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神馬に会いに!奈良から京都へ動いた痕跡!スサノオだらけの神社とナガスネヒコ伝承を歩くと小野氏の痕跡◆奈良㉙大阪枚方②

奈良と大阪の県境、生駒山地の麓には、古代から続く神社や寺院が静かに点在している。今回の旅は、奈良市・生駒・枚方周辺を巡りながら、古代豪族の痕跡や奈良から京都へと動いた信仰の流れを探る小さな歴史散歩である。巨石を御神体とする社、東大寺と関わる古寺、鎌倉建築の国宝堂宇、そしてナガスネヒコ伝承の地まで、短い距離の中に驚くほど濃い歴史が詰まっている。しかも実際に走ってみると、思わず「参道狭っ!」と叫びたくなる細道の連続。そんな道の先に、古代の物語が今も静かに残っていた。

この旅行記の神社仏閣は写真中心です。神社仏閣の詳細はもうひとつのNOTEを参照ください。

https://note.com/yanma_travel/



▼ルート&見どころ

▽2026年03月11日(水):

本殿裏にある屋形石「#三之宮神社」

枚方市の東部方面に、大坂城の鬼門除けとして鎮座する神社です。本殿裏にある屋形石が御神体として祀られ、屋形大明神とも呼ばれていました。

昔は、日照り続きで水が乏しくなると、いつもは仲良く暮らしていた農民達も、水を巡っての争い事が絶えませんでした。しかし争う水さえ無くなり、水を得る手だてがなくなった時、近隣の複数の村が、合同で三之宮神社で雨乞いをしたといわれています。実際に雨が降れば、その神社へ御礼をしました。その返礼行事は雨乞いの時以上に盛大なもので、神社の境内では、返礼相撲や能狂言、住吉踊りなどが行われました。また、境内に現存する灯篭の多くは、そのような雨乞い返礼として奉納されたものです。

  • アクセス:大阪府枚方市穂谷2丁目7−1

  • 祭神

    • 素盞雄大神

    • 御食津大神

    • 大國主大神

    • 天津神

    • 住吉大神

    • 仁徳天皇

6柱を祀るが、どの神が主祭神なのか不明なんだそうで、山宮・里宮という古い形態からみると「山の神」が推定され、山の神は田の神・農耕神でもあるから、食物の神である御食津大神が古くからの祭神と解釈できる。

 本殿裏にある2個の巨石は屋形石と呼ばれ、御神体として祀られており、屋形大明神と呼ばれる所以である。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。

鷹山氏!2つの宮座が併存「#高山八幡宮」もしや奈良から京都・石清水へ?

『続日本紀』によると、749年の東大寺大仏鋳造完了の際、宇佐八幡宮(私のNOTE)の祭神を勧請し、この地に仮の宮殿を設けたのが始まりと伝えられますとのこと。

江戸時代まで高山八幡宮の神宮寺である法楽寺に伝わる『八幡宮神縁起』『法楽寺縁起』によると、746年に聖武天皇の勅願で行基によって法楽寺が開創された後に、平城宮の南にあった梨原宮(現在東大寺東隣りにある手向山八幡宮(私のNOTE)の元の鎮座地)から寺院鎮守社が勧請されたとある。これが本当なら、奈良の東大寺からということになる。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。

東大寺大仏殿建立で天皇勅願「#法楽寺」東大寺の方除け!高山八幡宮の神像

奈良時代、東大寺大仏殿建立にあたり西北にあたる場所に王城守護のために聖武天皇が行基に開創させたと伝えられています。1567年に東大寺・大仏殿が焼き討ちされた際に、ここも消失したが、鷹山氏により再興されたと伝えられている。

先ほどの高山八幡宮との繋がりも強く神仏習合の名残がある。中世には、鷹山氏の菩提寺となり大いに栄えた。現在の本堂は、東大寺公慶の勧進と高山城主鷹山氏の援助によって1663年に再建されたもの。

