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日本酒テロワール大賞に対する雑感

日本酒テロワール大賞をきっかけに、日本酒とテロワールの関係についてXなどにおいて議論が沸き起こっています。

そこで、私自身もこの機会に、日本酒とテロワールについて、雑感をまとめておきたいと思います。

今回の件について私が抱く危惧

まず明確にしておきたいことがあります。

私が「テロワール」という言葉に対して抱く危惧のような思いとしては、テロワールという言葉を日本酒に適用する過程で、次の二つの誤解が「日本酒についての定説」として、世論が上書きされてしまうことです。

一つは、『日本酒の味わいや香りなどの差異の大半は、使用する米、水、微生物がどの土地に由来するかによって決まり、他の要因が介入する余地はほとんどない』という科学的な作用機序に関する誤解です。

 日本酒は人の技術関与の割合が高く、なかなか米の産地と品種だけで、その特徴を説明しきることは難しいです。(このこと自体の証明だけで記事が書けてしまうので、この記事では、まず、これを前提にして話を進めます。)

もう一つは、『日本酒は昔から、Aという地域の酒であれば、A地域で育った米、その地域に湧く、あるいは流れる水、その地域に生息する麹菌や酵母だけを使って造られてきた』という歴史的経緯に関する誤解です。

この二つの誤解が、日本酒を理解するうえでの一般的な世界観として定着してしまうことは、さすがに防ぎたいと考えています。

非常に大まかに言えば、日本酒の歴史や技術は、「造りたい酒の設計が先にあり、それを実現しやすい米を選ぶ」という発想で発展してきたと感じます。大吟醸を造るために全国の酒蔵がこぞって山田錦を手に入れる、といった状況が象徴的です。

つまり、「目指す酒の設計が主で、米のスペックが従」です。それを、あたかも昔から「地元の米がこのような性質だから、酒の官能的な特徴もこのようになる」という「米が主で、酒が従」の関係として説明することは、これまでの日本酒発展の歴史や思考法からは、外れているのではないかと思います。

 日本酒における技術研鑽の蓄積は、「良い原料を産地にかかわらず仕入れる」という、妥協せずに最高を追求する姿勢や、「原料のロットに多少のばらつきがあっても、技術によって吸収し、当初の設計どおりの品質に仕上げる」という設計力や実現力に宿っていると、私は考えるからです。

 逆に言えば、この記事の冒頭に挙げた二つの誤解に抵触しない形で「テロワール」を掲げるのであれば、それは一つの見識であり、敬意を払うところです。

 例えば、ある酒蔵が数百キロ離れた産地の米を使いながら、米を軸に置いたテロワールを掲げていれば、疑問を持つところはありますが、一方、兵庫県の酒蔵が兵庫県産の山田錦を使ってテロワールを掲げるのであれば、それはそのとおりだと思います。ここは個別具体的に見ていけば、いくらでも例外はあり得ます。

 地域の米を使う取り組みについても、例えば「これまでは他県の米を購入してきたが、近年は離農する農家も多いため、地域のコミュニティを守る目的で、平成や令和になってから自社周辺の米を積極的に使う方針へ転換した」ということであれば、地域との繋がりを大切にする姿勢に、尊敬の念を抱かずにはいられませんし、

 あるいは、最初に地元の米が所与の条件としてあり、「では、この地元の米の特徴を最大限発揮するためには、どのような酒の造り方を設計して表現すべきか」と考え実践していく過程は、やはりテロワールに繋がると理解しています。そして、その取り組みの姿勢に、やはり心からの敬意を表したいと感じます。

 究極的には、米、水、麹菌、酵母、木桶の木材などの道具、働く蔵人の出身地まで、すべてを地元にこだわるのであれば、もはや何も言うことはありません

ただし、そういった取り組みは「近現代以前の自然や伝統の維持、保護、回帰」という文脈よりも、「令和の現代的な課題に対する、新たな価値創造と挑戦」と位置づけたほうがしっくりくると感じています。

テロワールで日本酒を説明するということ

 さて、一般の人、特にワインから入った人が、ワインに近い世界観で日本酒を捉えること自体は仕方がありません。ワインのほうが市場規模は大きく、そのような人たちは今後も一定数、日本酒の世界に入ってくるでしょう。そのたびに誤解を見かけたら、丁寧に説明していく。結局は、そのような地道な活動を続けるしかないのだと思います。一定数の人が継続的に流入しているからこそ、「テロワールという言葉をよく見かける」という状態にもなるのでしょう。

