小説|「セレニティ模様」第46話
香は自分の部屋のカーテンを開け、窓を開け深く深呼吸する。
爽やかな秋晴れ。空いた窓窓からまっすぐ見える山々。そのふもとに広がる田んぼ。黄金色の稲穂が色づいている。田んぼの先に走る歩道も車道も区別されておらずセンターラインもないただただまっすぐな道。白い軽トラックが一台走っているのが小さく見える。
小鳥のさえずりが聞こえる。長閑な田園風景。朝の澄んだ空気。穏やかな空間。これが当たり前の日々になった。
今日は特別に体操着で登校して良い日。制服はカチッとしていて汚してはいけないという緊張感があるけれど体操着はさっと着られるところが香はすきだ。運動は苦手でも体操着はすきだ。
この地域でメジャーな秋のイベント。なべっこ遠足の日。屋外でいものこ汁を作って食べる。なべっこと言っても広い意味の鍋を意味するわけではなく「いものこ汁」が定番だ。
鍋に里芋やねぎ、鶏肉、糸こんにゃくなどを入れて醤油ベースで煮る。
各自主食のおにぎりを持参する。ヨシばあが作ってくれた、ぼだっこと梅干しのおにぎり。
「ぼだっこ」とはかなりしょっぱい紅鮭の塩漬けだ。ぼたっこや、訛ってぼだっごと言ったりする。どちらの呼び名もこの地域ではなじみ深い。ひとかけらでお茶碗一杯分の白米が食べられる。香は塩鮭といえばそのくらいしょっぱいのが普通だと思っていた。
高校から歩いて二十分くらいのところにある日山公園。その中のあるキャンプ場。
雲一つない爽やかな青空が広がっていて遠足日和だ。
遠くの山々の頂上から裾野まではっきり見える。川のせせらぎが聞こえる。そんな自然豊かな場所でなべっこ遠足が開催される。
それぞれの班に分かれさっそく炭に火をつけ火起こしから始める。何もしないでいると少し肌寒く自然とみんな焚火の周りに寄って行く。
香は莉緒ちゃん、慶ちゃん、歩ちゃんと四人の班だ。香は偶数がすきだ。なんとなく仲間割れがなさそうだし多数派のリーダー各に牛耳られる懸念が少ないからだ。とはいっても莉緒ちゃん、慶ちゃん、歩ちゃんの三人だったらそういうこともないだろうな、とも香は思う。
ぱちぱちぱちぱち。小枝が燃える音。
火が安定すると網の上に鍋を置き水や食材を入れる。待ち時間をおもむろに交代で過ごし、食材に火が通ったところで味付けをする。
「うまくできていますね」帽子をかぶった葉月先生がやって来た。いつもよりくだけたお洋服を着ている。
「順調ですよ」慶ちゃんが応える。
「おっ。いいごど」高藤先生も来た。
「高藤先生にはあげる分はないですよ」莉緒ちゃんがけらけらと笑う。
「んだべ。四人で仲良く食べれえ」高藤先生が真面目な顔で言う。
「はははははは」それはそれで可笑しくて四人で笑い転げた。
高藤先生や葉月先生はどの生徒とも平等に接している。それに自分が良いポジションにつこうとしている気配が一切ない。誰とでも分け隔てなく自然体で接していて、香にとってはそれが心地よかった。
「できたっ。できたっ」莉緒ちゃんがお椀を持って軽快に片足ずつ上げる。
「たべよ、たべよ。みんなお椀持ってきてー」慶ちゃんがお玉を持つ。そのままそれぞれのお椀によそって最後に自分のお椀によそった。
「それでは!いただきます」
「いただきます」
「んーっ。おいしいねえ。沁みるねえ」
「よしっ。おにぎりも食べよう」
「外で食べるおにぎり最高。なんでこんなにもおいしいんだろうね」
「日本人でよかったあ~」
「そういえばさ、ぼたっこってさ、全国共通だと思ってたんだけどさ」
「え?ちがうの?」
「東京から初めて遊びに来たいとこがね、しょっぱいしょっぱいって驚いていたの」
「へえー」莉緒ちゃんが目を真ん丸にする。
「そしたら埼玉出身のお母さんが、『こちらの焼き鮭はかなり塩がきいているんですね』
って」
「でそのお父さんはこっちの出身だから、『んだあ。焼くと塩が結晶化して白くなるほどだべ。このぐれしょっぺのが普通だあ』って話してたの」
「ほええ」莉緒ちゃんが感心している。
食事を堪能したあと予め決めたお楽しみ食材、マシュマロを焼いた。
香は屋外でご飯を食べるという経験が乏しく、しかもこんなに心から楽しめた経験がなく、それを機にすっかり焼きマシュマロにハマった。鍋っこで残ったマシュマロはじゃんけんで勝った香が持ち帰れることになった。
ヨシばあの家の石油ストーブの上にアルミホイルを敷きその上にマシュマロを置いて一袋なくなるまで毎日のように焼いていた。
ちょうど帰って来た悠にも振舞った。
「焼きマシュマロが好きなのか、というよりはあの場で食べた思い出が好きだから焼いているのか。うーん」香が焼きマシュマロを食べながらつぶやく。
「焼きマシュマロを食べるとその思い出がよみがえるんだったら焼きマシュマロがすきなんじゃないの?うーん」悠が考える。
「とんちみたい」香が笑う。
香は生まれ育った地域から少しでも距離を置いたら温厚な性格の人たちが多くて驚いた。帰宅後も心穏やかに過ごせるようになった。今も悪口を言われているかもとか、やっと一日が終わったばかりでも明日は何を言われるだろうとずっと怯えていることがなくなった。
