noteで「弱さ」を告白できるわけ。
noteだと、自分の弱さをさらけ出しやすく感じるのは、私だけでしょうか。
「分かるよ」と温かい反応をしていただけることが、多いからかもしれませんね。
最近は毎週のようにしょうもないズボラエッセイ4コマを公開していますが、なんでかよく読んでいただいているようです。ありがたいことです。
病気のことも公開していますし、
「YeKuさんは自分のことを、赤裸々に書きますね。引かれるのが怖くないんですか?」
とおっしゃっていただくことがあります。
でもそれは、「noteだから書ける」側面が大きい気がするんです。
現実の生活だと、なかなか自分の「弱さ」をさらけ出すのって難しい気がします。
万が一、「弱さ」をさらけ出して気まずい状態になったら、毎日必ず顔を合わせるのに、しんどいですものね。
「甘えてるんじゃない」
とか、
「私の方が大変だった」
とか、
あるいは、単純に「引かれる」。
そういう反応を取られることも、多い気がします。
不登校のことだって「どう見られるか」気になって、なかなか言えません。
同じただの「過去」なのに
「私、学生時代にラクロス部だったんです」
と言うのと
「私、高校行ってないんですよね」
と言う難易度は結構違います。
病気のことも、なかなか言えません。
「ちょっと、体が丈夫じゃなくて」
とか
「少し、気にしやすいところがあって」
と言ってみて「察して」くれることを祈ってしまう自分がいます。
どうして人は「相手が自分と違う」ということに、こんなに敏感なのでしょうね。
皆さんは、「この人は自分や、今まで接してきた人とは違う」と感じた時、それでも温かい対応ができるでしょうか。
私自身にも受け入れがたいバックグラウンドはあります。
例えば「ギャンブルが好き」とか「女性関係がだらしない」と聞くと、反射的に、「嫌だなぁ」と思ってしまいます。
ただ、「弱さ」に関しては何を言われてもあまり「ドン引きする」ということもなく、「そうなんだ」という対応になる気はしますね。
それはもしかしたら、若い頃から多様な「人」の間にいたからかもしれません。
一時、フリースクールでパソコンの使い方を教えるアルバイトをしていました。
当時はあんまり気にしていませんでしたが、境界知能の方や、発達障害の方や、元引きこもりや、元不登校や、元…なんというのか、少し非行に走っていたお子さんも。色んな背景の方が、たくさんいらっしゃいました。
でも私の仕事はみなさんにパソコンの使い方を教えて、やる気を持って臨めるように寄り添うこと。
相手の特性はほとんど気にしていませんでした。
なんであれ良いところを見つけて褒めて、根気強く一緒にやっていたんです。
それで教えた方が伸びると、自分のことのように、すごく嬉しいんですよね。
まぁ、当時の生徒さんは暑苦しいと思っていたかもしれませんが…。
あるいは、私が通っていたIT系の専門学校では、クラスの半分ぐらいが、韓国や中国からの留学生の方でした。
韓国人のクラスメイトに韓国料理屋さんに連れて行ってもらったり、一緒に課外授業みたいなのに出たり、学友として交流していましたね。楽しかったな。
人に接するとき、目の前に見えているもの以外は、なるべく考慮に入れないようにしています。
いや、むしろ、「考慮に入れられない」のかもしれません。
これは私の「クセ」なので、それが良く働く時も、悪く働く時もあります。
それでも全ての経験を経て、どんな背景があろうと、今その人が私の目の前でどうなのか、それだけが重要だという確信は揺らぎません。
地位も、名声も、あるいはその背景も、ほとんど気になりません。
でも、どうやらそれは多数派ではないということも、社会に出て揉まれるうちに学びました。
だからこそ、自分自身が色眼鏡で見られるのも、本当は、怖いし、理不尽に感じます。
多数派と感覚が違いすぎると、理解できないから、踏み出すのが怖くなる……。
怖いからこそ、誰かのことを理解したいと願うのかもしれません。
皆さんには、「こういう人は絶対に受け入れられない」と感じる「属性」がありますか?
それが「何なのか」が、けっこう、私たち一人ひとりの人生を物語るのかもしれません。
けれど私は、お花畑だと言われても、多様な背景を持った人のそれぞれに居場所があって、一緒に生きていける社会が理想です。
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