真矢は「ドラマー」ではなかった。LUNA SEA、バンドとは。
LUNA SEAのドラマー、真矢の訃報は、多くの音楽ファンにとって衝撃的な出来事だった。
6か月前に病気の発表があったが、これを書いた時には予想だにしなかった。
ライブに復帰すると誰もが信じてた。
改めて思うのは、真矢というドラマーがどれだけ特異な立ち位置にいたのか、そして「バンド」という形態の持つ不思議な引力についてだ。
彼が関わった人を整理すると、興味深い共通点が見えてくる。
たとえば相川七瀬。彼女はデビュー時から完全なソロシンガーでありながら、後年からただのサポートではないバンドスタイルに強化していた。
そしてそこにいたのが真矢だ。
他のメンバーもガチ過ぎた。
PATA、D.I.E.、CRAZY COOL JOE、マーティ・フリードマン。
また、大黒摩季もソロシンガーで成功したが、究極のコピーバンドをする際に選んだのは真矢だ。
そして、氷室京介。80年代バンドの頂点にいたBOØWYが解散しソロ始めたのは1988年。
2000年のツアーでは、真矢を起用し、ギターは後輩バンドSIAM SHADEのDAITAと、とんでもない布陣だった。氷室はソロシンガーだがビリーアイドルのギター、スティーブ・スティーヴンスを起用するなど、バンド編成にこだわりがある人だ。
究極はGACKTかもしれない。
MALICE MIZER(1994年デビュー)はLUNA SEAの後輩にあたるがバンドで成功した後にソロでも成功したが、バンドという形を捨てきれなかった。
その結果として生まれたのがYELLOW FRIED CHICKENz。
そしてそこでドラムを叩いているのが真矢だった。
ソロシンガーにも愛された真矢。
ソロなのにバンド形態にしてしまう面々。
バンドとはどれだけの魅力があるのだろうか。
当時「東のLUNA SEA」というフレーズがあった。その対比として語られることもあったのが、「西のLuis-Mary」だ。実際にどれだけの人が本気でそう思っていたかは疑問だが、両者は1991年にCDデビューの同期なのだ。
そしてLuis-Maryには、後にT.M.Revolutionとして大ブレイクする西川貴教が在籍していた。彼は当時「灰猫(ハイネ)」という名前で活動していた、完全なバンドマンだった。
しかしこのバンドは長く続かなかった。理由はシンプルで重い。
メンバー間の「熱量の差」だ。
バンドというのは、才能や技術だけでは成立しない。
温度が違えば、音はズレ、空気は崩れ、やがて解散に至る。
西川貴教はまさにその現実に直面した。
上京後、彼は西武新宿線の鷺ノ宮駅に住んでいた。当店の隣の駅でもある。
金もなく、渋谷から1時間以上かけて歩いて帰ることもあった。
夢だけを頼りにした、典型的な売れる前のバンドマンの姿だ。
その後、彼はソロプロジェクトであるT.M.Revolutionとして成功する。念願のヒット街道を進むもバンド的なフォーマットは忘れ難かった。そしてabingdon boys schoolの結成となる。
ドラマーは長谷川浩二だが、一度プロになってしまえば、その中で知り合う人のレベルでバンドをやれば楽しいのかもしれない。
これはコペルニクス的な発想である。
「バンドでしか得られない何か」
それは技術だけではない。
全員の熱量が揃った瞬間にだけ起きる、説明しきれない爆発力だ。
リスナーも無意識にそれを待っている。
真矢は、単なる LUNA SEA のドラマーではなかった。
バンドという形式そのものを成立させる触媒のような存在だった。
バンドは人数分の衝突も方向性のズレもある。
合理性だけで考えれば、ソロの方がはるかに自由で効率的だ。
それでも人は、バンドに戻ろうとする。
「バンドやろうぜ!」
そこにあるのは、効率では説明できない価値だ。
一体感や化学反応と呼ばれるもの。
そして、その中心にいるのがドラマーだ。
リズムを刻むだけではない。
空気を作り、流れを決め、バンド全体の呼吸を揃える。
誰かが前に出れば支え、停滞すれば押し出す。
しかも時にはコミカルに彼がいることで成立する「バンドの形」が、確かに存在していた。
だからこそ、多くのアーティストが
「バンドをやるなら真矢」と考えたのだろう。
それは技術だけではなく、バンドを成立させる力への信頼だった。
個々が優れているだけでは届かない場所へ、
到達できる。
その確率を引き上げる存在がいるとすれば、
真矢はまさにその一人だったのだと思う。
そう考えると、今回の出来事は
静かに、しかし確実に重い。
真矢はただのドラマーではないのだ。
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