小説|「セレニティ模様」第17話
「プルルルルル」固定電話が鳴る。八重子はヒィっと肩を上げる。急いで受話器をとる。
「もしもし。山川です」
「もしもし。八重子さん?どうも、ハナだども」
「あらあ。ハナさん」
「トメさんってばよ、またヨシさんの家に来てら。困ったもんだなあ」
「んだんだな。まいったあ」
「今回もよ勢いよく玄関開けだど思ったら、どかどかっど入って来で。顔真っ赤にしてなんだが言ってら」
電話をかけてくれたハナばあはヨシばあと幼馴染みだ。二人はこの村で一番気が合うようで、ヨシばあが一人暮らしになってからは、畑で採れた野菜を持ってきたり手作りのお菓子を持ってきたり都合をつけてちょくちょく顔を出している。
ヨシばあとハナばあ二人が放つ雰囲気は似ている。二人とも小柄で背格好も似ている。二人が話している空間はほのぼのとしていてついつい寄っていきたくなるほどだ。
電話越しにトメさんの怒声が轟く。
「ちょっとヨシさん。まったく八重子さんときたら。一体、八重子さんにどんなしつけをしたんですかっ。いい加減にしてほしいんですよ。ったくあの嫁は一体なんなんですか」
電話口の向こうからヨシばあの声は全く聞こえない。トメさんが一方的に責め立てる声ばかり聞こえる。
何の連絡もせずトメさんはヨシばあの家に押しかけたが初めてのことではない。
トメさんは頭にカッと血が上るとその怒りをその感情に任せて吐き出す。その勢いのまま後先考えず自分の思い通りにしないと気が済まない。
ヨシばあはたまたまハナばあとお茶をしていて、そこにトメさんが乗り込んできたらしい。こんな感じでトメさんとは数回遭遇している。だからハナばあもトメさんのことはそれとなく知っている。
「今も怒鳴ってら。八重子さんも大変だな。こっちに休みに来いな」
「いつもありがとうございます。トメさん、ああなれば、言いたいごど言わねばねしてな。止められなくてごめんな」
「終わるまで待づしかねえなあ。ハッハハ。笑うしかねえなあ」ハナさんが朗らかに言う。
「ハナさんはお家に帰ってけれな。長くかかるべお。巻き込んでごめんな。ほんっとに」
「なんもなんも。気にすんな。俺ももうちょっとこさ居る」
この村にいるおばあさんの中には一人称が「おれ」という人も珍しくない。かわいいおばあさんのハナさんが「おれ」と言っているのを聞いたとき香はひどく驚いた。
*
夕方になってもトメさんが来ない。けれど香はそのことはちっとも心配でない。
ヨシばあは大丈夫だろうか、ハナさんは大丈夫だろうかとそっちのほうが心配だ。
香は夕暮れ時が苦手だ。夕暮れ独特の物哀しさはセンチメンタルな気分を呼び寄せる。
けれどすっかり日が暮れどっぷりとその暗さに浸ってしまえば割と平気になる。暗い方へ変化する過程が苦手なのかもしれない。
今日もこちら側は日の入りの時刻が迫り陽ざしは次第に影をひそめる。家の中が薄暗くなる。
「そろそろ電気つけるが」八重子がそう言って居間の電気を点ける。
蛍光灯はもう寿命だと思うがまだ使える派と面倒で取り替えない派が共存しているから一向に取り替えられない。
だから点き始めが悪い。光が何度か点滅し照らしたり消えたり。目がチカチカする頃に点く。今日もなんとか蛍光灯が点く。
そしてなんのことはない。もうすぐ夕ご飯の時間だからトメさんは帰って来るだろう。
その予想通りトメさんは帰って来た。しかも晴れ晴れとした顔つきで。トメさんはヨシばあに言いたいことを言ってすっきりしたのだろう。
何事もなかったかのように夕飯を食べ酒を呑みタバコを吸い、お風呂に入るなどの一連の寝る支度をして自分の部屋へ行った。
和夫さんはじめこの家の誰のことをも気にかけることがない。どんなときでも自分優先というスタンスがいかにもトメさんらしい。こういう出来事の度にもうトメさんのことは考えるものかと香は誓う。
