#90 やっぱり写真を撮る時間はセラピーだったのだ|質問箱回答
記事のネタにせよと言わんばかりの質問をいただいたので早速展開してみようかと思います。
投稿ありがとうございました。
質問は回答済みです。

このテーマ、あまり考えたことはなかったのでこの機会に己に問うてみました。
そんで回答がコレ。
好きかどうかでいうと「自然」かな〜と思いますねえ。
フィールド的な「自然」もそうだし、そもそも動物撮るのが好きだからそういうのも「自然」に数えるなら自然が好きかもしれませんね。「ネイチャー」とも言うかも。
街中が嫌いってこともないんだけど、ネイチャーに向き合っているときはセラピーのような効果を感じる気がします。
ネイチャーに向き合うというのはなにも「野山に混じりて」じゃなくても公園のちょっと木が多いところだったり動物園だっていいのです。
もう少し深堀りしてみましょう。
セラピーのような効果ってなんだよ?
セラピーについてはnoteを始めて間もない頃にも記事にしたことがあるんですけど、撮影に没頭している時間ってウルトラ集中モードです。
つまり思考のリソースを撮ることだけに全ツッパする。
そういうときって些細な心配事や不安なんて考える余裕がなくなるし、メンタルにとってとても良い状態です。
心配や不安、悩みってどんなときに考えてしまうかというとだいたい暇なときです。布団に入って意識が飛ぶまでの虚無時間とかもそう。
そんなネガティブ思考が浸け込む隙もない状態にもっていけることがまるでセラピーのようだと思っています。瞑想とかマインドフルネスという解釈もできるでしょう。
ファインダーを覗いているときは特にそう。
何を撮るかはさほど関係なく、そういうモードになれることが重要。だから珍しくもないカワウをひたすら追ったり、どうってことない草木のディテールをじっと観察するとかそういうのでいい。


だからちょっと疲れてきたときにこそ、メンタルを最適化するためにバカデカ公園や動物園へ行って気が済むまで撮り歩いてみる。
「好きで楽しいからやってる」だけでは片付けられないなにかがあると感じています。
街中ではダメなのか?
結論から言うと街中でそういうモードに入ったり感覚を得るのは非常に難しい。不可能とまでは言わんでも自然や動物を相手にしているときに比べたら難しいです。
というのも街中ってだいたいは人がいます。
人を絡めた画にしたい場合はともかく、人がいないほうが都合がいいのにフレームに入ってくるとなにかと乱されます。
写真のために社会があるわけじゃないというのは承知の上だからそんなこと駄々こねてもしょうがないんだけど、人が多いほどそもそも撮りづらく感じてしまいます。
もっと言うと人の顔がガッツリ写り込んでほしくない。
特に正面顔ってめちゃくちゃ視線を引っ張られる感じがして、そういうのが写ってしまったと判断したショットはトリミングで救済できなければ使おうと思いません。
記事に載せる写真もできるだけ他人の正面顔が見えないものや、写っていても許容できる範囲で小さいものを選んでいるつもりです。結果としてプライバシーに配慮することにもなるし。
なんとまあ金がかかるセルフケアだろう
改めて考えてもやっぱり写真を撮る時間はセラピーだった。
カメラがそうしたゾーンに入っていくためのアイテムになっているわけだけど、自分をご機嫌取りするセルフケア代にしちゃなんとも金がかかっている。
さらにはボーナスをかっさらうかのように打たれるメーカーのキャッシュバックキャンペーンやAmazonのセール。賞与明細を眺めてニッコリしてもいられない。
「これはセルフケアのためだから実質薬代なんだ」などと言い訳をしながらスプレッドシートで見積もりを作っては消し、作っては消し。
そんな季節。
セミ鳴いてるし。
皆さんは自然と街中、どちらで撮るのが好きでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。