パスワードは神隠し!?
  • アクセス:奈良県生駒市高山町6601

  • 本尊:薬師如来坐像

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。

鎌倉建築の最高峰がなぜここに?「#長弓寺」国宝が語る"蒙古襲来"と"新和様"

奈良県生駒市にある長弓寺は、鎌倉時代建立の本堂@国宝で知られる古刹である。入母屋造・本瓦葺の堂は和様建築の美しい姿を今に伝える。また塔頭の円生院庭園は江戸時代の作庭とされる枯山水庭園で、四季折々の風情が楽しめる。静かな境内には鎌倉期の石造物や古木も残り、古寺ならではの落ち着いた雰囲気が漂っている。

境内には本堂をはじめとするいくつかのお堂や伊弉諾神社が立ち、円生院・薬師院・法華院という三ヶ院の塔頭が月番制で本堂を護持している。

地蔵堂ですね。

  • 延命地蔵菩薩立像

  • 阿弥陀如来坐像

  • 不動明王立像

  • 南無大師遍照金剛

池の水を抜いています。こちらも本堂までのアプローチが2つあります。奥から行きます。

おお~国宝の本堂だ!と直感的にわかる素晴らしいお堂が目に飛び込んできたが、本堂が見えたと思ったら鎮守社「伊弉諾神社」。

祭神はイザナギ、スサノオ、大己貴命(大国主命)となっている。若干、熊野詣の匂いがする。平安時代の『延喜式』神名帳には「伊射奈岐神社」として掲載され、『長弓寺縁起』によると鎮守として牛頭天王をお祀りし、牛頭天皇社と称したそう。割拝殿ですね。

 鎌倉時代中期の傑作です。入母屋造の優美な屋根と、東大寺南大門などに見られる「大仏様」の意匠を取り入れた力強い細部が特徴です。本尊は十一面観音立像@重文で秘仏です。正月三賀日に限って開扉されます。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。

参道狭っと叫ぶ奈良に眠る小野氏ゆかり「#杵築神社」出雲の名を継いだスノサオ【枚方シリーズ/交野シリーズ/生駒シリーズ/河内シリーズ】

奈良・富雄川沿いの神社があります。奈良県には出雲大社系になる杵築神社が多数存在しており、本NOTEは二名地区に鎮座している杵築神社です。

長弓寺から車で数分。ここ杵築神社もまた、小野氏が奉斎したとされる場所。生駒・二名エリアは、実は『小野氏一族の聖地』とも呼べる濃密な歴史が眠っている。」と一筆加えるだけで、シリーズ全体の統一感が出ます。

  • アクセス:奈良県奈良市二名平野2丁目2097

  • 祭神:スサノオ

    • 相殿:天忍穂耳命、市杵島姫命、大国主命

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。

本当はナガスネヒコとか「#添御縣坐神社」逆賊か英雄か?宮司が明かした真実&「#根聖院」

奈良県北部の「添郡」に位置し、朝廷の直轄地であったことから、直轄地を示す「御県」という言葉が由来となっており、大和国に置かれた「倭の六県(やまとのむつあがた)」の一つであり、かつては「牛頭天王」を祀るお社としても信仰を集めた非常に歴史の深い神社です。

倭の六県
 曽布(そふ・添)県 - 添上郡、添下郡
 山辺(やまのべ)県 - 山辺郡
 磯城(しき・志貴)県 - 式上郡、式下郡
 十市(とおち)県 - 十市郡
 高市(たけち)県 - 高市郡
 葛城(かつらぎ・葛木)県 - 葛上郡、葛下郡

