『ROMA』久しぶりに「死って嫌だな」と思った映画の話【ネタバレあり】
観終わった瞬間、少し混乱した。
白黒。画角固定。BGMなし。映画の文法としてはかなり異質なはずなのに、観ている間は全く違和感がなかった。135分間、自分がメキシコシティのローマ地区にいた感覚がある。それなのにエンドロールが流れた途端、「あれ、私はどこにいるんだっけ」となる。
後から冷静に思い返すと、この映画は工夫されすぎている。白黒なのに。固定画角なのに。音楽がないのに。観ている最中はそのどれにも気づかせない。 中を開くとどんどん意味が追加されていくような構造をしていて、ちょっと脳が追いつかない。
あらすじ(ネタバレなし)
1970年代初頭、メキシコシティのローマ地区。中産階級の白人家庭で働く先住民の家政婦クレオは、子供たちの世話、掃除、洗濯と、家のすべてを支えている。一方で彼女の人生は、恋人の裏切り、望まぬ妊娠、そして社会の底辺に置かれた先住民としての現実と同時進行していく。
床の水面に映った空── 冒頭が仕掛ける伏線
ド頭のショットからして異常だ。
タイル張りの床に水を流す。泡立つ石鹸水がゆっくり広がり、その水面に空が映る。飛行機が横切る。ただそれだけのショットが数分続く。
最初は「掃除をしている映像」としか見えない。でもこの映画を最後まで観た後に思い返すと、あのショットが映画全体の構造を予告していることに気づく。地面の水に映った空──クレオの視線は下を向いている。彼女が見ているのは床であり、水であり、自分の労働だ。空は彼女の目に入っていない。反射しているだけ。
この冒頭が、ラストでどう回収されるかは最後に書く。
ガレージと車── この夫婦に愛はあったのか
序盤から繰り返し映されるガレージのシーン。主人の夫が大きな車を慎重に入庫するところから始まり、やがてその夫がいなくなり、妻が同じ車を雑に運転してぶつけまくるようになる。
あのガレージを見るたびに思った。この夫婦、はじめから愛なんてなかったのでは?
車がどんどん傷ついていくのは、関係が壊れていく様子そのものだ。でも車はいずれ買い替えられるし、壊れたことにすら気づかないふりができる。人間関係と同じだ。
そして思い返すと、この映画にまともに共存できている男女がどこにもいない。主人夫婦。フェルミンとクレオ。後に出てくる家具屋で撃たれた男とその恋人。すべての男女関係が、破綻しているか、死で終わる。 それなのに映画のトーンは静かなまま、誰もそのことを大声で嘆かない。淡々と壊れていく。淡々と、次の日が来る。
フェルミンという男── 武術のキレだけはいい
フェルミンが登場するたびに、映画が少しだけ違う空気を帯びる。
武術を見せるシーン。キレだけはいい。堂々としていて、クレオが惹かれるのも分かる。でもそれ以外は全部クソだ。
クレオの恋人でありながら、妊娠を告げられた途端に逃げる。映画館で「トイレに行く」と言って、そのまま消える。再会した時には、クレオに銃を向ける。直接手を下したわけではないが、実際に殺したのはお腹の中の赤ん坊だ。 あの恐怖とストレスが死産の引き金になったことは、映画が台詞で説明しなくても分かる。
ただ、ここで一つ考えたことがある。クレオがフェルミンに惹かれたのは、「恋」だったのだろうか。 あの若さで住み込みで働いている。自分の家族と過ごした時間は少なそうだし、自分の居場所と呼べるものもない。子供が欲しかったからではなく、「自分を守ってくれる存在」が欲しかったのではないか。 子供ではなく、親。庇護してくれる誰か。
だからこそ、あのクソみたいなフェルミンにも縋った。武術のキレだけはいい男に。そして裏切られた。
変わるもの、変わらないもの── 飛行機はいつも飛んでいる
映画が進むにつれて、クレオの周りの環境がすごいスピードで変わっていくのが分かる。恋人がいなくなり、主人の夫がいなくなり、お腹の子供もいなくなる。
冒頭あたりのローマの街は、まだメキシコ人の領土という感じだった。でも終盤になるとほぼスペイン系の住人しかいない。サラッと描かれているけれど、これは静かな侵食だ。個人の人生だけでなく、街そのものが変容していく。映画はそのことを一度も説明しないが、背景の人物の顔つきや言語が変わっていくのを見れば分かる。
でも、変わらないものもある。
ベレス家の前を、必ず謎の音を立てて通る人がいる。映画の序盤にも終盤にもいる。飛行機が空を横切っている。何度も、何度も。最初から最後まで、空には飛行機が飛んでいる。
人の人生はあっという間に壊れるのに、飛行機はいつも通り飛んでいる。その無関心さが逆にリアルで、少し残酷で、でもどこか安心する。世界が自分を置いていっても、空は同じ場所にある。
山火事の中で歌う人── 自然の脅威オンパレード
年末のパーティーのシーン。山火事が燃えている。その炎の中で、歌を歌うひとがいる。
あれは何なのか。正直まだ分からない。分からないけれど、燃えている中で歌うという行為そのものが、この映画の態度を象徴しているような気がする。 世界が燃えていても、歌う人は歌う。崩壊の中にいても、日常は続く。
