見出し画像

傾聴とは、適用場面が明確にあるテクニック


傾聴ロールプレイのモヤモヤ

 傾聴についての研修を集中的に受けてきました。
 その研修講義で示された行動指針に従って、他の参加者の皆さんとロールプレイを行ってきました。ロールプレイを実施し始めた当初は、「うなずく」「あいづち」「オウム返し」の効果を“実感”できた気になっていました。
 しかし、回を重ねていくと、モヤモヤした不自然さを感じるようになりました。特に、「オウム返し」について、私自身もそうでしたが、ロールプレイの相手をしてくださった受講生の方たちも、都合よく会話の中に「オウム返し」を盛り込めていないという「反省」を口に出されていました。同時に、講師が見せる見本としての「オウム返し」の芝居がかった様子に違和感を持っていました。日常的にそのような返しをされたとしたら、自分はどう思うだろうかと考えてみると、子ども扱いされたような思いがするだろうなというのが正直な感想でした。

傾聴は日常会話ではない

 このような不自然さ、違和感を覚えているということを率直に講師に質問してみたところ、明確な答が得られました。
「傾聴というのは、日常的な会話ではありません。」
 要すれば、「うなずき」「あいづち」「オウム返し」などの行動指針は、ある限定されたシチュエーションにおいて効果を発揮するテクニックであり、日常会話において恒常的に用いるようなものではないということなのです。もっと言えば、傾聴というものは、対等な対話者間に成立するものというよりも、サポートする側とサポートされる側との間で片務的な関係の中で必要とされるものであり、一種のサービスであるということです。
 傾聴の研修を受け始めた際には、それらの行動指針に沿った行動が自分の心の底から表出されるように、人格や倫理として身につけなければならないものなのだと理解していました。しかし、そうではなく、むしろ傾聴とは、個々人のパーソナリティーと「相手への対応」の仕方を切り離すために必要なスキルなのです。傾聴とは、日常生活や社交の場での会話を充実させる方法論ではないということに「腹落ち」できました。

熟議と傾聴

 私は、ハーバーマスの討議倫理やローティーの「対話の継続」論に最も関心があります。熟議を成立される条件としての規範や心構え、仕組み、ルールといったものに関心があります。そのような関心領域から見ると、傾聴というものは、かなり異なった領域における実践ということになります。
 傾聴というものは、それを適用すべき場面が特定されていることを大前提として成立するものだということを踏まえて、次のステップを模索していくことになるのでしょう。