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「知る」ことから生まれる優しさ

「不登校? 何それキモッ」
「うつ病なんて甘えでしょ?」
「すぐセクハラだって騒ぐから女は頭が悪い」

……こんな言葉を聞いて、あなたは心がザワつきませんか?  もしかしたら、あなた自身が言われた経験があるかもしれません。

実は、こうした反応の根っこには、必ずしも言った人の「残酷さ」だけがあるのではなく、「知らない」ことからくる壁が潜んでいるのかもしれないのです。

今日は、そんな「知ること」と「優しさ」のちょっと意外な関係について、考えてみました。

「知らない」から生まれる壁

最近、私がよく巡らせている思考に、「優しくなるためには知識が必要なんじゃないか?」という仮説があります。

もちろん、生まれつき深い共感力で、見ず知らずの他人のことまで自然と思いやれる方もいるでしょう。でも、それはもしかしたら、豊かな想像力の賜物か、あるいは人に強く出られない穏やかな性格によるものかもしれません。

以前、私が連載しているマガジンでも触れたことがあるのですが、人間には「認知バイアス」という、物事の捉え方のクセのようなものがあります。その一つに、自分が「常識」だと思っている範囲の外のことは、そもそも認識すら難しい、という特性があるんです。

先ほどの例で挙げたような言葉は、まさにこの典型かもしれません。

自分の人生や身の回りに、不登校を経験した人や、うつ病と向き合っている人、ハラスメントに声を上げた人がいなかったり、意見を交わした経験がなかったりすると、どうなるでしょうか。

「知らない」と相手のことをまるで異星人のように感じてしまうのです。

「相手も自分と同じように、日々笑ったり苦しんだりしながら精いっぱい生きている一人の人間なんだ」という想像が、うまく働かない。無意識のうちに、相手を理解しようと考えることすらシャットアウトしてしまう……。そんなことが起こり得るのです。

それってその人が悪い訳ではなく、ただ人間の持つ仕組みによるもの。責めるべきは「無知」やそれを生み出した環境であって、その人自身ではないのでしょう。

社会を隔てる、見えない溝

こうした「知らない」ことから生まれる壁は、個人の間だけでなく、社会全体にも大きな溝を作ることがあります。特に、多様な背景を持つ人々が集まるアメリカ社会などを見ていると、その傾向が顕著に感じられることがあります。

アメリカの歴史を紐解くと、多くの分断が生じてきたことがわかります。 例えば政治の世界。民主党と共和党という大きな二つの流れがありますが、それぞれの主張は時に大きく異なります。

(もちろん、党員全員が同じ意見というわけではなく、個人や州によって様々な考え方がありますが、ここでは分かりやすく対比してみます)

  • 福祉を重視するか、経済成長を優先するか
    民主党「福祉重視」共和党「福祉よりも仕事」

  • 中絶の権利をどう考えるか
    民主党「個人の権利」共和党「中絶は禁止」

  • LGBTQ+への向き合い方
    民主党「多様性尊重」共和党「否定的」

  • 銃規制に対するスタンス
    民主党「銃規制推進」共和党「銃の所持は国民の権利」

など、根底にある価値観が大きく異なるため、なかなか話がかみ合わない場面も多いようです。 なぜ、ここまで意見が分かれてしまうのでしょうか。

一つの要因として考えられるのは、教育や経済的な格差です。

アメリカでは、日本のように全国民に均一な質の義務教育が行き渡っているわけではなく、住む地域や家庭の経済状況によって受けられる教育の質が大きく変わることがあります。

「自由の国」「努力すれば報われる」という価値観がある一方で、貧困層の子どもたちがその環境から抜け出すのが難しい、という現実も指摘されています。

(日本のような国民皆保険制度がないため、特に貧困層では医療へのアクセスすら難しい現実があります)

こうした状況は、「這い上がれないのは努力が足りないからだ」という努力至上主義のような考え方を生みやすくし、結果として貧困層への無理解や軽蔑といった分断につながる可能性もはらんでいます。

しかし、科学的に見れば、「努力できるかどうか」自体にも、遺伝や育った環境といった、本人の意思だけではどうにもならない「運」の要素が影響することも分かっています。

日本の均一主義

一方で、日本のように、ある程度共通の教育を受け、共通のメディア(特に昔はテレビの影響が大きかったですね)から情報を受け取ってきた社会ではどうでしょうか。

国民の間に一定の共通認識、いわば「常識」のようなものが形成されやすい傾向があります。これには、社会の安定という側面もあるかもしれませんが、同時に「みんなが言っていること」が絶対的な正しさを持つかのような空気が生まれ、その「常識」から外れる少数派にとっては、少し生きづらさを感じさせる社会になってしまう危険性も否定できません。

結局のところ、無理解や、自分の価値観だけに固執してしまう態度は、知らず知らずのうちに社会に分断を生み、差別や偏見の温床となり、私たちを「優しさ」から遠ざけてしまうのかもしれません。

知識は、世界を広げる翼

「本を読む人は優しい」 こんな言葉を聞いたことはありませんか?  これも、「知ること」と「優しさ」の関係を示唆しているように思えます。

本を読むという行為は、自分とは違う人生、違う考え方、違う価値観に触れる旅のようなものです。たくさんの物語や意見に触れることで、「世の中には本当に色々な人がいて、色々な考え方があるんだな」という、ある種の「当たり前」を体感的に学ぶことができます。

いわば、たくさんの人の意見に耳を傾けている状態と言えるでしょう。

私自身を振り返ってみても、若い頃は「あの人はこういう人だからダメなんだ」と、狭い視野で人を決めつけ、切り捨ててしまうような未熟さがありました。

でも、年齢を重ね、様々な経験をし、多様な意見に触れる機会が増えるにつれて、「待てよ、物事には色々な側面があるし、人にはそれぞれ事情があるのかもしれない」と、まず立ち止まって多角的に見よう、と考えられるようになってきた気がします。まあ、まだまだ修行中の身ではありますが……!

あなたの声が、誰かの光になる

「黙っていても察してくれる」 そんな以心伝心が通用するのは、もしかしたら多数派の中だけかもしれません。

少数派の人たちが黙っていると、多くの人はその存在や考え、困難について「知らない」ままです。知らないから、うまく想像することができない。結果として、その声は届きにくく、思いやってもらえず、弱い立場に置かれてしまう……そんな悲しい連鎖が起こりかねません。

その点、このnoteというプラットフォームは、様々な立場の人々が比較的フラットに、自分の言葉で意見や経験を発信できる、素晴らしい場所だと感じています。

もしあなたが、普段「なかなか自分のことを理解してもらえないな」と感じているとしたら……ぜひ、勇気を出して発信してみてほしいのです。

「自分のことを伝える」ということは、同時に「自分と同じような立場や経験を持つ、誰かのことを伝える」ということにも繋がります。

それは、あなた自身のためだけでなく、まだ声を出せずにいる誰かのため、そして、社会全体の理解を深めるためにも、とても価値のある行為だと思うのです。

知識を得ることは、時に面倒だったり、自分の価値観を揺るがされたりして、少し怖いことかもしれません。でも、知ることで見えてくる世界は、きっともっと広く、豊かで、そして優しいはず。

あなたの「知りたい」という気持ちが、誰かの心を理解する第一歩になる。 そして、あなたの「伝えたい」という声が、誰かの世界を照らす光になる。

そんな風に、少しずつでも理解の輪が広がっていけば、私たちの周りはもっと温かい場所になるのかもしれません。


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