ただ、実のところ、普通に日本酒の学習を進めていけば、その説明はいずれ行き詰まると思います。事実として、自社の存在する地域の米だけで製造する酒蔵、麹菌や酵母を購入ではなく自社菌株で製造する酒蔵は、まだまだ少数派だと体感します。そのため、長期的には矛盾が表面化するからです。実際に行き詰まっているからこそ、日本酒において、テロワールという言葉が定着していないのだとも思います。

ワイン的なテロワールの世界観を前提に、メディアの特集や地域振興の企画を立てたり、店頭のPOPを書いたりしていても、酒蔵への取材や業界の勉強会を重ねるうちに、「あれ?」となることがあります。その結果、記事の書き方が変わったり、企画自体が立ち消えになったり、いつの間にかPOPが取り下げられたりする。具体的な名称は晒しになるので控えますが、実際にそのようなことが起きていると観測しています。調べていけば、事実が分かってくるのです。

したがって、私の感情は、「テロワールという言葉を日本酒業界から排除したい」という攻撃的なものではありません。

「テロワールの世界観だけで日本酒の価値を説明しようとしても、そのような取り組みは現時点では数が少なく、早晩、矛盾や説明しきれないことが出てきます。日本酒の多くを説明できず、行き詰まることになります。その道は、すでに何人も通ってきました」という、アドバイスに近い感情です。

テロワールの定義と、日本酒テロワール大賞の定義

さて、ここで、テロワールの定義について少し整理します。教義的にはテロワールとは土壌、気候、地形という、その酒が育った自然環境のみに着目する定義。参議院農林水産委員会調査室は、このような定義で説明しています。

”テロワールは「土地」を意味し、産品の品質等の特徴は、産地の気候や風土、地勢といった地理的諸条件に起因するとの考え方であり、多種多様な産品の特徴を識別する上で、特に産地が重視される所以である。”
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2014pdf/20140701043.pdf

『立法と調査』No.354掲載 論文「農林水産物・食品の地理的表示保護制度の創設(上)」参議院農林水産委員会調査室

一方で、OIV(国際ブドウ・ワイン機構)の定義では

“Vitivinicultural ‘terroir’ is a concept which refers to an area in which collective knowledge of the interactions between the identifiable physical and biological environment and applied vitivinicultural practices develops, providing distinctive characteristics for the products originating from this area. “Terroir” includes specific soil, topography, climate, landscape characteristics and biodiversity features.“

OIV(国際ブドウ・ワイン機構)

日本語に訳すと

“ブドウ栽培・ワイン生産における『テロワール』とは、識別可能な物理的・生物的環境と、そこで適用されるブドウ栽培・ワイン生産の実践との相互作用について、集合的な知識が発達している空間を指す概念であり、その相互作用が、その空間を原産とする製品に固有の特徴を付与する。テロワールには、特有の土壌、地形、気候、景観および生物多様性の特徴が含まれる。  “

というところでしょうか。

自然環境が中心の説明であるものの、人間の生産実践において集合的な知識が発達している状態も含まれており、先の農林水産委員会調査室の説明と比較すると、「人」に由来する要素も含有されているとは言えると思います。

さて、翻って、今回、話題のきっかけとなった、日本酒テロワール大賞のプレスリリース、及び募集要項をみてみましょう。

・日本酒の品質のみならず、その背景にある地域の風土、気候、水、米、文化といった「テロワール(Terroir)」に着目

・日本酒を単なる酒類としてではなく、日本各地の自然環境や歴史、文化を映し出す「地域資産」として捉え

・日本各地の酒蔵が育んできた風土、文化、技術、地域性に光を当て

・私たちの考える日本酒のテロワールとは、単なる自然環境にとどまりません。地元の農家と手を携えて米作りを考え、同じ水、気候、微生物のもと、そこに生きる「人間」の営みが一つの物語となって結晶化した、有機的な6次産業の完成形です。 

審査委員長は田崎真也氏!世界の富裕層が注目する「日本酒テロワール大賞」エントリー受付開始、Luxury Japan Award 2027 日本酒テロワール大賞 【公式】募集要項 & WEBエントリーシート

と、自然環境だけでない守備範囲の広義的な定義を展開しつつも、

・【応募条件】地域の風土や自然環境、原料特性など、テロワールの個性を表現している市販日本酒

・蔵元の皆さんが歩む土地の土壌が、どう水の硬度を規定し、お米にどんな骨格を与え、最終的な液体の酸や余韻となって語りかけてくるのか。 

と、狭義的なテロワールの定義の文章がまざっているところに、全体的な危うさを感じずにはいられません。特にこれが「応募条件」にかかってしまっているところに、問題があるように思います。

