#5 (本編第3章) 偏った確率を採用した僕のレバナスTQQQシミュレーションモデル : 温故知新と一喜一憂
(これまでのあらすじ)
暴走する金融商品の巨人、レバナスTQQQを独自視点でシミュレーションする金融数理モデルの作成に挑む 、僕は “令和のドンキホーテ”
“偏った確率”と”四則演算”と言う縄文人並みの装備を携え、騎士道精神の代わりに”可測•有限•可算” を旗印に株式市場を放浪する。
レバナスTQQQやS&P500に連動するSPYなどの値動きをナチュラルにミミックするモデル”ABC-K6”に辿り着くまでの思考と試行とAI達との対話を通じて僕の物語は、まだまだ続く。
◯ 温故知新?
──過去という石ころを拾い上げる──
「温故知新」──
古きをたずね、新しきを知る。
言葉としては、僕にも分かる。
けれど資産運用の世界では、 過去のデータを握りしめたまま未来を語る人が多い。
グラフを並べ、 成長率やボラティリティを測り、 暴落の深さを数え、
「⭐︎年で何倍になった」と自信満々に言う。
それは便利だし、安心する。
でも、本当に未来を見せてくれるのだろうか?
未来は、過去のコピーじゃない。
そこに希望も絶望も、コピー用紙のように均一には並ばない。
だから、 「データに頼るな」と言えば賢そうに聞こえるし、 「未来は読めない」と言えば説得力は出る。
でも、僕はそのどちらも選ばない。
縄文装備のドン・キホーテ。
最強の武器は、拾った石ころ。
誰も注目しない小さな数字、
誰も語らない微細な確率の揺らぎ。
それをそっとポケットにしまい込む。
石ころは、ただの石ころだ。
でも、偶然の糸が絡めば──
それは未来を渡るための縄になる。
その縄は、
「運」と「時間」を結びつけるための道具だ。
もしかしたら、 それこそが資産が増えるという“奇跡”の正体かもしれない。
奇跡は祈るものじゃない。
拾って集めて結んでいくものなんだ。
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◯ 一喜一憂
──市場という感情装置──
相場は感情だ、と人は言う。
上がれば胸が高鳴り、 下がれば胃が冷える。
心を毎日、幸福と不安のミキサーの中で。掻き混ぜ続けるようなものだ。
僕もかつてはそうだった。
細工したコインを握りしめ、
「表だ!」「裏か…」と一喜一憂してきた。
市場が上がると人は強気に、下がると弱気になる。
けれど時間をかけて気づいた。
市場参加者の感情は**ノイズ**だ。
たくさんの感情がうねり、それが「価格」という一つの線になる。
だが線の背後にはもっとシンプルなものがある。
「”幸運と不運が、ただ連鎖しているだけ”」
恐怖は、未来を曇らせるフィルター。
欲望は、確率を歪めるレンズ。
だけどその奥にあるのは、
たったひとつの“偏ったサイコロ”が
転がる音だけだ。
だから僕は、 市場の感情より、
その奥の“偏った出目”に耳を澄ます。
上がったか下がったか──ではなく、
**なぜ、そう転がったのか。
そして、その偏りはどこから来るのか。**
僕の冒険は、 感情ではなく確率を掘る旅になった。
感情は波。
だが偏りは地形だ。
その地形こそが、
文明の中で人が未来へ賭け続ける中で生まれた確率の傾き、
そう僕の仮説 “文明確率” なのだ。
(続く)
(追記)
本記事は特定の金融商品を推奨する意図はありません。
また、僕個人の主観による誇張を伴う表現も含みます。
