからぁー」
「それはないって言っておいたよ。もうっ」悠が頬を膨らませる。
「そんなことはしないってわがってらぁ」八重子が慌ててつけ加える。
「うん。悠はそんなことしないよ。わたしが…」事実を告げたいのに知られたくないという気持ちのほうが強くて言えない。こんな時でも自分のことを最優先に考える自分に香はほとほと嫌気がさす。悠は自分を犠牲にしてまで私をかばってくれているのに。
「お母さん、香と悠が良ければ今日パート行こうかなって思うけどいいべが?」
「うん。仕方ないな。いいよ」悠は小さい頃から物分かりがよく相手に気を遣わせない言い方がうまい。
「ありがとう。香はどう?」
「うん。行ってくれば」香はつっけんどんな言い方で返す。
「本当にいいんだが?」
「うん。いいってば」香が剥きになる。
「香、嫌なら嫌って言っていいんだよ。ね」悠が香の両手をとる。
「うん」
「やっぱり嫌だよね。お母さんにいてほしいよね」
「うーん」香は無性になんにでも反抗したくなるときがある。
「いやだ、いやだ、いやだーって言っていいんだよ」悠が癇癪を起したように言って、言い終わるとすぐに真面目な顔つきに戻った。
「ははっ」その切り替えが絶妙で香は思わず笑いが噴き出した。笑ったら意地を張らなくて良い気がした。
「ふふっ」悠が笑う。そんな悠を見て香はいつも悠のユーモアや思いやりに救われていることを実感する。
「おかあさん、お仕事行っていいよぅ」香が少し気を許す。
「ほんとにだが?今日もパート終わったらここに帰ってくるがら」
「うん。わかったぁ」
「それじゃあ、行ってきます。何かあれば連絡してな」お母さんが出かける。
「気ぃつけでな」ヨシばあが玄関まで見送る。
「うん。いってきます」玄関の戸が閉まる音がする。
ヨシばあがお見送りをして居間に戻ってきた。
「ヨシばあが来るときは身構えたりしないよね」
「うん。嫌な感じもしない。いてくれて嬉しいしいないと何してるんだろうって思う」
「んだがぁ。それだばよがった」ヨシばあが笑う。
「ちょっとハナさんどごに野菜届げで来るな。よっこらしょっと」
「うん。気を付けてね」香と悠が送り出す。
