#8 (本編第二部:第1章) : 偏った運を抽選する公平な抽選システム “BES³ “
ここから先は、K6モデルの中身を少しずつ具体的に紹介していきます。
まず「”幸運/不運の偏り”を、どうやって数式に埋め込んだか」という、最も中核的な部分を書いてみました。
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◯ バイアス組み込み型抽選機構
──運は作れるのか?──
未来を覗き見する僕の算数式は、哲学的にも見栄えが良くて、つい自画自賛してしまう。
だけど、現実の世界では“幸運/不運の偏り”を生み出すための道具が必要になる。
これが意外と悩ましい。
だって、ただの運任せじゃ、理論や数式にはならない。
人間が偶然を制御するには、「偏り」という名の設計思想が要る。
だからまず、”道具”に名前を与えた。
**バイアス組み込み型抽選機構**
名前を与えると、不思議と陳腐な装置でも急に使命感を帯びて見えてくる。
この機構の目的はシンプルだ。
完全なランダムではなく”ほんの少し”だけ「未来が良くなる」方向へ運を偏らせる「50+α%の幸運」と言ってもいい。
その 僅かなα%の傾きが世界を前に進める。
それが、人類が文明を築き続けてきた秘密だとしたら?
戦争があっても、災害があっても、経済は蘇る。
破壊より創造を選び続ける“本能”。
僕たちが持つ、**To be better than today** のDNA。
この装置は、ただの数理モデルではない。
**人間の希望を確率に埋め込む装置**だ。
そう、未来は気まぐれではない。
幸運は少しだけ、前に傾いている。
そして、僕たちはその傾きを自分の手でつかもうとしている。
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魂を宿した六面体
──抽選機構に“人格”を与える──
「バイアス組み込み型抽選機構」
この言葉をノートに書いたとき、僕は小さくガッツポーズをした。
名前がついた瞬間、理論は息をし始める。
実際の道具は──
そう、目の前にある *サイコロ* を使ってしまおう。
僕は偶数を少しだけ出やすいサイコロを使い、それで“わずかに幸運へ傾く世界”を再現する。
だが、人生はもっと複雑だ。
・時に静かに上昇する日があり
・時に暴風雨のように落ち込む日もある
・そして人生を変える Big Event が突然訪れる
幸運と不運には**階層と質**がある。
だから僕は決めた。
> “運の偏り”は一つでは足りない。
> “性格の違うサイコロたち”を用意しよう。
“穏やかなサイコロ。”
“荒ぶるサイコロ。”
“癒しのサイコロ。”
“裏切りのサイコロ。”
どれも、現実世界で相場の値動きを背後で操る、気まぐれな女神の顔つきをサイコロに思い描いてみた。
そして、どんな性格を持つサイコロが選ばれるかは、また別の抽選で決まる。
**公正な抽選機構で選ぶ偏り組み込み型抽選機構**
この入れ子構造こそ、人生そのものだ。
僕らは自分の運命のサイコロを選べない。
けれど、振り続けることは選べる。
僕はこのシステムを正式にこう名づけた。
**BES³
(Bias Embedded Stochastic Selection System)**
確率に異なる”偏りの方向性”を持たせ、どの”確率の偏り分布”が適用されるかを、さらに公正な確率で選び続ける仕組み。
バイアスを宿し、確率で選び、
そしてサイコロを振り続ける。
それはまるで、文明の心臓が静かに鼓動し始めた瞬間のようだった。
次回から僕の基本算数式を分解しながら、BES³による偏った確率の抽選結果で、どんな係数が決まっていくのか、何回かに分けて紹介する予定です。
未来 = [今] × [幸運/不運の偏り]
× [偶然の連鎖]
× [運の質的階層]
これの細部を詳しく書き直すと、こんな数式構造に姿を変えます。
未来={今x j1 x ( α x β x γ) x j2 x δ}x ε
(微妙に記号が増えたけど、手計算できる”掛け算式”)
K6モデルの数式構造は、一気に「あやしうこそものぐるほしけれ」な雰囲気が漂いはじめます。
(雑談) 数式の見た目と優しさ
未来={今x j1 x (α x β x γ) x j2 x δ}x ε
僕の数式、見た目が妖しいけど中身は優しいはず。
ちなみに下は、僕が大学生時代に授業の単位を落とした元凶の数式。見た目は優しいけど中身は魔王レベル。
(あくまで、個人的見解 笑)
ΔG=ΔH-TΔS
(追記)
記事文中に登場する”確率が偏ったサイコロ”は、仮想的な任意の確率を設定したエクセルまたはPythonコードで僕は代用しています。
物理的に確率を偏らせた抽選装置の実物を作製する場合、原理的には福引抽選器の使用が一番簡単、また工作としてルーレット 状の円板で中心角θを調節することで自作可能です。
(追記)
僕の記事は特定の商品の推奨または投資指南などの意図はありません。
記事中に登場する数式または数値などは僕の個人的な考察または見解を元にしており、学術的なコンセンサスまたは検証などは得られておりません。
