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垂直の絆を阻む「水平の壁」:多世代交流の真のハードル


多世代交流施設はなぜ普及しない?

 多世代交流施設の研修を受け、その存在意義の大きさに圧倒された。
 孤立する高齢者、居場所を求める若者、無邪気な保育園児、そして異なる身体性を持つ障害者たち。これほど多様な人々が混ざり合い、助け合う光景は、現代社会の閉塞感を打破する最適解に見える。
 しかし、これほど有効な施設がなぜ全国に広がらないのか。その難点は、研修でも指摘された「仕掛け」の難しさと、日本社会を規定する「水平方向の管理」という病理にある。
 日本社会の制度設計は、驚くほど属性や年齢という水平な軸で区切られている。義務教育の学年制、企業の年功賃金、アカデミアの講座制、そして福祉における「高齢者」「障害者」「児童」という縦割り行政。まるで、カードゲームのカードを「きれいに」箱に整理して、悦に入っている人のようだ。
 私たちは、属性ごとに「同質」の集団で管理することを効率的とする価値観に縛られてきた。この水平方向の管理は、統治やケアの効率を上げる一方で、異質な存在同士が日常的に接続する機会を奪い去ったのではなかろうか。

多世代交流のための「仕掛け」

 多世代交流において「仕掛け」が必要とされるのは、この強固な水平構造によって、現代人が「ただそこに居るだけでは、自分と異なる属性の人と交流する術を忘れてしまった」からである。単に同じ屋根の下に集めるだけでは、属性ごとに固まってしまう。
 研修で紹介されたエピソードが、その「仕掛け」が生む化学反応を鮮烈に示していた。ある気難しく、歩行リハビリを頑なに拒んでいた高齢者が、慕ってくれる園児の卒園式を見届けたい一心で、苦しい訓練を耐え抜き、施設の庭で立派に送り出すことができたという。
 ここで重要なのは、園児が単に「守られ、教育される対象」ではなく、高齢者の心を動かし、変化を促す「起爆剤」となっている点だ。ショートフィルム『おともだち』に描かれた、園児と高齢者が対等に心を通わせる姿も、こうした相互作用の延長線上にある。

双方向のケアの主体

 子供や障害者は、決して一方的にケアされるだけの存在ではない。彼らの存在そのものが、他者の「誰かの役に立ちたい」という本能的な意欲を呼び覚ます。
 このダイナミズムを活かすことこそが多世代交流の本質だが、こうした予期せぬ変化や摩擦を伴う交流をデザインすることは、効率性を最優先してきた従来の組織が最も苦手とする領域である。管理のしやすさを優先し、リスクを忌避する傾向が、事業者の躊躇を生んでいるのではないか。
 多世代交流施設を広めるためには、単なる箱モノの建設ではなく、社会を縛る「水平分割」というパラダイムからの脱却が必要だ。水平に区切られた安住の地を少しだけ開放し、垂直方向のつながりを取り戻す。互いが互いの「ケアの主体」となり得る「仕掛け」をデザインすることこそが、成熟社会における新しいインフラの姿なのである。