この映画は「自然」の描き方が独特だ。自然を美しいものとして撮らない。自然は「いつもそこにある」けれど、時々怖い。 地震が来る。波が子供をさらおうとする。雹が降る。山火事が燃えている。自然の脅威がオンパレードのように散りばめられている。
でもそのどれもが、大惨事として描かれるわけではない。地震は数秒で終わり、波は引き、雹はやむ。自然は暴れるが、すぐに静まる。人間のドラマのように引きずらない。 その淡白さが、逆に人間の苦しみの長さを浮き彫りにする。
家具屋の射殺── どんなホラーよりも「死」だったシーン
そして中盤以降、映画の空気が一変するシーンが来る。
クレオたちが家具を見ている。窓の外が騒がしくなる。銃声。人が倒れる。それだけだ。
これが、この映画で最も強烈だったシーンだった。海のシーンでも、死産のシーンでもなく、家具屋。
ここ最近見たどんなサスペンス、どんなホラーの殺人シーンより、あれは「死」だった。作り込まれた恐怖ではなく、ただ人が死んだという事実だけが残る、あっけない死。 演出で怖がらせにこない。音楽で煽らない。ただそこで誰かが撃たれて、倒れて、動かなくなる。
久しぶりに「死って嫌だな」と思った。ホラー映画を100本観ても感じなかった感覚を、このシーンが一発で突きつけてくる。
そしてその直後。家具屋を出たクレオたちが見るもの──死体を抱いて泣く女。彼氏か夫か分からないけれど、撃たれた男にすがって泣いている誰か。
あの女のような存在が、フェルミンにはいないだろう。 あの男が倒れても泣いてくれる人は、どこにもいない。そういう人間だ。フェルミンのその後を映画は何も語らないが、その沈黙が全てを語っている。
浜辺の少年と、溺れかけた記憶
終盤、家族で海に行くシーン。浜辺で子供たちが遊んでいるとき、少年が突然「昔、溺れかけた」と話し出す。
あの唐突さが引っかかった。何気ない日常会話として流れていくが、数分後にクレオが実際に波に向かっていくことになる。 予兆のように配置されている。
キュアロンはこういう伏線を、台詞ではなく日常会話の中に隠す。何気ない一言が、数分後に現実になる。そのタイミングの精度が、この監督は異常だ。
海のシーン── 「私、あの子に生まれてきてほしくなかった」
そしてあの海のシーン。
波が大きくなる。子供たちが溺れかける。泳げないクレオが、それでも波の中に入っていく。腰まで、胸まで、首まで。
子供たちを岸に引き上げた後、家族に抱きしめられるクレオ。そのとき彼女が漏らす言葉。
「私、あの子に生まれてきてほしくなかった」。
死産した赤ん坊のことを、初めて口にする。命を救った直後に、命を望まなかった自分を告白する。この矛盾が、映画の最も痛いところだ。
あの瞬間、初めてクレオが「守られる側」になっている。 ずっと家族を支える側だった人が、波から上がった瞬間に、支えられる側に回る。抱きしめられることで、初めて存在が認められる。
フェルミンには得られなかった「庇護」が、血の繋がりのないこの家族から、海のあとに差し出される。だからクレオ的には、あの抱擁の後の人生は、まだ「幸せ」と呼べるのかもしれない。分からないけど。
ラスト── カメラがようやく空を見上げる
そして最後のショット。
映画全編を通して頑なに動かなかった画角が、ようやく上を向く。 カメラが見上げると、そこに空がある。飛行機が横切る。
冒頭では床の水面に映った反射でしかなかった空が、ラストで「本物の空」になる。下を向いていた視線が、上を向く。
ただそれだけのことなのに、この映画の全てがあのカメラの動きに集約されている気がする。
135分間ずっと下を向いて働いていたクレオの視線が、最後に上がる。彼女の世界が少しだけ開ける。あるいは、「見えていなかった空」をようやく見ることができた、ということなのかもしれない。
滅茶苦茶天才なのかもしれない。
この映画にまだ答えが出せない
正直に言う。この映画のことが、まだよく分かっていない。
変わるものと変わらないものの対比が何を意味しているのか。山火事の中の歌は何なのか。冒頭の水面と最後の空の関係は、自分が思っているほど単純なのか、もっと深いのか。
分からないことだらけだ。でも、分からないのに「もう一度観たい」と思う映画は、本物だと思う。分厚い解説本が出版されたら多分即購入する。
一つだけ確かなのは、Netflixがこんな映画を撮らせたことに心底驚いたということ。そしてクレオの人生、とことん間が悪すぎるということ。
これからいいことがたくさんあるといい。
作品情報: ROMA/ローマ / Roma (2018) / アルフォンソ・キュアロン監督・脚本・撮影・共同編集 / ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ / 135分
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