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奪われる30分、守られるべき日常:「小1の壁」を問う


 小学校入学という門出の裏で、多くの共働き家庭が「30分の空白」という冷酷な壁に突き当たっている。保育園では7時半に開いていた門が、小学校では8時まで開かない。このわずか30分の差が、親のキャリアを脅かすだけでなく、子どもの安全と地域社会の平穏を根底から揺るがしている事実に、私たちはもっと自覚的であるべきだ。

校門前の危険性と地域との軋轢

 まず直視すべきは、児童が置かれる物理的な危険性である。登校時間前の校門付近は、通勤車両が先を急ぎ、ドライバーの注意力が散漫になりやすい「魔の時間帯」だ。そこへ、視野が狭く注意力が未発達な小学1年生が滞留すれば、交通事故のリスクは必然的に高まる。また、毎日同じ場所に子どもが立ち尽くす状況は、不審者にとって格好の標的となり得る。犯罪統計が示す「空白の時間」は、まさにこうした行政の隙間に潜んでいる。

 さらに、この問題は家庭内だけに留まらず、地域社会へも波及する。歩道を占拠する子どもたちが通行を妨げれば、近隣住民との摩擦や騒音問題が生じ、長年築いてきた学校と地域の信頼関係に亀裂が入る。ボランティアによる見守り活動が本格化する前の時間帯であるため、守り手不在のまま地域全体の防犯リソースを浪費しているのが現状だ。

予算の使い道

 一方で、目を転じれば、国の財政措置として、華やかな「アスリート派遣事業」などに数億円の予算が投じられてきた。子どもたちに夢を与える施策を否定はしない。しかし、検証の曖昧な一過性の思い出作りと、毎朝命の危険に晒される子どもたちの30分、どちらに公助の優先順位を置くべきかは明白だ。
 数億円の予算があれば、数百校単位で外部の見守り員を配置し、早朝の教室を開放することが可能だ。必要なのは「特別な日の感動」よりも「当たり前の毎日の安全」ではないか。子どもが不安な表情で校門の鍵が開くのを待つのではなく、明るい教室で静かに本を読んだり、談笑したりしながら始業を待てる環境。それこそが、親の離職を防ぎ、地域社会の安全を守るための、最も誠実な税金の使い道であるはずだ。