ただ、一般的には記紀を読んだ人ならわかる「ナガスネヒコ」の神社とも言われ、実際に宮司自体が熱く語っている注目の神社かと。


 記紀によると、富雄地域は、イワレヒコ(=神武天皇)が東征し大和の地に入る際に最後まで抵抗して戦ったナガスネヒコの本拠地とされています。イワレヒコとの戦いに敗れたナガスネヒコは、共に国を治めていたニギハヤヒからの、イワレヒコの軍門に下ろうという呼びかけを拒んだため、ニギハヤヒに殺されたことになっています。
 しかし、地元の伝承では、実はその後もナガスネヒコは生きていて、住民たちの間で再度挑戦・捲土重来の声が高まる中、「わしが生きていてはまた皆に担ぎ上げられ、戦になって人々が苦しむことになるからわしは自決する。残されたお前たちはイワレヒコに従って、新しい国づくりに励むように。」という趣旨の言葉を残して自決したとされています。住民たちはその死を悼み、ナガスネヒコの御霊を祀る祠を建てたのが、添御縣坐神社の創始と伝えられています。

添御縣坐神社本殿 | 奈良県歴史文化資源データベース | 奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」
  • URL:添御県坐神社

  • X:

  • アクセス:〒631-0802 奈良県奈良市三碓3丁目5−8

    • 駐車場:鳥居を車で通り左手に普通車数台分のスペースあります。道が狭いのでご注意を!!

  • 祭神

    • 建速須佐之男命(スサノオ)

    • 武乳速之命(タケチハヤノミコト)

    • 櫛稲田姫之命(クシイナダヒメノミコト)

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。

富雄丸山古墳:奈良県奈良市丸山1丁目1079−241

道の駅から激写!!それで満足する・・。


#道の駅クロスウェイなかまち & #レストラン なかまちキッチン

 鴨そうめんと柿の葉寿司だったかなと。

食品なども売っており安いので買っていく。観光案内もある。

ちなみに「レストラン「なかまちキッチン」が『道ー1グランプリ』で「京丹後市長賞」を受賞! – 道の駅クロスウェイなかまち」なんだそうです。3月末は毎年恒例の京丹後市へ蟹参拝旅行です。

#霊山寺

入山料700円ですね。バラの時期に来ることにした。スキップです。

ここは、国宝の本堂や美しいバラ園で知られ、飛鳥時代から続く薬草・医療の歴史を現代に伝える「平和と癒やしの寺院」です。多くの天皇や貴族の信仰を集め、「癌封じの寺」「厄除けの寺」として多くの人々に愛され続けています。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。

