見出し画像

「優しさが返って」こなくても。

人に優しくするとき、自然にそうできることもありますよね。
でも、時として、頑張って、心を奮い立たせて優しくすることもあります。

一生懸命、心を込めたからこそ、その気持ちが通じないとがっかりしたり、悲しくなったりして、もう誰にも優しくしたくない、って閉じこもりたくなること、ありますよね。

逃げるように去っていった、あの人

昔、こんなことがありました。
道を歩いていたら、見知らぬ人から駅までの道を聞かれたんです。

目的地が丁度、私が向かう方向と同じでした。
だから「あ、あっちですよ。すぐそこなので良かったら一緒に行きましょう」と、完全に良かれと思って声をかけ、一緒に歩き始めました。

でも、相手にとってはそれが余計なことだったようなのです。なんだかそわそわして、とても居心地が悪そうでした。

そして数分後、駅に着くと私の顔も見ずに、まるで逃げるように去っていってしまったのです。

理由は分かりません。ただ、私の親切は、あまりありがたいものではなかったようでした。

あなたも、似たような経験はありませんか?
良かれと思ってしたことが、相手の負担になってしまったような、あの気まずい感覚。

「かえって悪いことしちゃったな」「しなければ良かった」
そんな嫌な気持ちになって、自分のしたことを後悔してしまいます。

でも、たとえその場で「ありがとう」という言葉や気持ちが返ってこなくても、いつか巡り巡って、その「優しさ」が循環していくことがあるのだと、私は信じています。

優しさを受け取れない、自分もいる

偉そうなことを言いましたが、私自身、人からしてもらったことに対して、その場でうまく「ありがとう」の気持ちを示せないことがあります。

特にイライラしていると「余計なお世話だった」とか「放っておいてくれればよかったのに」なんて、心の中で思ってしまったり。

本当に、恩知らずですよね。
でも人間、そういう時ってあるじゃないですか。

人の厚意を素直に受け止められるかどうかは、自分の心の状態次第です。

心が弱っていたり、疑心暗鬼になっていたりする時は、差し伸べられた手すら、振り払ってしまうことがある。

だけど、それは無駄ではないんです。
不思議なことに、数年経っても、その時受けた「優しい気持ち」は、確かに心に残っているんです。

どうしようもなく落ち込んだ時、自分の価値を信じられなくなった時、脳が必死に記憶の引き出しを探し始めます。自分を救うために。

そして、「でも、私は優しくしてもらえる価値がある人間なんだ」という根拠として、あの時の記憶が、ふっとよみがえってくることがある。

「私も、あの人にあの時優しくしてもらったから」

そんな記憶がひとつ、またひとつと積み重なっていくと、やがてこう思えるようになります。

「私もあの人みたいに、誰かに優しくしよう」と。

あの時優しくしてくれた相手には、もう直接気持ちを返せないかもしれない。
それでも、誰かに優しくしてもらった経験が、巡り巡って、別の誰かに優しくするためのになる。

そして、そんなふうに巡ってきた優しさに、またいつか、自分自身が助けられる日が来るんです。

だから、もしあなたが誰かに優しくしたとき、その人自身からは鬱陶しがられても、「ありがとう」と言ってもらえなくても、「優しくしなければ良かった」と思う前に、このことを思い出してほしいんです。

「今この人は、優しさを受け取れる時期じゃないのかもしれない。もしかしたら、迷惑に感じたかもしれない。でも、いつかきっと、私のこの気持ちがこの人を救うきっかけになるかもしれない」

そんな風に考えてみませんか。

あなたの優しさは、決して無駄じゃない。

すぐに成果が見えなくても、世界のどこかに、きっと響いていくはず。そしてそれは今すぐもらえる「ありがとう」よりも、ずっと大きな価値に変わる可能性を秘めている。

この記事が、あなたや、あなたの大切な人の力になれば嬉しいです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


#YeKu #エッセイ #メンタルヘルス #人間関係 #優しさ #自己肯定感 #コミュニケーション

いいなと思ったら応援しよう!

YeKu@「知る」を優しさに。 最後までお読みいただき、ありがとうございます! 「役に立った」「読んでよかったな」と思っていただけたら、無理がない範囲で応援いただけると嬉しいです。 いつも、皆様のあたたかいお気持ちで活動できています😊