認知症、現象学、ICF
認知症はしばしば、記憶力や判断力といった「認知機能の低下」として説明されます。この理解は、認知を脳内の能力として捉える立場に立っています。しかし、現象学の視点から見ると、認知とは能力の集合ではなく、世界が意味あるものとして立ち現れる仕方そのものです。したがって認知症とは、単に機能が失われる状態ではなく、世界の意味構造が変容していく過程として捉え直されます。
1. 「行為可能性」のICF的解釈
現象学が明らかにしてきたのは、私たちが生きている世界が、物理的環境そのものではなく、「行為可能性(アフォーダンス)」に満ちた生活世界だということです。この行為可能性をICFの枠組みで捉え直すと、「環境因子(e)」と「心身機能(b)」の相補的な関係から立ち現れるのが「活動(d)」となると言えるのではないかと思います。
たとえば、目の前の椅子が単なる木製の物体ではなく「座れるもの」として現れるのは、椅子という環境因子(e1)が、私たちの「座る」という心身機能(b7 運動機能)や過去の経験に合致し、具体的な活動(d4 運動・移動)を誘発するからです。人は中立的な世界に生きているのではなく、自身の身体と環境がぴったりと噛み合うことで構成された意味世界(環世界)の中で生きているのです。
言いかえると、アフォーダンスの束として環世界が意識に現れ、それが現象学でいう志向性をもたらすということなのだと思います。
2. 認知症における「環世界」の変容
認知症において起こるのは、この環境と身体の「噛み合わせ」の崩壊、すなわちアフォーダンスの脱落です。
心身機能の変容(b144 記憶機能、b114 見当識機能): これらが低下することで、環境から意味を汲み取る力が弱まり、世界は「今、ここ」の断片へと解体されます。
活動の困難(d230 日常生活の遂行): かつては自然に行えていた「活動」が意味をなさなくなります。たとえば、蛇口という環境因子が、もはや「水を出す」という活動を誘発しなくなり、世界は自分の働きかけを拒絶する「得体の知れない場所」へと変貌します。
参加の制約(d7 対人関係): 文脈が共有できなくなることで、他者との絆という環世界の核が揺らぎ、居場所を失う経験を深めていきます。
ただし、すべての意味が失われるわけではありません。b152(情動機能)に基づく感覚や、身体に深く刻まれた習慣的リズムは保たれます。この残存する意味の地平を理解しないと、本人の不安な反応は単なる「問題行動」として片付けられてしまいます。
3. 支援の目標:ICFの要素を用いた環世界の再編
このように捉えると、支援の目標は「能力の補填」ではなく、「ICFの各要素を再調整し、意味が再び立ち現れる世界を整えること」に置かれます。
環境因子(e1 物的環境)の調整: 低下した「心身機能」を責めるのではなく、環境の方を身体に合わせます。使い慣れた道具を配置し、視覚的なノイズを減らすことで、環境が再び「こうしてほしい」と本人に語りかけ、スムーズな「活動」を導く足場を作ります。
活動と参加の再接続(e3 人的環境): 介護者が本人の身体的リズムに寄り添い、b152(情動機能)に響く安心感を提供することで、断片化した世界を「共に生きられる場所」として繋ぎ直します。
4.ICF「活動」を座標軸に据える
認知症の方は世界を喪失しているのではなく、変容した環世界の中で生き続けています。支援とは、ICFの多層的な視点を用いて本人の目に映る世界の輪郭を読み解くことです。それは、支援者の関わり方を含む環境因子を改変することで、失われてしまった環世界のアフォーダンスを再構築することに繋がっていきます。環境と身心の新しい「噛み合わせ」を見出すことで、その世界を共に成り立たせる試みなのです。
この場合、ICFは、認知症によって縮減、歪曲ししまった環世界のどこに亀裂が入っているのかを描き出すための座標軸となる訳です。そう考えると、相対的に重要になるのは、「機能」の欠損を整理することよりも、意味のある一連の動作としての「活動」のどこに課題があるのかを明らかにすることになり、そこにICFの使いどころがあるということになるのでしょう。
