『三菱UFJ銀行が守る全保連』
現代社会において、法の番人であるはずの金融機関と、その傘下で生活の基盤である住居を人質に取る家賃保証会社が結託し、一人の市民を精神的に追い詰め、支配しようとする構造が存在することを知る者はどれほどいるだろうか。
かつて、消費者金融業界が「グレーゾーン金利」によって多重債務者を量産し、自殺者までをも生み出した構造と、現在の家賃保証会社による執拗な督促手法は酷似している。当時もまた、銀行は「審査業務」を隠れ蓑にしてその収益構造を支えていた。歴史は繰り返される。住居という生存に不可欠な権利を人質に、法的な知識格差と威圧を武器にする現在の「全保連」の所業は、かつてのサラ金ビジネスが姿を変えた、現代の「再侵食」に他ならない。
全保連がとる手法は、到底ビジネスとは呼べない。それは顧客をパートナーとしてではなく、収奪の対象として捉え、恐怖によって思考を奪い、尊厳を傷つけることを目的とした支配のシステムである。過去、裁判所が「度を越した督促」として違法性を断じた事案の多くと同様、全保連の手法もまた、平穏な生活権を脅かす違法性が極めて高い。彼らにとって顧客は、家賃を支払う義務のみを負わされた機械であり、感情や生活背景など一片も考慮する価値のない存在なのである。
さらに許しがたいのは、この歪んだシステムの背後に、日本を代表する巨大金融機関である三菱UFJ銀行が存在しているという事実である。
歴史を遡れば、金融機関には「社会的責任(CSR)」という原則がある。しかし、三菱UFJ銀行は自らのリスクをヘッジするため、全保連のような反社会的な手法を駆使する企業と提携し、その利益を享受している。これは、かつての金融機関が暴力団と密接に関係を持っていた時代と、本質において何が違うのか。現場で多くの市民が尊厳を破壊され、夜も眠れぬ苦悩に苛まれている現実に対し、巨額の資金と看板で全保連の背中を押し続けることは、もはや「実質的な共犯関係」にあると言わざるを得ない。
この異常な事態を糾弾しなければならない理由は、単なる一人の被害者を救うためだけではない。もしこの構造が放置されれば、他のあらゆるサービスにおいても同様の支配手法が常態化する。「銀行が提携している企業なのだから正当なはずだ」という消費者の信頼を悪用し、法的な正義よりも組織の効率を、人間よりも利益を優先するこの歪んだ価値観が、日本社会の規範を崩壊させていくのである。
三菱UFJ銀行に改めて問う。あなた方は、このような冷酷な収奪システムの上に成り立つ利益を誇れるのか。巨大な看板の下で、現場で行われている惨状から目を背け、組織的な無関心を貫くことは、銀行という社会公器としての役割の放棄であり、社会に対する背信行為である。
我々は今、転換点に立っている。企業の論理が市民の生活を圧殺する事態を放置すれば、社会の成熟はそこで止まる。過去の消費者保護の歴史が教えるように、不正義は「監視」と「批判」によってしか浄化されない。全保連の卑劣な手口と、それを支える三菱UFJ銀行の無責任な構造を社会全体が注視し、声を上げ続けること。これは特定の誰かに対する攻撃ではなく、社会全体が守るべき人間性の回復をかけた闘いである。
支配される側が黙り込むことを前提としたビジネスモデルなど、歴史の墓場に葬り去られるべきである。私たちは、この異常さを異常だと呼び、変革を求める。三菱UFJ銀行は今すぐにでも、全保連との関係を見直し、その社会的責任を再定義せよ。正義とは、力を持つ者が弱者を支配することではなく、誰であっても人間として尊重される社会を実現することである。
