遠足で隠れて食べるお弁当の時間と運動会のお弁当の時間が大嫌いだった少年の頃の思い出。
私は今でも、遠足の時に使った小学時代のリュックサックの匂いが、なぜだか好きなんですよ。
いつもリュックサックの中の匂いを思い出すような香りを嗅ぐと、林檎のような懐かしい香りがしていた記憶が蘇り、巻きずしをお弁当にして出かけた小学校の遠足を思い出すんですよね。
でもリュックサックの匂いは好きでも、遠足のお昼のお弁当の時間は大嫌いだった。
子どもは残酷なのよね。
気遣いもできなければ、言葉に思いやりを込めることも苦手だから、直球で傷つくことを平気で言えるのよ。
私はそんな同級生たちの放つ言葉の被害者にならぬよう、いつも構えていたんです、だから、遠足の時のお弁当の時間は、みんなの前では決して弁当を広げることをしなかったんですね。
みんなに弁当の巻きずしの出来具合がきれいじゃないと、からかわれることが分かっていたから、みんなから離れた場所に隠れてお弁当を食べていたんですね。
あるときの遠足で、他にも2人、同じように隠れるようにして弁当を食べようとしている仲間を見つけたときは、妙に嬉しかったもんです。
遠足で似たような行動をとる同級生がいることが分かって、仲間ができたようでとても嬉しかったんですね。^^
それとなく様子をうかがうと、一人は塩味だけのお握りに、ラッキョウの漬物だけの弁当を持参していました。
もう一人は、大人が使うアルミの大きな弁当箱に、アク巻きという郷土料理の一種である粽(ちまき)が入っているだけの、なぜか不思議なお弁当だったんですよ。
二人の弁当に比べたら、まだマシだった親父手製の、不細工だけど一生懸命作ってくれた遠足弁当の巻きずしが、少し豪華に見えたくらいだったのね。
彼らには両親がいたんだけど生活に余裕が無くて、塩お握りとラッキョウだけの弁当だったり、アク巻きだけの弁当を持たされていたんですね。
その点、裕福じゃ無いけど母親がいない分、他の家庭の子どもたちと同じような弁当を持たそうと、朝早くから巻きずしを作ってくれた親父には、感謝の言葉しか無いですね。
そうそう、私が彼らに声をかけて、3人で一緒に食べようと言ったんです。
お握りとアク巻きに、親父手製の巻きずしを加えて真ん中に広げて、それぞれ交換しながら食べたんですよ。^^
そうやって仲良く3人で弁当を食べているところを、他の同級生に見つかってしまったんですね。(´д`;)
彼らは私たちが囲んでいる弁当を見ると、笑い転げるようにしてみんなのもとに駆け戻ると、大発見でもしたかのように笑いながら大騒ぎしたんです。
それからなんですね、塩お握りとラッキョウの同級生は、あだ名がラッキョになってしまったんですよ。
額が広くてアゴがほっそりしており、上目遣いで人を見る顔つきも、どことなくラッキョウを思わせたんですけど、ひどいあだ名でした。(/_;)
もう一人のアク巻き男は、何を言われても笑い飛ばすもんだから、アク巻きというあだ名にはならずに済んだんです。
その代わりに良かったのか悪かったのか、両親が入れ込んでいた新興宗教のせいで、オキョウというあだ名が付いてしまったのですよ。(´д`;)
遠足の時の昼食時間が、母親がいないことをことさら浮き上がらせるもんだから、とてもイヤな時間でしたね。
運動会の昼食時間も同じで、みんながそれぞれ家族ごとに輪になって、楽しそうにご馳走の入った重箱を囲む姿を、見たくなかったんですよ。
いつも離れた場所で隠れるようにして、持たされた弁当を手早く食べてしまい、やることも無く人気の無い場所をウロウロするのが、運動会の時の私の昼食時間だったんですね。
隠れるように集団から離れる私を見つけて、一緒にご馳走を食べたらどう?と声かけしてくれる同級生の母親もいるんだけど、その声かけが私には一番辛かったですね。
声かけするな、みんなが見るじゃ無いか、みんな注目するな、惨めな思いを増幅させるな、そんな思いで振り切るのが、いつものことだったのよね。
だから中学までは、運動会や遠足のお弁当の時間が、嫌で嫌でたまらなかったんですよ。(/_;)
みんな同じお弁当にすればいいのに、といつも思っていたんですが、この小学校と中学校時代に、私の感受性には磨きがかかったんだと思うのよね。
そんな風だったから、転校してきたばかりで周囲になじめずにいる子とすぐに友達になった。
転校生は泣き虫だったうえに、引っ込み思案で自分の意見を言い出せない子だったのよね。
