「お金をかけないと、うちの子は脱落する」は本当か。——年収200万の母子家庭で育った私の答え
はじめに(この記事について)
これは、私の自己紹介を兼ねた、この発信の"宣言"です。
私は、当時の世帯年収が200万円ほどの母子家庭に育ちながら、教育の課金ゲームに乗らず、子ども時代を犠牲にもせずに、一定水準の学歴と望むキャリア、そして結果的に資産も手に入れました。この「落差」の話を、これからしていきます。
テーマは一つ——「教育に十分なお金をかけられない家庭でも、子どもの将来を諦めなくていい」。「お金をかけないと、うちの子は脱落する」という不安を抱える親に向けて、具体的にはこんなことを書いていきます。
何にお金を払うべきで、何には払わなくていいのか(=過払いをなくす)
本当は受け取れるのに、取り損ねがちな公的支援の取り戻し方
そうして取り戻したお金と時間を、どう子どもに向け直すか
そしてこれは、いま子育ての真っ最中にいる私自身の家族のための実践でもあります。前置きはこのくらいにして、まず私が何者かを話させてください。
私は何者か
私は地方都市の母子家庭で育ちました。当時の世帯の年収は、だいたい200万円です。私立に通うようなお金はどこにもなく、高校受験も大学受験も、私立は併願すらせずに国公立だけを受けました。それでも超貧困というわけではなかったので、塾にも通っています。ただし、いちばん費用対効果のいいところを選んで、必要な分だけ。部活のほうは、週7の運動部にがっつり打ち込んでいました。——そういう育ち方のまま、現役で旧帝大の理系に進みました。
進学後も学業に力を注ぎ、学費の免除を受けました。生活費は、アルバイトと奨学金でまかなっています。
大学を出たあとは、成長産業に身を置きました。さらに、創業初期メンバーとして事業と組織を作り、拡大していく経験もしました。その会社はやがて上場し、いまも持続的に成長を続けています。
その一方で、社会に出て初任給をもらったその月から、実家のローンをずっと肩代わりして払い続けています。
お金に余裕があったわけではありませんが、20代のうちに年収は1,000万円を超えました。会社の成長もあって、いまでは株式と投資用不動産を中心に、資産は数億円になっています。そうして、家族を養い、子どもを育てる側になりました。
正直に打ち明けると、こうした数字を並べるのは、かなり気が引けます。誰かにマウントを取りたいわけでは、まったくありません。そもそも、自分がすごいとも思っていないのです。
それでもあえて書くのは、ある程度の"証明"を省いてしまうと、これから話すことが、ただ耳ざわりのいいだけのきれいごとに聞こえてしまうからです。お金をかけずに育った人間が「お金をかけなくていい」と言っても、それだけでは説得力がありません。だから、結果のほうを先に開示しておきます。
私がいちばん伝えたいのは、この一点です。——こうした結果を、私は、教育の課金ゲームに乗らず、子ども時代を犠牲にすることもなく手に入れました。 普通なら払うはずの代償を、私は最小限にしたのです。この「落差」こそが、この記事の出発点になります。

私がこれを書く3つの意図
1つめは、発信の拠り所とスタンスについてです。
これから書くことは、私自身と、私を育てた母の経験がもとになっています。ただ、母が子育てをした時代と今とでは、制度も、お金のかかり方も、子どもを取り巻く環境も、ずいぶん変わりました。だから私は、昔のやり方をそのまま「こうすればいい」と差し出すつもりはありません。当時の経験から、残しておくべき"芯"だけを取り出して、また多くの優秀な仲間や後輩の知見も補強しながら、いまの時代に合う形で伝えていきたいと思っています。そしてそれすらも、絶対的な正解としてではなく、あくまで叩き台として、より良いやり方があるなら一緒に考えていきたいのです。
2つめは、子を育てる一人の親としての目線です。
私はいま、子育ての真っ最中にいます。過去を懐かしむ評論家として書いているのではありません。おそらく多くの読者の方と同じように、悩みながら子を育てている親の一人として、現在進行形で考えていることを書いています。
3つめは、自分と家族のためでもある、ということです。
過払いをなくし、それによって浮いたお金と時間を、子どもへの本当に必要な投資と、家族と過ごす時間に充てる。そうやって、私自身の家族も含めて、みんながより良い未来を描けるようにしたい。きれいごととしてではなく、自分ごととして、これを続けていくつもりです。
もうひとつ、長い目で願っていること
少し大きな話になります。この発信が、巡り巡って、少子化を和らげるほんの一助にでもなれば——とも思っています。
ことわっておきたいのは、子どもを産むかどうか、何人育てるかは、完全に個人の自由だということです。たくさん産むのが偉い、なんてまったく思っていません。ただ、「本当は産みたいのに、お金を理由にためらう」——そういう声は、確かに少なくありません。そこだけは、少しでもほどけたらいいと思うのです。「お金をかけすぎなくても大丈夫」と心から思えたら、ためらいの一つは消えるかもしれませんから。
一個人のnoteで社会の課題が解決するなんて、大それたことは思っていません。太平洋の海水をバケツ一杯分だけ綺麗にするくらいの影響しかないでしょう。それでも、やらないよりマシなら、やります。私はそのくらいの気持ちで、これを続けていきます。
「お金をかけないと脱落する」という恐怖
いま、子育ては静かに課金ゲームになっています。
「お金をかけないと、うちの子は脱落する」。この恐怖は年々大きくなっていて、物価が上がり家計が苦しくなるほど、かえって膨らんでいきます。そして残酷なことに、いちばん資力の乏しい家庭ほど、この恐怖を深く抱え込んでしまうのです。かつての私の家も、まさにそうでした。

