小説|「セレニティ模様」第42話
香は真剣に、真剣に、考えた。
一か八かの賭けで偏差値の高い高校を目指す勇気はない。失敗は許されない。背伸びせずとも今の自分に手の届くところが一番だ。
今の自分は日々の暮らしで精いっぱいだ。それなのに高みを目指すなんてハードルが高い。努力できる環境を手に入れる努力をすることが難しい。自室で勉強していてもトメさんが母をののしる声が聞こえる。引き戸がビシャっと大きな音を立てて閉まる音がする。教科書の文字を追っても頭にはちっとも入ってこない。
良い高校に入って良い大学に入って…という果てしなく遠い先のことより、今いじめっこがいないほうがはるかに大事なことだ。
*
山川家の居間。八重子と香、悠とトメさんが茶卓越しに相対している。
その年の冬。八重子、香、悠は山川家の居間でトメさんに「二人とも高校はヨシばあの家から通う」と伝えた。
トメさんは唖然として、おそらくこの暮らしがずっと続くとあてにしていたからか、すぐに怒りをあらわにした。
意に沿わないことがあると憤慨するトメさんは今回も言葉にならない言葉を言っていた。
窓にはヒューッ、ボーッと風が吹きつけ、大粒の雪が横殴りで落ちてくるような冬の日だった。
トメさんにはもう決めたことだときっぱり告げ八重子たちはその場を解散した。
*
冬の厳しさが次第に薄れ、桜のつぼみが顔を出す頃。
ヨシばあの家の縁側から見える山々。まだ上のほうは雪が残っているけれど、それが見えるくらい視界が良好になった。
「過去の一出来事として振り返れるなんてね。感慨深いな。悠のおかげだね」
「ん?」
「一人で抱えていたら今もずっと同じことで悩んでいたから。悠に話せたから過去の出来事にできたんだよ。本当にありがとう」
「私も香と一緒に暮らして同じ境遇だったからこそ二人で話して共有できて、しかも分かり合えてさ、有難いなと思う」
「そうだといいな。ありがとう」
「そうだよ。そうに違いないーっ」悠は口を横いっぱいに開き敢えて「いーっ」を強調した顔をする。
「ははっ」その顔がおかしくて香は笑い転げる。いつもこうやって助けられてきたなとしみじみ思う。
トメさんと物理的に離れたら一つ屋根の下ではあれほど悩んでいたことが嘘のようにトメさんのことは話題にすら上らなくなった。トメさんと毎日顔を合わせなくて済むと思ったら今まであれほど頭を悩ませていたことなのにどんどん存在自体が薄れていった。