転校してきた翌日にさっそくトイレを我慢できずに、授業中にお漏らしをしてしまったんですよ。
教室中に臭いが漂い始めて、みんなが鼻をヒクヒクさせながら犯人捜しをする中で、真っ赤な顔でモジモジしていたのが、一番後ろの席をあてがわれた転校生だったんです。
先生が臭いに気付いて、転校生を教室外に連れ出すと、泣きながら出て行ったまま、その日はとうとう教室には帰ってこなかった。
先生に申し出て、転校生のランドセルを自宅まで届ける役目を引き受けたんですよ、転校生の自宅の見当が付いたから。
いつもの遊び場近くの町営住宅に、ごく最近になって引っ越してきた転校生の家は、聞かなくてもすぐ分かったのね。
町営住宅の小さな玄関でランドセルを母親に渡すやりとりを聞きつけて、奥から転校生が顔を出したので笑って、明日学校でね、と挨拶して帰ったのだけど翌日になっても来なかったので、次の日は登校前に迎えに行ったのよ。
準備はできているのに、グズグズして出かけない転校生に、母親も手こずっていたようで、満面の笑みで私を迎えてくれました。
なんとか説得して一緒に登校したけど、教室に入った途端に、ウンコたれ!の声が飛んで、席に着くやいなや机に突っ伏して泣きじゃくり始めたのよ。
来たがらない転校生をなだめて一緒に登校した手前、みんなからかばってあげたけど、その日から泣き虫の転校生は「ウンコたれ」があだ名になってしまったのよね、かわいそうに。(/_;)
ウンコたれと言って、からかう同級生の楯になって、いつも行動を共にしていたんだけど、そのあだ名を返上する間もなく、泣き虫の転校生はまた転校していったんです。
転校してきて1年ばかりでまた転校した理由が、ウンコたれのあだ名のせいなのか、それとも親の事情なのかは分からないままでした。
彼の母親が、私を誘ってくれて転校生と母親の3人で地元の海に、写生に出かけたことがあるんですよ。
そんな体験は初めてだったので、父親に言ってベニヤ板で急ごしらえしてもらった手製の画板を抱えて海まで同行したんですが、彼の母親のおもてなしぶりに、お母さんっていいもんだなぁ・・・・・・そんな思いで羨ましかったのを覚えている。
まるで運動会や花見のご馳走みたいだったのよね。^^
社会人になってから、ラッキョと偶然再会したことがあるのよね、タクシーの運転手として働く彼のタクシーに偶然乗車したのですよ。
すぐ、ラッキョだと分かった私は、彼に声をかけて近況を話し合ったんですが、懐かしかったですね。
それから35年後に再会した時には、建築大工の棟梁になっていたラッキョ。
聞けば運転手時代に通っていた食堂の家付き娘と、懇ろになって結婚したあと、腕に職を付けて食べていけるようにと、建築の方に鞍替えしたらしい。
オキョウのほうは、40年ぶりの同窓会で顔を合わしたあと、帰省するたびに連絡が来るようになりました。
オキョウは自分も熱心な新興宗教の信者になったもんだから、最初の結婚はそれで破綻して、つい最近中国出張の工場回りで知り合った現地工場勤務の中国人女性と、再婚したよって連絡が来たんですよ。
再婚した女性を迎えて食事会をしたんですが、年の差がありすぎることにビックリ仰天、親子の年の差どころか、孫と爺さんの年の差だったのよね。
最近生まれた子どもが成人するまで現役でがんばると言うけど、きっとムリだろうね、持たんよカラダが。(´д`;)
オキョウは、選挙があるたびにメールや電話があるので、元気で暮らしていることがすぐ分かるのですね。
泣き虫の転校生は、今どこで何をしているやら、もう名字だけしか思い出せなくなっているけど、N山クン、元気かい?
N山クンにとっちゃ、思い出したくない思い出だろうけど、いつか笑い話のネタにして一緒に呑みたいね、だって君との思い出で残っているのが「ウンコたれ!」なんだから仕方がないよ、ね。(´д`;)
それにほら、近頃は大人気じゃないの、ウンコって!
意外とどこかで「昔のオレはウンコたれだったんだぞ!」なんてブームに乗っかっていたりして・・・。
ラッキョとオキョウと、泣き虫の転校生ウンコたれが、小学校時代をほのぼのと思い出させてくれるのだ。
ってことで 今回は
「遠足で隠れて食べるお弁当の時間と運動会のお弁当の時間が大嫌いだった少年の頃の思い出。」という話でした。
では!
めもりあーるも のほほんと。
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