成果物がない日に感じること
ほんのり生産的に感じた一日でも、振り返ると多くはチャットのやり取りや打ち合わせ準備、メール対応といった「コミュニケーション業務」に終始していることがある。
何かを「つくった」という実感がない。資料を完成させたわけでもなく、デザインを仕上げたわけでもない。つまり、成果物がない。「やり遂げた感」はあるはずなのに、「本当に生産的だったのか?」とあとから自問してしまう。
「成果物がないと意味がない」とまでは思っていない。ただ、「成果物がないと生産的だったと感じにくい」という気持ちがある。成果物が見えるかたちになっていないと、達成感が薄くなる。そこに自分の評価の癖があるのかもしれない。
コミュニケーションによって物事が進んだり、人との関係がなめらかになったり、前提が整理されたり。そういう動きはあったし、むしろそれがあったからこそ、仕事を終えたあとにポジティブな感覚があったのかもしれない。けど、それが「生産的だった」と実感できるかどうかはまた別の話になってくる。
生産性を『可視化できるアウトプット』に結びつけて考えてしまうのは、たぶん長年の刷り込みのようなものだろう。結果として残るもの、他人が見てわかるもの、提出できるもの。そういった形がないと、どこかで「今日は何もしていない」と錯覚してしまう。それは他人の目を気にしているというより、自分自身がそういう物差しでしか自分の働きを測れないという感覚に近い。
