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#1 (序章前半) 確率の偏りと漂う時間

◯Money is Time
-時間は消えない、未来に変換される

Time is Money。
誰もが知っている。

だが、その逆を僕たちは見失ってしまっているのかもしれない。

Money is Time。

投資とは、勇気のゲームではなく、
時間を管理する工学だ。

投資資産の暴落とは価格が下がることじゃない。
TQQQを観察する僕の視点では違う。

暴落とは、未来到達までの時間が伸びること。

損失とは時間の借金。
回復とは時間の返済。

資産が増えるとは、
時間が圧縮されること。

資産が減るとは、
時間が膨張すること。

時間は消えない。
ただ、未来に変換される。

人は、なぜ Time is Money を知りながら、Money is Time を語らずに来たのだろうか?

理由はひとつ。

時間は、姿を持たないからだ。

姿のないものを、人は恐れる。

時間は見えないまま消えていくように思える。だから僕たちは、無意識に目をそらしてきた。

だが本当は違う。

時間は消えてなどいない。
お金という別の形に変換されているにすぎない。
/
響く歌声とともに
そして、静かに音楽が流れる。

Who knows where the time goes…
― Sandy Denny (1968)

Sandy Dennyが歌った永遠の問い。

時間という名の海を眺めていると、僕らが作り上げてきた確率の地形が浮かび上がる。

偶然ではない。
必然と言い切るにはまだ早い。

その間に広がる場所に、僕たちは特別な、
**細工されたサイコロ(BES³)と、未来を覗く公式(MSM³)**を持っている。

人間が文明を進めるために微かに細工を施したサイコロ。
社会が育てた偏り。人間が未来に賭けてきた歴史。

その確率地図を、
これから一緒に描いていく



◯既存金融理論への敬意と、静かな抵抗

ブラック=ショールズ。
幾何ブラウン運動。
確率微分方程式。

偉人たちが磨き上げた数式は、どれも美しい。
ただ、その美しさが、触れられるほど近いのに、まだ僕の手は届かない。

ガラス越しに光る宝石のように、
すぐそこにあるのに、
手触りすら肌に伝わらない気がする。

それは、単純に僕の勉強不足なのかもしれない。
でも、だからこそ、歩きたくなる。
自分の足で、その向こうへ。


◯令和のドン・キホーテ、登場

金融数学の巨塔へ、粗末に見える四則演算と偏りを微かに細工したサイコロを携えて向かう。

曖昧さと揺らぎ、恐れと希望を、同じ手のひらに乗せたまま。

世間は笑うだろう。
「文明の偏りを数式モデルに?馬鹿げている」と。

それでも僕は進む。
合言葉はひとつ。

可測・有限・可算

霧の山でも、
まず輪郭を測り、
数えられるものから数える。

それが、僕の戦い方だ。



◯さあ行こう。文明確率の世界へ

時間は失われない。
未来へと変換される。

投資とは恐れではなく、
時間という資源をデザインする技術。

細工されたサイコロを手に、
文明が歪めた確率を探りにいこう。

ようこそ。
Money is Time の世界へ。

ここからが、
令和のドン・キホーテの旅の始まる。

(追記)
時間は、厄介だ。

1年は12ヶ月でもあり、
52週+1日でもあり、
365日でもある。

1日は24時間=1,440分。
1時間は60分、1分は60秒。

にもかかわらず、
8年7ヶ月19週と3日が何時間かなんて、
天才ラマヌジャンのひらめきでも借りなければ、すぐには出てこない。

——時間とは、思ったより不自由な単位だ。

そこで僕は、時間をもっと素朴に扱うことにした。

「時間」ではなく「ステップ数(回数)」で測る。

値動きという名のサイコロが投げられるたび、未来は一歩ずつ現れる。

それなら、

金融市場の時間を、カレンダーや時計ではなく
“サイコロを振った回数”で進めてしまおう。

値動きというサイコロが振られるたび、未来に向かって一歩進む。

そして、もし週に1回サイコロを振るなら、1年は52回サイコロを振るという意味になる。

これは、僕たちが人間の暦にいったん立ち返るための知恵だ。

暦は、人が社会のために作った時間。
金融市場は、値動きが刻む時間で生きている。

だから僕のモデルでは、四半期決算や年末という節目は、ひとまず横に置くことにした。

数式の中で扱う時間は、もっと単純でいい。
「カレンダーで何日経ったか」ではなく、
「何回、未来が選択されたか」。

時間を単純にしても、
金融市場を観察する窓は曇らない。
むしろ、透明になると僕は思う。

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