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子育てって、誰と、どこでするの? リベラリズムと「ご近所さん」の力


ロールズさんとサンデルさん


アメリカの政治哲学で、ちょっと面白い対立があります。
一人は、ジョン・ロールズさん。彼は「リベラリズム(自由主義)」を推し進めた人で、「みんな、自分の立場がわからないとしたら、一番困る人のことを考えてルールを作るはずだ」と考えました。子育てに当てはめると、「すべての子どもは平等に、最大限の力を伸ばせるように、国や自治体がしっかり面倒を見ましょう」という考え方です。たとえば、どんな家庭の子にも同じ質の公教育を提供したり、困っている家庭に手厚い支援をしたりする、あの平等を目指す取り組みですね。
でも、それに「待った」をかけたのが、マイケル・サンデルさん。彼は「私たちは、空っぽの個人じゃないよ。家族、地域、伝統というご近所さんとのつながりの中で生きているんだ」と主張します。ロールズさんの考え方は、私たちをとりまく大切な文脈を無視している、と指摘したんです。

「うちの子」の現実は、平等な教育だけじゃ測れない

この対立を、私たちの日々の「子育て」に当てはめてみると、すごくよくわかります。
学校の先生や教育者が、すべての子どもを「同じスタートラインに立つ抽象的な個人」として扱おうとすると、どうなるでしょう?
例えば、多文化家庭の子が、家庭で話している言葉や大切にしている習慣を、学校では全然取り上げてもらえないとしたら?いくら「個性を尊重しましょう」と言われても、その子のルーツや家族の文化が軽視されているように感じ、心にポツンと穴があいてしまうかもしれません。サンデルさんの言うように、子どもは「家族の文化」という土壌にしっかり根を張って育っている存在なんですね。
さらに、イギリスの社会学者ウィリスさんが見つけた「ハマータウンの野郎ども」の話は、リベラリズムの理想が直面する大きな壁を示しています。
彼は、労働者階級の子どもたちが、学校で提供される「出世のための教育」を、わざと拒否する様子を観察しました。「こんな勉強は、俺たちの生活には関係ない。格好悪い。」「俺たちは親父と同じように、体を動かす仕事をするんだ」と。
学校の教育は、彼らにとっては自分たちの文化や暮らしとはかけ離れた、異質な文化の押し付けに感じられたのです。彼らは、自分のアイデンティティや、地域社会とのつながりを守るために、あえて親と同じ階級の道を選んでいきます。つまり、国がいくら「平等な教育機会」を用意しても、子どもたちが「自分のものだ」と感じて受け入れなければ、その「画一的な」平等は実現しない、ということです。

子育てを支えるのは、「ご近所さんの力」

この「文化の壁」や「居心地の悪さ」を乗り越えるには、どうしたらいいでしょうか?
それは、地域コミュニティの力を再発見することです。
ロールズさんのように、国がすべての子どもに最低限の生活や教育(ユニバーサルな支援)を保障することは、もちろん大切です。これは土台です。
しかし、その土台の上で、サンデルさんが言うような「文脈」、つまり子どもが実際に暮らしている家庭や地域の文化に合わせた、きめ細やかなサポートが必要です。

  1. 地域の文化を学校に招き入れる:
    地域のお祭り、伝統的な工芸、ご近所のおじいちゃん・おばあちゃんの知恵など、家庭や地域が持つ知識や習慣を、学校の授業や活動に取り入れます。子どもたちは「自分の家や地域が大切にされている」と感じられ、学校への抵抗感が薄れます。

  2. 地域主導の居場所づくり:
    コロナ禍で経済格差が教育格差に直結したように、家庭環境によっては、学校外で学習をサポートする場所が必要です。地域のコミュニティセンターやボランティアによる学習支援などは、画一的な支援では届かない、その子その子に合わせた助け舟になります。これは、子どもが「安心して自分らしくいられる第3の居場所」を提供することです。

平等と温かさのハイブリッドで

子育ては、子どもを「未来の自由な個人」(ロールズ)として大切に育むとともに、子どもが今、根を張っている「家族と地域」(サンデル)をまるごと受け入れる必要があります。
リベラリズムの目指す「平等」を本当に実現するためには、ロールズさんの「無知のベール」という思考実験に安住することなく、子どもや家庭の背景を無視せず、地域の温かい目線と多様な文化を認める姿勢を教育に取り込むことが欠かせません。
「ユニバーサルな支援(平等)」 と 「地域に根ざしたサポート(温かさ)」 のハイブリッドなアプローチこそが、全ての子どもが自分のルーツに誇りを持ち、最大限に力を伸ばせる社会へとつながっていくのではないでしょうか。
いみじくも、グローカリズム(グローバリズム+ローカリズム)につながるような話になりました。