『国試前医学生、現実逃避のパキスタン縦断』
医学部6年だった数年前、新疆ウイグル自治区のカシュガルからカラコルムハイウェイを通ってインド洋に面する大都市カラチまで、パキスタンを縦断した。
このときの旅をテーマに今年の「わたしの旅ブックス 新人賞」に応募してみたところ、最後の9作品には残ったが落選してしまった。(正確には芥川賞・直木賞と同様に「今回は該当作品なし」となった)
ただせっかく書いたので、思い切ってKindleで公開することにした。
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パキスタン縦断記はなぜかない
私にはかねてより不満があった。
パキスタンは比較的南北にサイズがある国で、気候一つとっても雪に覆われるエリアから灼熱のエリアまで様々である。
言語についても、ざっくり西ではイラン語派の言語が、ざっくり東ではインド語派の言語が、そして北部ではブルシャスキー語のような系統が不明である言語もあり、もちろん民族も多彩だ。
つまり相当「縦断しがい」があるが、なぜか「パキスタン縦断記」は存在しない。(ブログ記事とかはある)
玄奘(三蔵法師)もイブン・バットゥータもマルコ・ポーロも沢木耕太郎も東西に横切っている。
まあこれはパキスタンまで行ってインドもアフガンも行かないというのが勿体なさすぎて論外というだけなのかもしれないが、とにかく縦断記はない。
パキスタン旅行記自体なぜか少ない
というか、縦断記とか以前にパキスタンの旅行記は異常に少ない。
本屋に行けばおびただしい数のインド旅行記に遭遇する。だがパキスタンの旅行記といったら二桁もない。人口5位の国なのに。
地球の歩き方すら長年更新されておらず、私が数年前に買った「地球の歩き方 パキスタン '07-'08」は年利25%というサギとしか思えない金融商品のレベルで高騰している。
パキスタンは、アケメネス朝ペルシアの最東端であるインダス川流域を擁する国である。
つまり、しつこいが、ペルシア文明の影響を受けた領域と、その奥に存在した(狭義の)インド文明圏との境目こそがパキスタンだ。
もちろんペルシア帝国の影響がすべてではないのだが、この境目は、現在の民族、言語、宗教、食に多岐にわたる差異を生んでいる。
さらにいえば中東と南アジアが接する最前線がパキスタンである。ここに行かずして、アジアや中東を語ることはできないだろう。海岸を見たことない人間は、陸と海をどこまで語れるだろうか。
みんなパキスタン行こう。
純粋な旅行記というより
この旅行記は、当時の日記をもとにして記憶をたぐり寄せながら、書き上げた。
しかしいざ書き出してみると、
ウルドゥー語(そして必然的にヒンディー語も)について色々語りたくなったり(ウルドゥー語は、一国の「国語」かつ話者数多い割に、日本で認知度が低い言語の個人的な圧倒的トップである)、
そもそもどうやって今のインダス平野が形成されたのか(インド亜大陸の大移動とか)も書きたくなったりした。
そのため純粋な旅行記というより、パキスタンの言語、歴史、地理、地学?的な要素を織り込んだものになった。(情報を無理やり入れ込んでいるというより、あくまで旅の要所要所で関連して興味を抱いたことを掘り下げたつもりである。)
もっと言うと、イスマーイール派とアガー・ハーンについてとか、色々書きたいことはあったが、旅行記じゃなくなりすぎるので断念した。
国試(国家試験)という旅行記の不純物
前述の要素は、パキスタンに関連するものだが、この旅行記には「より純粋な不純物」もある。
医師国家試験(国試)である。
この手の話題では極端な発言が目立つが、医師国家試験はなんだかんだで大変な試験である。
1946年に第1回が行われて以降、当然ながら年々出題範囲は拡大している。
例えばパキスタン建国の父ジンナーの命を奪った結核は、現在は多剤併用療法がスタンダードで、現代の医学生はこの複数の薬とその副作用を必死こいて覚えたりする。
しかしジンナーが亡くなった2年後である、第1回国試のときは結核に対する最初の薬ストレプトマイシンが発見されてからまだ3年に過ぎない。
「不治の病」に対しての薬がようやくできた時代である。世界が違いすぎる。
この範囲が年々膨れ上がる試験のために、数ヶ月走り続けられる人はそれほど多くない。テスト前日に部屋の掃除をするような人はさらなり。
そんな人間が現実逃避のためにウルドゥー語をかじりつつパキスタンに渡ったのがこの旅である。
そのためこの旅行記には、カラコルム・ハイウェイを寝台バスで移動しながら国家試験の勉強をするような、パキスタンと直接関連しないシーンも多い。
旅行記としては完全に余計な不純物だが、これこそが私がこのとき置かれていた状況であり、人生から完全に独立した旅行なんてものは存在しないと思うので、これらも素直に書いた。
最後に
noteでは思いつきで興味のあった短い記事を書いたことがあるくらいで、8万字近いものを書く、というのははじめての経験だった。
日記を読み返したとはいえ、数年前の記憶というものはさすがに怪しげな箇所は多いもので、パキスタン関連の書籍・論文をいくつか読んで間違いがないよう努めたつもりである。
(このせいで、私が興味ありそうな医学論文を毎週メールしてくれてたElsevierは、ゴンドワナ大陸の分裂とかヒョウモントカゲモドキの進化についての論文をオススメするようになってしまった)
これを読んでパキスタンへの旅に興味が湧いた人が少しでもいれば嬉しい限りだ。
2025年8月現在、「地球の歩き方 パキスタン」はAmazonで17,800円だが、このペースで高騰すれば40年後には1億円になるので、思いきって購入し、夏休みはパキスタンの旅程を組んでみるのもオススメである。