 風土という言葉に人為的な要素を含めているのかもしれないですが、文化、技術までを含めた広義的なテロワールを謳うのであれば、応募条件として、”地域の風土や自然環境、原料特性、地域の食文化を、地域で培ってきた技術により表現した市販日本酒”といったような表現であれば、整合していると言えるのではないでしょうか。

  あるいは”蔵元の皆さんが歩む土地の土壌が、どう水の硬度を規定し、お米にどんな骨格を与え、最終的な液体の酸や余韻となって語りかけてくるのか ”についても、”蔵元の皆さんが歩んできた土地の土壌が規定した水の硬度とお米の骨格に加え、土地と酒蔵が積み重ねてきた歴史的経緯と生活文化が、どのように最終液体における酸などの成分に反映され、表現として語りかけてくるのか”のようなワーディングであれば、整合したのではないかとおもいます。

 そして、実際に応募フォームをみても、自然環境以外との関わり、文化、地域との関わり、歴史性をアピールする項目は一行のみのコメントフォームであり、全体として、エントリー時点においては、自然環境との繋がりの調査に比重が置かれていると言えると思います。

 また、種麹メーカーとしては、”地元の農家と手を携えて米作りを考え、同じ水、気候、微生物のもと”という表現は引っ掛かります。何百年にもわたって全国へ麹菌を頒布してきた我々としては、「全国各地域によって微生物が異なり、また、一つの地域では同じ微生物を用いている」ことを前提とした表現を見過ごすことは立場上できません。

 このような点から、冒頭に掲げた、科学的な作用機序に関する誤解や、歴史的経緯に関する誤解が、日本酒一般に適用できる「正史」であるかのように広まらないよう、日本酒テロワール大賞のように、一定の力や影響力を持ち得る団体だからこそ、細心の注意を払って運営してほしいと思います。

テロワールの未来と種麹によるヴィンテージへの貢献可能性

 さて、これまで「造りたい酒のデザインが先で、米が後」と書きましたが、例えば、「この地域の米にはこのような特色があるため、その特色を最大限に引き出せる、地域独自の麹菌や種麹を開発してほしい」という依頼があれば、培ってきた技術を投入して新しい試みに取り組むことは、決してやぶさかではありません。そのような依頼があれば、技術者冥利に尽きると思います。

 これからの酒造技術の進化は、「造りたい酒、理想とする酒にできるだけ近づけた、完成度の高い酒を、どのように再現性を持って造るか」という発想よりも、「与えられた土地の原料の魅力や、その年の気候の特徴を最大限に表現するには、どのような造り方をすべきか」という発想が強くなっていくのかもしれません。

そして、そのために、これまで培われてきた技術や知見が総動員されていく。そのような未来はあり得ますし、それはそれで面白い未来だと思います。

ただし、それも繰り返しになりますが、「自然や伝統の維持、保護、回帰」という文脈よりも、「現代的な背景に対する新たな価値創造と挑戦」と位置づけたほうがよいのではないかと思います。

この発想で考えると、現在は、近年の気候によって毎年のように生じる米の高温障害の影響を、どのように抑えるかという視点が中心です。しかし、逆に「高温障害を生かし、高温障害米だからこそ出せる特徴を生かした清酒を造る」という方法も十分にあり得ます。

 そうすると、これは、清酒に対して年度ごとの品質変化、ヴィンテージの発想を取り入れることになる、清酒に新しい価値を開拓することになりますし、そこに麹菌の技術が貢献できるのであれば、大変面白い取り組みになりえると思います。

グローバルに対応する高付加価値・ラグジュアリー戦略としての日本酒テロワール

 さて、戦略として、「高付加価値化によって利益を上げようとするなかで、その対象がワインの世界観を持つ欧米人であるなら、その世界観に合わせて説明しなければならない」という立場は理解できます。ただ、個人的には、その方針に全面的に乗ることには抵抗があります。

 以前、ソムリエの側にも詳しい方から、「ソムリエの仕事は、正しい知識を伝えることではなく、お客様が喜ぶ体験を提供することです。知識だけでは不十分で、相手が聞きたい話を提供することが重要です」と聞いたことがあります。私なりの要約なので、実際とは違うニュアンスかもしれませんが、この考え方があるならば、合理的である一方、危惧も感じます。

