見出し画像

398年前、大久保忠隣が亡くなりました。

398年前、大久保忠隣が亡くなりました。忠世の嫡男。徳川の主要な戦の多くに従軍した武功で信頼厚く徳川秀忠付の家老に抜擢され、小田原初代藩主にも就きます。後に忠隣の与力であった大久保長安の事件に連座して改易を受け、井伊直孝預かりとなりました。
改易の理由は表向きには幕府許可を得ない養女の縁組を行ったことですが、実際には大久保長安事件への連座や、本多正信・正純父子による讒言など、権力闘争による結果とも。
直孝はこの件に対して同情的であり忠隣の冤罪の直訴を図るも、「主家に対しての不忠となる」として忠隣は断ります。漢だなぁ。結局、将軍家からの許しは出ぬまま蟄居先である彦根にて死去。
忠隣の功績は大きいということで、孫の忠朝が小田原藩主に復帰し、以降明治まで続くこととなります。
「鬼作左」大久保忠世は直言硬骨の武将。秀吉の母と妹が三河に差し出され、家康が上洛した際も、その屋敷の周りに薪を積み「主君の身に何かあれば即火を点ける」と脅し秀吉から徹底的に嫌われた。松平忠輝付家老でもあった長安の佐渡金山での横領と密貿易のとばっちりで失脚した。三河以来の忠臣の改易を慮った家光が小田原に復帰させた。後に民政農政の神様二宮金次郎を生む事になる

いいなと思ったら応援しよう!