森の山紫陽花を採ってきて甘茶にしようとした人がいた
スタートを間違うと、大変なことになる
甘茶(あまちゃ)の栽培研究をしている。
まだ、 YAQも株が十数本しかない。
今、まさに増やしている最中だ。
先日、畑に視察の申し込みが一件あった。
来られたのは、
甘茶を自分でも育ててみたい、という方だった。
甘茶の苗を探しているということだった。
正直に言うと、
渡せるほどの苗が、YAQの畑にはなかった。
(事前にはお伝えしたが、、、、)
まだ未熟な苗なので、
挿し枝で増やす枝取りもまだできない。
苗株は無理でも
枝だけでも渡したいのは山々だが、
今回はお断りした。
その方は、がっかりしながらも、こう続けた。
「それなら、家の裏山の森に
山紫陽花がたくさんあるので、
それを採ってきて増やそうと思います」
その場では、なるほど、と流しかけた。
甘茶は山紫陽花の仲間だと聞いていたからだ。
でも、帰り道、ずっと引っかかっていた。
たしか山紫陽花と甘茶は、
同じもの、ではないはずだ。
甘茶は、アジサイ属の落葉低木。
正確には、ヤマアジサイの変種にあたる。
面白いのは、生の葉は、甘くない。
むしろ、苦い。
夏から秋にかけて葉を摘み、
発酵させ、揉んで、乾燥させる。
そうして初めて、
葉に眠っていた甘みが引き出される。
フィロズルチンなどの成分によって、
砂糖の数百倍ともいわれる甘さが感じられる。
摘んだだけでは、甘くならない。
人が手をかけて、はじめて甘くなる植物だ。
この甘茶は、仏教の行事とも深く結びついている。
4月8日の花祭り。
誕生仏に、甘茶を注ぐ、あの風習だ。
日本では、奈良時代にはすでに行われていたとみられる。
千年以上、
甘味料としてだけでなく、信仰の道具として、
日本人と付き合ってきた植物。
新しい甘味植物とは、時間の厚みが、まるで違う。
その甘茶の産地が、今、消えかけている。
かつて生産量が全国一だった長野県の信濃町でも、
農家の高齢化と、
古い株が夏の暑さに耐えられなくなったことで、
生産が激減しているという。
ちなみにYAQはご縁あって信濃町から譲り受けた枝から
苗作りを始めた。
岩手の産地でも、需要に供給が追いついていない。
一部の地域に残るのみで、
その地域でさえ、次の世代に受け継がれていない。
だから、あの視察の方が、
どこかで調べて
「森から採ってこよう」と考えたのも、無理はない。
手に入らないなら、
身近にある似たものを。
それは、とても自然な発想だ。
でも、調べれば調べるほど、
山紫陽花を甘茶の代わりにするのは、無理があった。
甘茶は、たしかにヤマアジサイの変種で、
外見も、よく似ている。
でも、決定的に違うのは、たった一点。
葉に、甘みのもとになる成分を持っているかどうか。
普通の山紫陽花の葉には、それがない。
似ているのは、姿かたちだけ。
中身は、別物なのだ。
「アジサイ属」という同じ括りの中に、
甘みを持つ系統と、持たない系統が、同居している。
見た目だけで見分けるのは、
専門家でも、簡単ではない。
もし、森から採ってきた山紫陽花を、
甘茶のつもりで植えてしまったら、どうなるか。
数年後、葉を摘んで発酵させて、
はじめて、甘くならないことに気づく。
そこまでにかけた年月が、そのまま消える。
年月だけでなく、その間注いだ、アマチャ愛も。
もっと現実的な問題は、
その株が、本物の甘茶の近くで育っていた場合だ。
今後、その方が本物の甘茶の苗を手に入れた時、
株分けや挿し木の過程で混ざり、
次の世代には、見た目だけでは区別できなくなる。
栽培する人の善意とは、無関係に。
急いで増やそうとした結果、
かえって、遠回りになる。
YAQは生薬菜園や薬草の栽培の普及を
一つのライフワークにしていきたいと思っている。
今後、視察に来てくれた方々、
そしてアマチャが好きな方、興味を持つ方に
やはりちゃんと自信を持って、
「アマチャと山紫陽花は違うもの」と伝えなくてはいけない。
YAQ(ヤク)は八ヶ岳の森に棲む小さな語り部。
薬草と野菜が育つ森と畑を観察しながら、
自然と経済のあいだを歩いている。
