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人を頼るのも「力」のうち。我慢が美徳とされる社会で、どうすれば「助けて」と言えるのか

我慢を美徳として教えられてきた、私たち日本人。

男性は、子どもの頃から「男の子なんだから」と我慢を強いられる機会が多いのではないでしょうか。

女性も「女の子らしく我慢しなさい」と言われます。

あるいは、長子だと「お姉ちゃんなんだから」「お兄ちゃんなんだから」と、また我慢。

そのせいか、世の中を見渡してみると、やっぱり「助けを求める」のが恥ずかしいと思ってしまう人は少なくないようです。

うまくいっている時はそれでもいい。我慢強いって素晴らしいですよね。

けれど、一度つまずいてしまうと、誰にも助けを求められず。辛い思いを一人で抱えて。孤立して、あまり幸せとは言えない状況になっていく……。そういうケースは、決して珍しくないのです。

「助けて」と言うための能力

私も以前、困った時の相談先について紹介する記事を書いたことがあります。

でも、本当に困った時に「どこかに相談しよう」と思えること自体に、ある種の能力が必要なのではないかと感じています。

何かあった時、なりふり構わず「助けて」と言えるかどうか。

もちろん、「助けて」と叫んでも、誰かが必ず答えてくれるとは限りません。

でも、私の人生通しての体感だと、7割くらいの確率で誰かしらが手を差し伸べてくれる。

仮にこれが私の「思い込み」で、助けてもらえる確率が1割だったとしても…。

言わないより言った方が、ずっと「良い状況に改善できる」可能性が高いということです。

これって、すごく大切なことだと思いませんか?

私の原体験 デマと学級会

私がそのことを初めて学んだのは、小学1年生の時でした。

詳細はもう覚えていないのですが、根も葉もない噂を流されたのです。
例えば、「YeKuイェクちゃんがマリちゃんの筆箱を壊した」みたいな、全く事実無根の噂です。(もちろん、壊していません)

そのせいで、クラスの中で「YeKuちゃんはマリちゃんの筆箱を壊した悪い子なんでしょ? じゃあもう遊ばない」という、謎の仲間外れが始まりました。

今となっては理由は分かりません。
当時の私の素行が悪く、「いかにもマリちゃんの筆箱を壊しそうだ」というイメージがあったのかもしれない。

あるいは、誰かの恨みを買っていて、意図的にそういう噂を流されたのかもしれない。

だとしても、嘘は嘘です。

私はそんなこと、していないのだから。

私の普段の素行と、「マリちゃんの筆箱を壊した」という嘘の間に、因果関係は一切ありません。

事実は事実であり、嘘は嘘。

誰かを嫌いだからといって、変な噂で罰を与えることが、正しい行いになるはずがない。

そうでしょう?

実際、その「マリちゃん」本人に面と向かって聞けば、「そんなことされていないよー」と答えてくれるのですから。

でもほとんどの人はわざわざマリちゃんに確かめようとはしません。

噂って当事者以外には、ただの消費される娯楽なんです。

検証などせずに、信じてしまう。もっと言うと、真実かどうかなんてどうでもいいんです。

ましてや7歳の子ども。本能で生きています。

私は思いました。
「言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいじゃん。私かマリちゃんに直接聞けば済む話なのに。どうして影でこそこそするんだろう?」

こういう理不尽な事態は、きっと誰もが人生で一度は経験することだと思います。

この事態を受けて、「私は悲しくて、辛い気持ちに包まれていました……」と言いたいところですが、実際は幼い私、メロスよろしく激怒していました。必ず、かの邪智暴虐の噂を除かなければならぬと決意していました。(昔から、理不尽には怒るタイプで…。)

そして、母にすべてを話しました。
すると母は、すぐに担任の先生に相談してくれたのです。

先生は、学級会を開いてくれました。
そして、黒板に大きく、こう書きました。

「デマ」

先生は、デマゴギーの略であるこの言葉が、いかに人の権利を貶める悪しきものであるかを、クラスの皆に丁寧に説明してくれました。

そのおかげで、噂はきれいさっぱり無くなりました。

私の噂を信じて仲間外れにしていた子も、「YeKuちゃん、ごめんね」と謝ってくれたのです。その後、特に問題が起きることもありませんでした。(もしかすると、影ではまだ何か言われていたのかもしれませんが、私が気づいていないので、ないのと同じです。)

先生と母には、本当に感謝しかありません。

「価値観」というフィルターを疑ってみる

この時の体験が、私にとってはあまりにも強烈でした。

「助けを求めれば、助けてもらえる」
「正しいことを言えば、信じてもらえる」

この学びが、私の魂に深く刻まれたのです。
それは大人になっても続いていて、私は比較的、抵抗なく人に助けを求められる方だと思います。(特に、自分は悪くないと確信している時は)

何かあっても、基本的には誰かが助けてくれると信じられるのです。

もちろん現実には、「必ず誰かが助けてくれる」とは限りません。

それでも、「世界の見え方」や「価値観」というものは、こんな風に、子どもの頃からの自分の体験によって形作られていくもの。

もしあなたが今、「どうせ誰も助けてくれない」と感じているのだとしたら、それはもしかしたら、過去の辛い経験によって形作られた「フィルター」なのかもしれません。

実際に、今の日本には様々なセーフティネットがあります。

うつ病などで働けなくなっても、傷病手当金制度もあれば、失業手当もある。自立支援医療制度などもあります。もちろん、生活保護も。フードバンクのような民間の支援もある。

「なにか私が今、困っていることを、助けてくれる制度や団体はないの?」

そうやって探してみれば、何かしらの助けはきっと見つかります。少なくとも可能性は上がります。

「助けを求めるなんて恥ずかしい」

ほんの少しだけ、そんな自分の「考え」にも疑問を持ってみる。
それが困った時に助けを求めるための、第一歩になるかもしれません。

どうか必要な時に必要な助けが、あなたに届きますように。
これは私の心からの祈りです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


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