小説|「セレニティ模様」第16話
あの日。幼稚園バスを降りてからの帰り道。いつも通り八重子を真ん中に悠と香がそれぞれ手をつないで帰った日。
家に着くと玄関前に見たことのない幌付きの軽トラックが停まっていた。
「あの車なんだろう。お客さんが来てるの?」悠が八重子の手を引っ張る。
「ううん」八重子が努めてなんてことのないように言う。
「違うの?」香も八重子の顔を覗き込む。
「うん。あのね。お父さん、お仕事変えたの。次のお仕事は引っ越しの依頼を受けたり荷物を運んだりするの。それでね、この軽トラックを使うの」
「お仕事が変わるんだ」悠がその意味を分かろうとするかのようにゆっくりと言う。
「うん。これまでは会社員だったけどこれからは別のお仕事になるの。お父さんのペースでお仕事を引き受けることにしたの」
「ふーん」香はいまいち理解できないまま軽トラックを見つめた。
数年前から和夫さんの様子がおかしかった。それに伴い和夫さんに甘かったトメさんの態度が日に日に険しくなっていった。
トメさんが和夫さんに強い口調で当たっていた。少し前に病院にも行っていたし何かのお薬を飲んで横になってばかりいるようになった。
それから和夫さんは人を、家族さえも、避けるようになった。横になっているけれどハッと飛び起きて周りを見回しては警戒していたし香たちには見えない何かに怯えているようだった。
「床から突き上げられた」和夫さんがぽつりと言った時
「そんなことあるわけがないでしょ。変なこと言わないでよ」トメさんが一撃でとどめを刺した。
「今も床が力強く揺れている」
「揺れてなんかいません。私のところは揺れていないのに和夫のところだけ揺れるわけがないでしょ」語尾を強く言う耳障りな言い方だ。
「電波で盗聴されている。俺の居場所が知られているからだ」
「馬鹿なこと言わないで。そんなことあるわけないでしょ」
「…俺のことを見張っている人がいるんだ」
「そんなわけないでしょ。そんなこと言ってないではやく仕事探してよ」
和夫さんが口を噤みじっと天井を見ていた。
トメさんはそそくさと自分の部屋へ去った。
和夫さんは一日中そんな様子で休めていないようだった。
病院で薬をもらってからは、よく寝るようになった。寝る時間が大半だった。でも身体はだるそうだった。目も良く寝たという感じは一切なく虚ろだった。そんな様子を見かねたトメさんは次第に口調の厳しさがエスカレートした。
香と悠が三歳の頃のホームビデオ。そこには和夫さんと遊んでいるところが映っていた。
「八重子も映れ~。俺が撮るよ」和夫さんが朗らかに笑っている。
「大丈夫。私が撮るよ」
和夫さんとお母さんの平和な会話も入りこんでいた。
そのときは和夫さんが香と悠と一緒にままごとやぬいぐるみで話し相手をしたり肩車をしたりしてくれていた。その面影はもはやすっかりない。
*
「お義母さん、和夫さんのことですけど。今はお医者さんからも安静にと言われていますし」
「は?」トメさんがタバコをふかしている。
「仕事探しはもう少し待った方がいいんじゃないかと」
「男は仕事よ。八重子さんもこんなところで無駄口叩いてないで家事をしてちょうだい。まだまだ半人前以下なんですから」
「そうですか。私のことは何と言っても良いですけど和夫さんは今休ませたほうがいいんじゃないですか」
「うるさいっ」
「今、休ませないと長引いたり悪化してしまいます。お医者さんも療養が必要だと言っていたじゃないですか」
「薬も飲ませているしあんなに寝ているから大丈夫よ」
「そんなことないです。幸い退職金と…申し上げにくいんですけどトメさんの年金もけっこうありますよね」
「はああああ?何言ってるの?」トメさんが顔を真っ赤にして憤慨している。
そのまま電話でお得意先のタクシーを呼ぶ。タクシーが到着するとすぐに向かった。こうなったときのトメさんが向かう先、八重子には心当たりがある。
