小説|「セレニティ模様」第37話
一軒家に香と悠二人。隣家は遠い。周りは畑やりんごの木々。しーんという音が聞こえそうなくらい静まり返っている。
「悠、ごめんね。さっき自分のこと話そうと思ったけどできなかった」香はこの家に悠と二人きりになると不思議と素直に話せた。
「全然気にしてないよ。なにより朝起きてすぐ言えることでもないよ。ねっ」悠が笑う。
「う…ん」香の目からは再び涙が顔を出す。
「無理して話すことでもないよ」そう言って悠が香にハンカチを渡す。
「…ごめんね。ありがとう」
「ヨシばあの家、なんていうか、いいよね」悠が宙を見る。
「うん。時間がゆったり流れている感じがして落ち着く。それに悩み事がちいさくなる気がする」
「うん。心が穏やかになる。傷つける人たちがいないから安心するのかなあ」
「うん」
「家の雰囲気も人も流れる空気ごとやさしさに包まれている感じ」
「安心する居場所ってこういうところなのかもね。今更だけど。家の雰囲気とヨシばあの人柄が調和してる感じがするよね」
「ふふっ。私たちの居場所見つけたね」悠が細められるだけ細めたような目で笑う。
「ははっ」香が肩を揺らして笑う。
「香、悠、何だが楽しそうだなや」
「あ。ヨシばあ」
「よっこらしょっと」ヨシばあが並んで腰掛ける。
「ここだば何にもないけど、たまに日常から離れに来いなあ。いつでも待ってるがらな」
「うん。ほんとはね、ここに住みたいくらい」香がポツリとこぼす
「ここってほんとのどかだよねぇ」悠が問いかけるように言う。
「んだが」
「うん。心が落ち着く。いろんな情報があふれかえっているところより好き」
「んだあ。それだばいがった」
「あのね。わたしがね、学校行きたくないって悠に言ったの」タイミングを逃してしまいそうで香が咄嗟に切り出した。
「あー。ねっ。それでわたしがそしたら明日ヨシばあの家に行こうよって言ったんだよ。私も学校いきたくないから」悠が頬の横に手の平を添えてしなやかに前に倒す。
そのしぐさがおばちゃんぽくて、妙に世の中のことを知っているように見えて香は可笑しかった。その勢いで真面目な雰囲気のときは話しにくいことも話せる気がした。
「私ね、学校でいじめられてて。靴がなくなったこともあったでしょ。その人たちと同じクラスになったの。それでこの間は呼び出されて首というか喉仏のところだったような、力いっぱい押されて息ができなくなって。私死ぬのかな、って本気で思ったの」
「なんで、そんたごどするんだべなあ」ヨシばあが目を見開く。
「意識が遠くなってきてる中で周りが高笑いしている声が聞こえて」
「やばあ。本当に死なせるかも。きゃははって声も朦朧としている中で聞こえて」
「それで。もう、どうしてもいやでいやで」
「そのこと悠に話したら、そんな思いしてまで学校いかなくていいよって。んでも行く場所もなくて、ヨシばあの家に来ちゃった」
「それだばヨシばあのどごに来でけでいがったあ」ヨシばあの節の太くてでも柔らかい手が二人の肩を片方ずつさする。
「お母さんには言わないでほしいの。これ以上心配かけたくないから」
「なんも。一人で抱え込ませてごめんなあ。お母さんもなんも気づかねえでな。ごめんな。これからは話せなあ。おれにも話せなあ」ヨシばあが香と悠の頭をなでる。
「おめだのお母さんだもの、心配かげだっていいんだど。そんたに大変な思いしてらんだ。一人で抱え込めるものでねえでな。なあ。二人ともよぐ頑張った」
「話して相談しだんだもの、後は大人だちの問題だ。おめだは何も気にするな。今までほんとによぐがんばった。偉いっ」
香と悠は目が腫れるくらい泣いた。鼻をかみすぎて小鼻の皮がむけた。
二人とも泣いて泣いて泣いたらすっきりした。心のままに人目を憚らずに泣ける。そんな居場所があった。