敵は、お金でも学歴でもない
ここで、どうしても誤解してほしくないことがあります。
本来、子育てとは学歴やお金を得ることではありません。そうではなく、子どもが成長して自立する力を養い、本人の幸せを実現できるようにすることのはずです。学歴やお金はそのための手段でしかないのに、いつの間にか目的そのものと取り違えられてしまう。そういうケースが、とても多いと感じています。
一方で、学歴も、お金も、仕事の成果も、それ自体が悪いわけではありません。むしろ私は、それらを「必須ではないけれど、持っていれば確実性を上げてくれる、いい武器」だと考えています。だから「そんなものは捨てて、ゲームを降りてしまえ」とは言いません。武器は、あったほうがいいに決まっています。

本当の敵は、武器そのものではなく、武器をめぐる3つの態度のほうにあります。
過払い:脱落するという恐怖につけ込まれ、必要以上のお金を教育に注ぎ込んでしまうこと。
取り違え:本来は手段でしかないはずの「学歴」「資産」「職歴」を、いつのまにか人生の目的そのものと取り違えてしまうこと。
犠牲:その武器を手に入れるために、子どもの「いま」の幸せや、親子で過ごす時間、親自身の心の余裕までも差し出してしまうこと。
念のため言い添えておくと、私は塾や受験そのものを否定しているわけではありません。実際、私自身も塾は使いました。受験も本気でやりました。ただ、いちばん費用対効果の高い使い方を選んだだけです。敵は「塾」や「受験」という手段ではなく、「過払い」という態度のほうにあります。この2つを混同しないこと——それが大切なことだと思っています。

だから、まずやることは2つだけ

話を、できるだけ具体的にしておきます。私が提案したいのは、さしあたって2つだけです。
ひとつは、使わなくていいお金を、使わずに済ませること。家計から静かに漏れ続けているムダを止め、そして本当は受け取れるのに取り損ねている公的な支援を、きちんと取りに行く。これは気持ちの問題ではなく、調べて手続きをすれば誰にでもできる、具体的な作業です。

もうひとつは、そうして取り戻したお金・時間・気力を、子どもに向け直すこと。浮いたぶんを、また別の課金に回してしまうのではなく、親子で過ごす時間や、子どもとの関わりそのものに使う。

そしてその先に、3つめのこと——「自立して、幸福を感じられる力」が、少しずつ滲んでくるのだと思っています。ただ、これを最初から看板に掲げてしまうと、途端に薄っぺらい精神論になってしまいます。だから、声高には言いません。あくまで、上の2つを地道に続けていった先に、結果として現れてくるものとして置いておきたいのです。
うちの母は、特別な人ではなかった。なら、再現できるのでは
「あなたのお母さんが、優秀で教育熱心だったのでは?」
そう思う方もいるかもしれません。確かに母は、私を思い、自分なりにできる限りの努力をしてくれたと思っています。自慢の母であり、感謝もしています。
とはいえ、立派な経歴を持った人ではありません。病院の事務や、パートの仕事をしながら、女手ひとつで家計を支えてきた、ごく普通の母です。特別な学歴があるわけでも、すごい資格を持っているわけでもありません。収入だって多くはなく、頼れる裕福な実家や人脈があるわけでもありません。そして何より、親がひとりということは、二人そろっている家庭よりも、単純に手が足りない。一時期は、自分の親の世話まで抱えていました。
冷静かつ客観的に見れば、特別だったと言える事実は、どこにもないのです。
それでも母は、お金も時間もない代わりに、とにかく必死でした。受け取れるはずの支援制度を一つずつ自分で調べ、取りこぼさないようにする。家計の漏れも、面倒がらずに地道に塞いでいく。何か特別な才能が要ることをしたわけではありません。ただ、諦めずに調べて、ちゃんと動いた。本当に、それだけのことなのです。
私が課金ゲームに乗らずに済んだのは、母の頭が人より特別に良かったからではありません。特別な人ではない母にも手の届く範囲のことを、母が極力取りこぼさなかったからです。——だとすれば、これはきっと、他のご家庭でも再現できる。私は、そう信じています。

これは「正解」ではなく、ひとつの叩き台
最後に、大事な但し書きを2つ、置かせてください。
1つ目。私は冒頭で書いたとおり旧帝大は出ましたが、東大ではありません。
収入や資産もある程度は築きましたが、年収数千万円のトッププレイヤーでも、気鋭の起業家でもありません。
その他に、特別な実績や才能があるわけでもありません。
どの領域においても、トップではないのです。けれど一方で、凡庸なスタート地点から、ある程度の位置まで到達した事実もあります。
だからこれは唯一の正解ではなく、ひとつの有効な叩き台として活用してほしいのです。
ここを足がかりにして、あなたのご家庭にもっとよく合うやり方を見つけてもらえたなら、それが私にとって、いちばん嬉しいことです。
そしてもうひとつ。
あくまで私が再現してほしいと願うのは、学歴やお金といった武器は、教育の課金ゲームに乗らなくても、子ども時代を犠牲にしなくても、ちゃんと手に入れられる——その"ルート"のほうです。
もちろん、テーマによっては学歴やお金にフォーカスすることもあります。ただ、そうした武器を手に入れる方法論だけを発信したいわけではありません。
そのことを、私自身の発信のバランスそのものでも示していきたいと思っています。
この発信について
「課金しない子育て」では、〈お金をかけすぎなくても、子どもの将来は諦めなくていい〉という立場で、家計の見直し・使える支援制度・お金をかけない教育を、具体的に書いていきます。
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