異端の鬼才ビアズリー展〜本気の悪戯エロ心〜
ビアズリーとの出会いは言わずもがなの澁澤龍彦の著書の中からである。ただ、そこを経由しなくともどこかしらで知られるくらいは人気の画家だろう。オスカー・ワイルドの「サロメ」の挿絵を描いた夭折の画家という印象はそのまま本展のメインビジュアルにも現れている。
サロメは澁澤の書籍のどれかしらでも解説されていたはずだが、どれだっただろうか。簡単にGPTに要約させてみる。
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ヘロデ王の継娘サロメは、預言者ヨハネ(=ヨカナーン)に恋をします。しかし、ヨハネは彼女の思いを拒絶します。
ある夜、サロメはヘロデ王の前で魅惑的な「七つのヴェールの踊り」を踊り、褒美として何でも望むものを与えると言われます。
サロメはヨハネの首を所望し、最終的にその願いは叶えられます。彼の首が銀の皿にのせられて運ばれくると、サロメは彼に口づけをします。
この行為に怒ったヘロデは、彼女を処刑するよう命じて物語は終わります。
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補足をすると元々ヘロデ王は近親相姦を指摘したヨカナーンを処すキッカケが欲しかった。サロメはヨカナーンからの愛が欲しかった。その利害関係が奇しくも合致したわけです。社会的タブーを扱うと同時に倒錯した愛を手に入れるサロメの姿はいわゆる「ファムファタル」(→男性を破滅に導く女性像であり、転じて自立し自ら選択をする女性像)の一つとして挙げられる。
また、本展ではこの物語自体は創作のため、実際にはサロメはその後も生き続けていたという補足が入っていた。オスカー・ワイルドはとにかく残酷で官能的なイメージを創出したかったわけである。
サロメは元来美しい少女として、生首というグロテスクなモチーフと相対して表現されたのがこれまでの通例だったように思える。いくつかの作例を確認してみよう。

貴婦人のような気品とあどけなさを同時に漂わせるルーカス・クラナッハのサロメ。

ここでは生首からは目を背けており、さも本心ではないと言った様子にも見える。どうにも関心がなさそうな。どちらかと言うと執行人の醜い表情こそが主題に見える。

本展にもモローの作品が参考出展されていたが、私が行ったタイミングでは、あいにく1点は公開が終了となっていた。こちらは少し表現としては異なるが、裸体の美しいサロメが目の前に現れた。生首のヨカナーンを指差している。首からは、頸椎のようなものが垂れ下がり、非常にグロテスクでありながら、美しい裸体のサロンの輝くような姿と対比を成している。その表情は伺うことができない。モローは、ビアズリーの少しだけ先輩にあたる世代の家であると。

こちらは今回画像検索をしているときに、初めて見て、気に入った作品の1つで、ヨカナーンの生首に口づけをするサロメの激情のようなものが感じられる。いわゆるエモい絵画となっている。こちらもほぼほぼビアズリーと同じ時代の作例となっていて、朦朧とした画面は、少しモローの作風とも近い。
そこで普段のビアズリーのサロメであるが、これまでの表現と明らかに異なるのは、サロメの顔面であろう。


いかにも、サロメの表情は、醜悪で、悪女といった趣が感じられる。また逆立った髪はメデューサを放すとさせるような魔性の雰囲気を立て合わせている。そして空中に浮かび今まさにヨカナーンの生首に口づけをしようとしている瞬間だ。生首から滴る血はまだモギたてといった感じで、その右下に目を向けると生き生きと花開く花としおれてくたびれた花草がこの2人の様子を表彰しているようだ。左上にある玉の集合体は、どことなく水木しげるの漫画に出てくるダークマターようなモヤモヤとした悪しき雰囲気を感じさせている。ここではこれまでのサロメ像とは異なるビアズリーオリジナルの悪女としても、サロメがふんだんに描かれている。これはもしかすると、この挿絵が描かれた背景も影響しているんではないかと考えられる。

ワイルドは、自身の戯曲には含まれないシーンの挿絵を作成するビアズリーに対して反感を抱きクレームを言っていたと言う。またビアズリー自身も、ワイルドに対する反感から醜悪なワイルドの自画像を指の至るところに挟み込むと言ういたずらをしている。この様子を見るに、作品としての完成度はともかくそこに至るまでの苦難は推し量られる。
最後にビアズリーの全体像を簡単にさらっておこう。初期のビアズリー作品はデューラーのような質感を持ったところから始まる。やはり版画家はここを手本として出発するものなのだろう。その後、比較的早い段階で私たちの知るような作風に変化していく。これらは挿絵という〆切が決まっている故に、詳細な意匠を凝らすことが難しいからではないかと推察している。ただし、熟練(20そこそこで夭折した人物に使うのは相応しいものか疑問ではあるが)するにつれて、かなり細密な描写が見られるようになってきている。

また、本店では18禁部屋が設置されており、期待したほどでは無いかもしれないが、エロティックな表現の作品が集められている。よくよく調べてみると、もっと露骨に卑猥なものをいくらでも書いていると言うことが検索すればわかるだろう。

これらの作品は、まさに、アールデコの前身として、露骨で醜悪なものとしてもてはやされている。いたようにも感じられる。世紀末らしい。退廃感に満ちた作譜であり、これらが薄められて、今もてはやされているアールデコと言う作品が生まれたのであろうと。またそれが転じて、ビアズリー自身も神格化されて、今回のような大人数が大挙して集まるような展覧会が実施されたと考えると、考え深いものだ。

