二〇三高地作戦に従軍した祖父

祖父は、日露戦争 に従軍しました。
祖父に抱かれて撮ったセピア色の写真が残っていますが、祖父の記憶は何一つありません。祖父が従軍した話は、父親や叔父から聞いたものです。

祖父が戦闘に参加したのは、乃木希典 将軍が司令官をつとめた二〇三高地 作戦でした。東京出身の祖父は東京の連隊に所属していましたが、その連隊は全滅です。ところが、祖父は無傷で帰還したのです。
全滅した連隊で、無傷で帰還したのには、もちろん理由があります。

祖父は騎馬兵でした。
ロシア帝国のコサック兵とのと騎馬戦を想定した訓練を積んだそうです。ところが、どういうわけか、祖父は司令部と前線との伝令役として選抜されたのでした。司令部は戦場の近くに設営するものと思っていましたが、乃木将軍はだいぶ離れた後方に司令部を置いたようです。そこで前線と司令部との連絡に騎馬兵が必要だったのでした。

当時、すでに有線の電信はあり、司令部と前線とに敷設されていたといいますから、電信では足りない、小物や地図、指令書などを持って、あるいは口頭による伝令としての役割だったと思います。

伝令役の騎馬兵は祖父以外にも数名選抜されたといいます。
祖父が所属していた騎馬隊は二〇三高地奪取の戦闘がはじまると、敵基地に向かってまっさきに突撃し、全滅しました。一番最初に全滅した部隊といいます。結局はコサック兵との騎馬戦は実現しませんでした。

伝令が戦闘とは無関係で安全だったかというとそんなことはなく、単騎で馬を走らせている騎兵を土民が襲うことがあったといいます。伝令中に不明になった騎兵がいたといいます。

あとで二〇三高地戦の戦記をみると、司令部を前線の近くに設営していれば、万単位の死者をださずに済んだ可能性があったかもしれない。残念な司令部でした。

乃木将軍の司令官としての能力については、個人的には疑問に感じるのですが、乃木将軍と直接、接した祖父は乃木将軍を心から信奉していました。一兵卒にも礼儀正しく接する乃木将軍を死ぬまで尊敬していました。

人格者が必ずしも名司令官ではありません。

いいなと思ったら応援しよう!