  • 672年: 右大臣・小野富人が壬申の乱に関与した後、官を辞して登美山に閑居。薬草を栽培し、薬師三尊を祀って人々を治療する「薬草湯屋」を建てる。

    • 小野富人は、後に「鼻高仙人」と呼ばれて崇められました。

    • 彼が始めた薬草風呂の伝統は、現在の境内の「薬師湯殿」へと受け継がれています。

  • 728年: 聖武天皇の娘・阿部皇女(後の孝謙天皇)が病に伏した際、行基が登美山の薬師如来に代参して祈願。病が完治したことで、天皇の厚い信頼を得る。

  • 734年: 聖武天皇が行基に命じて伽藍の建立を勅命。

  • 736年: インドから来日した僧・菩提僊那(ぼだいせんな)が、この地の地形がインドの霊鷲山に似ていることから「霊山寺」と命名し、落慶する。

  • 平安初期: 弘法大師・空海が来寺。山中に龍神を感得し、弁才天を祀る。これにより真言宗が伝えられ、法相宗と真言宗の二宗兼学となる。

  • 1283年: 北条氏の帰依により、現在の本堂@国宝が建立される。

  • 1384年: 三重塔@重文、鐘楼、十六所神社本殿などが整備される。

  • 1500年代後半: 豊臣秀吉より寺領百石を与えられ、朱印寺として保護を受ける。

  • 1800年代後半: 廃仏毀釈により200体以上の仏像が失われるなど甚大な被害を受けるが、本尊薬師如来などは守り抜かれる。

  • 1935年: 辨才天を祀る大辯才天堂や、迎賓館となる天龍閣が建立される。

  • 1957年: シベリア抑留を経験した当時の住職が「世界平和」への願いを込め、境内に近代洋風バラ庭園を開園。

  • 1960年: 辨才天の本地仏を祀る黄金殿・白金殿が完成。

  • 現在: 5月と10月には200種2,000株のバラが咲き誇り、多くの参拝客が訪れる。

奈良から京都へ遷座の謎を探る「#葛上神社 / #東光院 」霊山寺塔頭

霊山寺のすぐ近くに鎮座し、スサノオを祭神とする葛上神社と東光院はセットです。しかし、ここ周辺はスサノオを主祭神にするところばかりだなと。

参拝すると奈良から京都に流れた歴史があるようだ。その謎ときもします。ちなみに二十二社制の京都・平野神社も平城京の宮中から遷座しており、奈良から京都に遷る神社は多いことを記しておく。

奈良から京都に遷った代表格は次の通りかと。

  1. 春日大社→大原野神社→吉田神社

    1. 藤原氏の興福寺・春日大社を完全制覇【奈良】【奈良シリーズ】|やんまあ

    2. 長岡京の春日大社!二十二社「大原野神社」藤原氏の氏神三社のひとつ【京都】【大原野シリーズ】|やんまあ

    3. 平安京の春日「吉田神社」限定公開「大元宮」お菓子&料理の神!吉田兼好!内削×外削だ・・【紫野シリーズ】【京都岡崎シリーズ】【黒谷から吉田山シリーズ】|やんまあ

  2. 奈良・高鴨の賀茂社から京都・南山城経由で下鴨神社・上賀茂神社

  • 公式:葛上神社ートップページ

  • 主祭神: スサノオ

  • 相殿神: 大山咋神(オオヤマクイノカミ)、アマテラス、三筒男命(ミツツオノミコト)

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。

  • 奈良時代以前(上古): 富雄川沿いの「鳥見谷(とみのや)」と呼ばれた地に創建。原初は九頭龍神などの水神を祀る社であった可能性が指摘されている。

  • 794年(延暦13年): 平安京遷都の際、鳥見谷一円を領有していた小野国麿が、山城国へ御料木の切り出し職として移住。それに伴い、当社の本殿も領地であった丹州(丹波・丹後方面)へ遷座したと伝えられる。

  • 中世: 本殿が移転した後、旧鎮座地を惜しんだ地域の人々によって再び神社が造営される。現在の境内には、その名残として「葛上郷社古跡」の石碑が残る。

  • 年代不詳: 相殿として、平城宮造営のため当地(杣木谷)に渡来した氏族が祀っていた杣川神社(祭神:大山咋神)が合祀される。

  • 1772年(安永2年): 境内末社の浅間神社が、中山村の講中によって勧請される。

  • 明治時代: 近代社格制度により村社に列せられる。

神馬の鹿島くん・香取くん「#大和国鹿島香取本宮」豊臣が"人斬山"に祀った武神の謎

郡山城の地主であった豊臣秀吉がその鎮守として武神二柱を勧請、明治になり当地に遷座させたのを創建とする神社。当地は郡山城の人斬山とされていたようで、祟りなどの伝承もあるそうです。社家の間で祀られてきた社だそうで、氏子を持たない単立神社。現在は参拝者を丁寧に温かく迎えておられます。

周囲天然の要塞(とりで)に護られた約三十五万余坪の広大な自然神木繁る森でありました。現在はその一部であるこの地に神様の守護の宮を設け、鹿島の神人達が正義を護り不正を正し、外敵から護るため自然の要塞を利用し、神の聖地を維持するため陣屋を固めたのであります。国土開発に大功を建て給うた鹿島・香取の大神をお祀りしたのが始まりであると言われています。

神馬嘶き巫女が舞う 奈良の神社 大和国鹿島香取本宮(奈良県奈良市)

2026年は丙午!神馬に会いに行きましょう!!

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。

#奈良国立博物館 :1906年に生き別れた興福寺四天王が結集!奈良国立博物館「修理完成記念 特別公開興福寺伝来の四天王像」-写真OK-

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