人生観 │ 潮風に晒された鉄の棒

今日、知人から突然の電話がかかってきた。
実に5年ぶりだ。
「もしもし、お久しぶりです。どうなさいましたか?」

私の挨拶もそこそこに本題を切り出す相手。
「トラックドライバーにならないか?鉄パイプを運ぶ仕事なんだけど」

ふむ……とてもありがたい返事だ。
そして5年もの間、音沙汰無しの縁を大切に扱ってくれたことを含め、礼を言う。

私は私の現状を全て伝えた。

彼はこう言う。
「こういう内容で給料はこれだけ。頑張り次第でステップアップも狙える。八起君の指導は俺がさせてもらう——スパルタだけどね!でもホワイト企業だと思うよ!」

さらに彼は続ける。
「障がい者手帳だって?うちの息子も持ってたけど、この前返納した。それからは頑張って働いてる。」

昔の私なら泣いて飛びついたであろう。
起死回生。千載一遇。

でも今の私は、立場も住む場所も社会的地位も——。
何もかもが中途半端なんだ。
それにね、障がい者手帳って、庇って欲しいから持つもんじゃないんだよ。
病気や障害があるから、持ってるんだ。
根性で返納できるって考えは、ちょっと違う。

あと一か月——彼からの返事が遅かったら、私の体制は整い、応えは違っただろう。

今の私はまず家を見つけ、生活に慣れ、リワークを受ける。
そして就職。
短期間にこなさなければならないことが山積みなんだ。

その仕事も、私の心を折らないような、配慮のある仕事でなければならない。
弱い人間と思うだろう?
そうさ、弱いさ。

私は『潮風に晒された鉄の棒』だ。

心の芯まで浸食されてボロボロだ。
だからこそ計算や調整を必要とする動作が必要なんだよ。

さて、この誘い、受けるべきかどうすべきか。

私はもう競争や昇進、ステップアップなどは全然興味無いんだ。
昔は「ステップアップ」「給料アップ」に興味があった。
ファミリーカー?高級車?
でも今は、全然興味ないなぁ——。
息子を成人まで養う金くらいは用意してる。
皮肉にも、前職の過剰労働で得た金がそうさせている。

私は疲れている——。
公園を散歩して路傍の草木や天候の移ろいを観察する。
それを私の文章の一部にする。
それが私にとって、たまらなく楽しいんだ。
今の私にはそれが必要なんだ。

まぁ——普通の生活態度じゃないよね。
それでいいんだよ。型にはまらない感性の人間もいるんだ。
私は、やっと自分を見つめることができたんだ。
その視線を逸らしたくないんだ。
いい車や家に住むことがいい人生とは限らない。

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