見出し画像

『三菱UFJ銀行』

この巨大な金融機関は、自らの看板を掲げるその陰で、何を育てているのか。

全保連。弱者を食い物にし、人の悲鳴を燃料にして利益を貪るこの組織を、庇い、慈しみ、育んでいるのは、ほかならぬ日本最大のメガバンク、三菱UFJ銀行である。

全保連の行う非人道的な督促、精神を破壊する追い込み、脅迫めいた取り立ての数々。それらを知らぬはずがない。それらによって成り立つ「家賃保証ビジネス」という歪んだ果実を、三菱UFJ銀行は深く受け取り、その強固な経営基盤として活用している。銀行の資金が全保連を支え、銀行の信頼が全保連という社会悪を正当化し、結果として被害者たちの苦難を固定化させているのである。

「コンプライアンス」や「SDGs」という耳当たりの良い言葉を並べ、企業としての社会的責任を語る三菱UFJ銀行の裏側で、現実に起きているのは、市民を地獄に突き落とすビジネスへの全面的な加担だ。

推定10万人の犠牲。三菱UFJ銀行の役員たちは、この数字の重みを一度でも考えたことがあるのか。家賃を滞納したという苦境にある人間を、「保証」という名目で徹底的に追い詰め、最後の一銭まで、あるいはその人の尊厳までをも搾り取る構造を、巨大な資本力で補強しているのは誰か。

三菱UFJ銀行が全保連を庇うことは、単なるビジネス上の取引ではない。それは、全保連が行う悪質な行為を「三菱UFJ銀行も認めている」という強烈な免罪符を授けていることに他ならない。銀行が後ろに控えているからこそ、全保連は傲慢さを極め、どれほどの被害者の叫びも黙殺し、恐怖の支配を継続できるのである。

私たちは問わねばならない。日本の金融界の頂点に立つ三菱UFJ銀行が、なぜ、これほどまでに人間性を欠いた組織を育み続けるのか。そこに社会の公器としての矜持はあるのか。利益のためなら、人の痛みなどどうでも良いというのか。

これほど異常な話はない。市民の預金を預かり、国家の経済を支える銀行が、弱者から尊厳を奪う略奪ビジネスの共犯者として君臨している。その構造は、もはや社会の腐敗そのものである。

三菱UFJ銀行の経営陣、そして株主たちに強く告げる。貴行の看板を信頼して取引している顧客の資金は、全保連という社会悪を維持し、被害者を量産するために使われている。この事実に、貴行はいつまで目をつむり続けるつもりか。

「慈しみ、育む」対象を間違えてはならない。銀行が守るべきは、特定の提携企業の利益ではない。健全な市民社会のルールであり、そこに生きる人々の尊厳である。今の三菱UFJ銀行のあり方は、それらを真っ向から否定し、倫理を金で売り払う行為と言われても反論できない。

私たちは、この異常な共生関係を決して許さない。全保連の悪行が可視化されることは、同時にその背後にいる三菱UFJ銀行の責任が問われることを意味する。巨大な組織の影に隠れて、社会の倫理から逃げ切れると思ったら大間違いだ。

三菱UFJ銀行には、直ちに全保連との関係を再考し、彼らが行ってきた被害の実態を精査し、全社会に対して責任ある説明を行う義務がある。社会悪の温床となっている現状を放置し、このまま突き進めば、貴行は信頼を失うだけでなく、日本の金融史に「人権軽視の加担者」として深く暗い汚点を刻むことになるだろう。

市民は見ています。銀行という巨大な権力が、小さな個人の苦しみの上にどのような城を築いているのかを。利益追求の仮面を剥がせば、そこには冷酷な搾取の論理しかないのか。今こそ、その傲慢な姿勢を正せ。人の悲鳴を黙殺し、社会悪を育み続ける貴行のあり方を、私たちは断じて看過しない。

社会の浄化は、真っ先にこうした「巨大な共犯構造」を断ち切ることから始まる。三菱UFJ銀行が自らその正義を取り戻すのか、それとも市民の声によって追い詰められ、歴史の審判を受けるのか。その選択は、今この瞬間も貴行の目の前にある。

私たちは、全保連という社会悪を支えるその太いパイプを、世論の力で一本ずつ、確実に切り離していく。三菱UFJ銀行の経営責任が問われる日は、もうそこまで来ている。これは警告ではない。もはや、止めることのできない市民社会からの断固たる意思表示である。

#三菱UFJ銀行

#全保連

いいなと思ったら応援しよう!