「いないといけない」から「いてもいい」へ。「必要」ではなく、許されるのが居場所だった。
職場の飲み会で、気づいたら自分だけ会話の輪に入れていない。
みんな楽しそうに笑っている。
自分も笑う。
でも、今この場から自分がいなくなっても、誰も気づかない。
帰りの電車で「私、別にいなくてもよかったな」と思う。
あるいは、
久しぶりに誰かに「助かったよ、ありがとう」と言われた。
たったそれだけの言葉なのに、胸の奥がじんとする。
ああ、自分はここにいてよかったんだ……と思えた瞬間のあのあたたかさ。
どちらも、「自分の居場所」を求める気持ちから来ていますよね。
この記事はこんな人におすすめ
・周りの期待に応えようとして疲れてしまう方
・「自分の居場所がない」と寂しさを感じている方
・誰かに必要とされないと、自分には価値がないと感じてしまう方
・人間関係で無理をしてしまうことが多い方
こんにちは。メンタルケアマガジン「それでもきっと、だいじょうぶ」へようこそ。
私たちって、「居場所」という言葉にあたたかいイメージを持っていますよね。
自分を受け入れてくれる人たち。
必要としてくれる誰か。
「あなたがいてくれてよかった」と言ってもらえること。
それが、自分はどこかに属しているんだという実感につながる。
実際、人間が「どこかに属したい」と感じるのは自然なことです。
アメリカの心理学者バウマイスターとリアリーは、所属への欲求は食欲や安全への欲求と同じくらい根源的なものだと述べています(「The need to belong」, 1995)。
でも、「求められている」という実感は、残念ながら……満たされた瞬間から別のものに変わり始めることがあるんですよね。
「求められる」が「義務」に変わる時
たとえば、職場で頼りにされている。
「あなたがいると安心する」と言ってもらえる。
それ自体はすごく嬉しいですよね。
私も新しい現場やチームに入って、「あなたがいてくれてよかった」「あなたのおかげで助かった」なんて言ってもらえると、初めて受け入れてもらえた、一員になれた気がして、嬉しくなってしまいます。
でも、そのうちに、どんどんどんどん、自分がまかされる範囲が大きくなります。
自分が担っている部分が大きくなりすぎて、「自分が関わらないとうまくいかないんじゃないか」と思い始めます。
実際にはそんなことなくても、自分がいないと迷惑がかかると感じてしまう。
体調が悪い日も「今日休んだらみんなに悪いな」と思って無理をする。
家庭でも同じです。
私は皆さんのnoteを読んで察するだけですが、きっと、家族に感謝されるのはうれしい。大切な人の笑顔が私たちを癒してくれます。
でも、いつの間にか「自分がやらなきゃ誰がやるんだ」と思うようになっている。
頼まれてもいないのに先回りして動いて、疲れて、でもやめられない。
誰かに任せようとしても、相手はそもそも
「普段からやってないし」「私と同じクオリティではできない」「細かいミスが気になる」
「結局自分でやった方が早い」
こんな経験に心当たりはないでしょうか。
誰かにはっきり「いないと困る」と言われたわけじゃありません。
でも、自分の中で「求められている」がいつしか「応えなければならない」に変わっている。
期待に応えるのが当たり前になって、応えられない自分を責めるようになる。
最初は居場所だったはずの場所が、だんだん息苦しくなっていく。
その息苦しさの正体は、「居場所」が「いないといけない場所」に変わってしまったことなのかもしれません。
どれだけあたたかく見えても、義務で成り立っている場所にいるのはしんどい。
私もそんな風に追い詰められて、仕事で心を病んでしまったことがあります。終わらないレビュー。終わらないミーティング。私の意見だけが重要になる。YeKuさん、YeKuさん……あなたがいないとダメなんです。
義務には終わりがないし、果たせなかったときに自分を追い詰める材料になります。
「孤独」と「孤立」は違うもの
ところで、「孤独」と「孤立」という言葉があります。
日常ではほとんど同じ意味で使われますが、心理学の研究ではこの二つは明確に区別されています。
ここから先は
最後までお読みいただき、ありがとうございます! 「役に立った」「読んでよかったな」と思っていただけたら、無理がない範囲で応援いただけると嬉しいです。 いつも、皆様のあたたかいお気持ちで活動できています😊