 例えば、「このお酒の味わいは、この土地の米と微生物環境だからこそ生まれたのですね。日本の伝統に触れられて、素晴らしい体験でした」と体験してもらうこと自体が目的になりすぎれば、そのために事実がいくらでも歪められてしまいます。このような体験をした方は、特に補足説明がされなければ、麹に使われる麹菌は自然環境中から手に入ったものという印象を抱いてしまうでしょう。海外の方であればそのまま帰国してしまいます。個人的には、非常に怖いことだなと感じます。

 世界において、「何に価値があるのか」「何が正しい価値観なのか」を決める力が欧米にあることは間違いありません。これはテロワールに限った話ではありません。

 ビジネスにおいては、やはり欧米のソサイエティの影響は強いです。これからは世界においてこれが問題になる。と定義して、「サスティナビリティ」だったり、「エシカル」だったり、「気候変動」だったり、「ダイバーシティ」だったり。そして、「気候変動につながるからガソリン車は問題だ」となれば、EVに世界の投資資金が流入します。ダイバーシティが重要だとなれば、それに反すると見なされた企業が攻撃されたり、大学教員がキャンセルカルチャーによって職を失ったりします。

 現在、是とされている環境サスティナビリティ的な価値観と、その土地の自然環境に立脚するワインのテロワールの世界観との相性がよいことも事実です。「世界がそのような潮流にあるのだから、その流れに抵抗しても仕方がない」という考え方も、立場としては理解できますが、個人的には違和感があります。

地域貢献を日本式テロワールとすることで、都市型酒蔵もテロワールを語る機会を

では、日本酒に地域性がまったくないのかといえば、そうではありません。

例えば、地域の食文化によって育まれた地域の嗜好の傾向に、その地域の酒質が影響を受けることは当然あり得ます。特に、地場流通が主体の銘柄ほど、その影響はあるでしょう。

ただし、冒頭に戻りますが

・日本酒の味わいや香りなどの差異の大半は、使用する米、水、微生物がどの土地に由来するかによって決まり、人為的な介入の余地はほとんどない

・日本酒は昔から、Aという地域の酒であれば、A地域で育った米、その地域に湧く、あるいは流れる水、その地域に生息する麹菌や酵母だけを使って造られてきた

という誤解が広まるような状況になるのは違うのではないか、という話です。

そして、日本酒メーカーと地域との関係において本当に重要なのは、実はコミュニティへの貢献なのではないかと思います。

多くの酒蔵が、歴史的には、地域の篤志家として学校や美術館を建てたり、寺社へ寄付したり、時には、地域の灌漑水路を引いたり、道路などのインフラ整備に大金を投じた酒蔵さんもあるでしょう。

そして、現代においては、地域の有力者として、商工会議所や地域の観光協会などの公的団体、ライオンズ、ロータリーなどの地域団体で役職を引き受けたり、我々の年代であれば、自営業だからと地域のPTA連合会の会長を務めたり、青年会議所などで役目を引き受けたりする。正直なところ、日中は、本業以外の地域活動をやっている時間の方が多いぐらいだったりします。

あるいは、地域の祭りや祭礼、文化芸術団体、環境保護団体や福祉団体のイベントや講演などに、有形無形の貢献をしています。地域(小学校区)の運動会のパンフレットにロゴマークや社名一つ掲載するだけで協賛金○万円とか、神社の祭礼で幟一本出すだけで一口○万円とか。あるいは、近所の人にイベントの時に敷地を駐車場として貸してくれとか、祭りの際に神輿を担いだり踊り手の人員を出してくれと言われたりします。

まともに、広告の費用対効果みたいな分析をしたら、まず間違いなく割に合ってはいません。

しかし、それも含めて地域への貢献や還元、地域の盛り上げであり、それは地域に活かされている、地域で生産活動をしてきた組織としての責任であり使命の一つではないかと感じます。

そして、そういう参画をしていくことによって地域の酒蔵だけでなく、地場の様々な企業や地域に住む人々との繋がりや連帯感みたいなものも醸成され、地域の経済や文化、有形・無形のインフラが資金的にも人員的にも維持され、次世代に継続されていきます。

これも、立派な日本的テロワールなのではないかと思いますし、この視点であれば、自然環境、里山というワーディングでは参加をしづらい、商人町や城下町、宿場町、港町、門前町などで発展してきた都市型の酒蔵にもテロワールを語る機会ができるようになるのではないかと考えます。

まあ、これが、国内外のラグジュアリーマーケットに響く話になるかというと、話は別ですが。


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村井三左衛門 最後までご覧いただきありがとうございました。 私のプロフィールについては、詳しくはこちらをご覧ください。 https://note.com/ymurai_koji/n/nc5a926632683