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母の生涯記録を残したい


どこかで母の生きた証を残したいと思っていました。

私のわかる範囲で、
以前作った母方の家系図を元に
母の人生記録を書いていこうと思います。

家族背景と幼少期

父(喜久雄)母(フミ)・長女・次女・長男・四女の中の三女。
母は1953年4月17日に生まれました。

戦後の混乱期だったからなのか。
喜久雄とフミ
入籍は1950年。
でも長女は1946年に誕生しています。

次女にあたるおばから聞いた話によると、父喜久雄は変わった人だった、
下駄で出かける人で帰ってきたら
まず足を洗う人だったと。
起伏も激しかったとか。

また、三女の母は、
毎回毎回必ず怒られるのに
食事中にトイレに行く子だった、
そして柱にくくりつけられていたそうな。

そして1959年、喜久雄とフミ離婚。
おばによると、喜久雄の女関係だったらしい。
戸籍を見ると、
長女は親権が母。
次女からの4人は
親権が父になっており1960年に
親権者を母に変更の裁判確定と書いてあります。

母が生前話していたけど、母親(フミ)と苗字が違う事を友達に聞かれて嫌だったと。

離婚後、職業安定所の掃除婦として働き出したフミ。
三女の母は学校から帰ったら
米を研いで水につけておく(北海道では、うるかす、という)のが言われていた手伝いで、やってないとデレッキで叩かれたとか。

※デレッキとは
火かき棒(ひかきぼう、火掻き棒とも)とは、暖炉や石炭ストーブなどから、灰や燃えがらを掻きだすときに使う道具である。

真ん中が母。運動会のようです。
靴ではなく足袋を履いています。


母の家系を辿ると
母の父、喜久雄の生まれた背景もとても複雑で、いつか文章で記したいです。
会った事がないので想像になってしまいますが、
戸籍で見ると
7人兄弟全員父の欄が空欄で認知されていなく、
生まれた時の住所(図書館で昔の地図を調べたら遊郭の入り口になっていました)から、喜久雄の母は遊郭に身売りされてきた可能性があるのではないかと思っています。
その辺も、いつか…。



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