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子ども食堂の発生学

<< 苗床から芽吹く「成り行き」の必然 >>


成り行きの子ども食堂

 先日、「ボランティアのそもそも論」についての研修に参加しました。その中で、子ども食堂の発起人の方のインタビューを拝見し、活動を始める「きっかけ」とは何だったのかを話し合うグループワークを行いました。
 インタビューを見て感じた率直な印象は、何か劇的な出来事がきっかけだったというよりは、むしろ「成り行き」であったということです。また、最初から「子ども食堂」を最終ゴールに設定し、綿密なプランを立てて進んできたという感じではありません。しかし、私はこの「成り行き」という点にこそ、現代のボランティアのリアルな姿があると感じました。
 それはまるで、現場の状況に合わせて柔軟に形を変えていく、ソフトウェア開発の「アジャイル開発」の成功例を見ているかのようでした。

社会ネットワークの上の子ども食堂

 とはいえ、この発起人の方には、特筆すべき社会的なリソースの豊かさがありました。活動を考え始めた原点は、学校関係者の方との「学校給食以外には、バナナを一人で食べるしかない子がいる」という何気ない世間話だったそうです。私にとって印象的だったのは、こうした個別の困りごとや身の上相談が「なめらかに」入ってくるという、発起人の方のネットワークの在り方です。
 一見すると「いかにも」という感動的な話があって欲しいと聴衆は期待してしまいます。
 しかし、実際には日常的に非公式な情報がゆったりと流れ込み、それがある閾値を超えたときに活動が始まっています。そこには、情報を共有し、受け止めることができる豊かな社会的ネットワークが形成されていました。そのネットワーク自体が、ソリューションを生み出す「源」や「苗床」となっていたのでしょう。

子ども食堂のリアリティ

 「情報の蓄積」と「社会的なネットワーク」という二つの条件が重なり、時期が来たときに、苗床から芽吹くようにして「子ども食堂」という形が生まれた。そう考えると、お涙頂戴のエピソードがないことにこそ、深いリアリティを感じるのです。
 特別なドラマが人を動かすのではなく、日常のネットワークが地域の課題を静かに汲み上げ、必然的に結実させていく。このプロセスの「なめらかさ」を大切にすることこそが、ボランティアという営みをより身近で、しなやかなものにしてくれるのではないでしょうか。