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苦しみは人と比べられない。自分の物差しが相手を傷つけてしまう時

私たちは、人の苦しみの大きさを測る時、つい自分を基準に考えてしまいます。
それは共感という素晴らしい仕組みで、人のことを自分のことのように捉えるからこそ起きることです。

「ご飯も食べられなかったら、苦しいだろう」
「暴力を受ければ、辛いだろう」

これは人間なら、誰でも共感できることだと思います。

でも、少し個人差が出てくるところになると、話は変わってきます。

例えば「ペットを亡くした」とか、「セクハラ・パワハラを受けた」といったこと。例えその経験があったとしても、受け止め方に個人差があります。

人によっては「ペットが亡くなったくらいで何日も落ち込んで休むなんて信られない」と感じるかもしれません。

あるいは「セクハラされて嫌なら、嫌だってはっきり言えばいい。黙ってるってことは嫌じゃないんでしょ」と感じる人もいるでしょう。

そして、そう言っている本人に同様の経験があったとしても…。その人は本当に「そんなにつらくない」のかもしれません。なにがしかの要因で、その人にとっては「乗り越えられた」から。

でも一方で何日も苦しんで、病気になってしまったり……。場合によっては何十年も引きずってしまったり。

「何がどれだけ苦しいか」って、その人本人じゃないと計り知れないんですよね。

人によって「苦しみ」の尺度は全く違う

苦しみの尺度の限界が10だとして、自分にとって3しか苦しくないことが、相手にとっては10なのかもしれない。

どうして、そうじゃないと言えるのでしょうか。

違う環境に育ち、ある人が感じることは、必ず自分とは違います。

だから、自分の経験だけで「そんなの大したことない」と測ることはできないですよね。

私自身も、「家から出ないように」と言われても特に苦痛ではありません。
だから「家にずっといるのが辛い」と言われても、正直なところ、あまり共感はできません。

でも、「ずっと家にいると本当に苦しい」という人も世の中にはいて、きっとそうなんだろうな、と想像することはできます。

もっと身近なところでは、「好き嫌い」がありますよね。

ナスが嫌いな人がいると驚いて「ナスはおいしいのに!」と自分の感覚で考えてしまう。

そして私たちは「それは美味しいナスを食べたことないからだ」と、つい新しい食べ方やナスの品種を勧めてしまいます。

でも、それって言われる方からすると、うんざりしませんか……?
ナスが嫌いな人がナスを食べる時の苦しみは、本人にしか理解できないのです。(※ちなみに私はナスが好きです。秋ナス…🍆)

「良かれ」という善意が、時に人を追い詰める

そして、逆のことも起こります。

私も病気のことや、あまり典型的ではない家庭環境のことがあるので、「それはつらかったでしょう」とよく言われます。
もちろん、辛かったこともありますが、そうでもないこともあります。

例えば、父がいないというのは私にとっては当たり前のことであって、「つらい」とかではありません。

最初からないものを、どうしてつらいと感じられるでしょうか?

むしろ、それを不幸なことのように言われると、なんだか釈然としません。
寄り添おうとしてくれる気持ちは本当に嬉しいのですが、「決めつけないでほしいな」と思ってしまうのです。

これもまた、本人が訴えていることよりも自分の感覚で他人の苦しみを捉えてしまう、という同じ現象なんですよね。

もし「私の想像では、それは辛かったのではないかと思いました。どうですか?」と、相手を主語にして聞いてもらえれば、少し違うのかもしれません。

以前、職場の先輩が「私の家にはお母さんがいなかった」と言ったことがあります。

一瞬その場が凍り付きましたが、私は空気を読むのが苦手なので、喜んで口を開きました。「奇遇ですね、私は父がいなかったんですよ」なんか二人で盛り上がり、明るい感じになりました。空気が読めないのって良い時と悪い時がありますよね。

でも、本当に難しい時があります。

例えば、ひどい人と付き合っている人の話を聞くと、「え……? それは別れた方がいい……」と喉まで出かかります。

でも本人は「でも、彼は優しいところもある」なんて言って、相手を庇ったりする。

そうやって否定されると、本人の感覚を信じるというより、「無理して『つらくない』と言っているのかな」と考えてしまいます。

あるいは、心理学でいうストックホルム症候群のような状態になっているのかもしれない。

でも、もし本人が自分を守るために、必死で「つらくない」と自分に言い聞かせているとしたら?

それは、その人が生きていく上で必要な「強がり」なのかもしれません。

そう考えると、こちらが「それは辛い経験だった」と決めつけてその「強がり」を崩してしまったら、その人にとって本当に良いことなんだろうか? と悩んでしまいます。

答えが無くて、難しいですよね。
でも、難しいものなんです。常に考え続けないといけない。

人間は曖昧で複雑な生き物です…。マニュアルのような正解があれば、誰も苦しんでいません。

でもいつか、最終的には自分の「正しさ」を他人に押し付けないといけない時もやってきます。相手が自分にとって本当に大切な人だったら。

自分が悪者になってもいい、相手を傷つけても、救うのだ、と決意する時です。


いずれにせよ、「私にとってはそんなの大した苦しみじゃない」とか「そんな些細な苦しみに耐えられないのは甘え」とか、そういう風に自分を基準にして誰かを責めることは簡単です。

そして直感的には、つい、やってしまいがちではないでしょうか。私も、やってしまいます。

でも、少しでも考える余裕がある時には、すぐに判断する前に少しだけ立ち止まる。

そして、他人の苦しみを尊重する。

そのことを、忘れずにいられたらいいな、といつも思っています。


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