奈良桜井発祥?継体天皇の足跡「稚桜神社/若桜神社」古墳?この対は何?【桜井シリーズ】
奈良県桜井市の「桜」はここか??継体天皇の最後の宮「磐余玉穂宮」ゆかりの地へ!!ちなみに両方「わかさくら」と読みます!?
履中天皇:磐余稚桜宮
清寧天皇:磐余甕栗宮
継体天皇:磐余玉穂宮
神功皇后:磐余若桜宮
用明天皇:磐余池辺雙槻宮
「桜井・櫻井」さんの名字のルーツと、特に多い都道府県とは? | 家庭画報.com|“素敵な人”のディレクトリ
継体天皇はどこかで纏めたいんですよね。滋賀から福井へ、福井から大和へ!!
纏めるべく「継体天皇シリーズ」でタグを作っています。
では本題へ!!
変更履歴
2025/04/16:初版
▼若桜神社へ
この鳥居はどこのものなのだろうか??飛鳥と同じ境を示しているのか?
飛鳥と同じ境を示しているのか?
詳細は『本殿なしの神山を祈る!階段急すぎ「飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社」♂×♀の注連縄!パワスポッ【飛鳥シリーズ】』を参照。


そして、井戸!!後ほど!!


▼若桜神社:奈良県桜井市谷344
→由緒
若桜部朝臣や阿部朝臣の祖神といわれる「伊波我加利命(イワカガリノミコト)」が祭神
『大和志』には「在桜井谷邑 今称白山権現」とあり『延喜式』神名帳城上郡の若桜神社に比定
境内にある高屋安倍神社は『延喜式』の名神大社で、祭神は3柱
屋主彦太思心命(ヤヌシヒコフトシタマノミコト)
大彦命(オオヒコノミコト)
八代・孝元天皇の皇子の大彦命の後裔が安倍(阿部)氏産屋主思神(ウブヤヌシオモヒノカミ)
この地は、履中天皇の磐余稚桜宮跡に充てる説もあり、書記に履中天皇が皇后と磐余の市磯池(いちしのいけ)で遊宴中に、桜の花が盃に落ちた事を天皇は珍しい事と喜ばれ、この桜のあった御所の掖上の桜を清水湧き出る泉のそばに植えられ、宮の名前も磐余稚櫻宮にされた
第十七代履中天皇
各地に国司や国史を置き、諸国に意向を広く伝えるとともに、諸国の記録を残すようにするなど、国の仕組みを整え国家を安定させようとした
「わかさくら」は、後述する「稚桜神社」とする説もある
桜井という名はここからきているといわれている
この場所は中世には谷城という城跡の築かれた場所で、今でもその名残を見ることができる
東の小祠に祀られていた神武天皇を祀る多神社(私のNOTE)が合祀された歴史がある
昔は「白山権現」とも称された時期がある
御神紋は山桜!!
境内社には式内社・高屋安倍神社もあり、安倍寺跡や文殊院の北東に位置している
一帯は大彦命後裔を称する「阿倍臣氏」の本拠地で、履中天皇のときに物部長真胆連が稚桜部造の氏姓を賜った際、膳臣余磯にも稚桜部臣の氏姓が与えられたことがみえ、膳臣氏は、阿倍氏とは同族関係にあるそうな
→境内



復元された若桜の井戸 鳥居を入ってすぐ右側にある。


第17代履中天皇が皇妃と磐余市磯池で遊んだ時、時ならぬ桜の花が杯に散り、物部長真膽連に花を探させた。物部長真膽連は、ひとり掖上の室山で、桜を見つけて献上した。この桜を清水湧き出る泉のそばに植え、宮の名前も磐余稚櫻宮にしたという。
現在まで続く桜井という地名は、この故事からきている。この井戸といわれるものは、すぐ近くにあったが、近年、当社境内にも復元された。

『延喜式』神名帳の大和国城上郡にみえる「若桜神社」の論社です。 境内社には式内社の高屋安倍神社もあり、安倍寺跡や文殊院の北東に位置している。 一帯は大彦命後裔を称する「阿倍臣氏」の本拠地で、履中天皇のときに物部長真胆連が稚桜部造の氏姓を賜った際、膳臣余磯にも稚桜部臣の氏姓が与えられたことがみえます。膳臣氏は、阿倍氏とは同族関係にあるそうな。







主祭神は次の通り。
若桜神社(東殿):伊波我加利命(イワガカリノミコト)
高屋安倍神社(西殿):大彦命 (オオヒコノミコト)









→メディア情報
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▼稚桜神社:奈良県桜井市池之内 字宮地
祭神は
出雲色男命 (イズモシコオノミコト):
超レアなオオクニヌシの別名。『 新撰姓氏録』によると物部氏の御先祖・ニギハヤヒの3世の子孫
また桜の花を探し求めた物部長真胆連 ( 稚桜部造 )の四代前の祖先去来穂別命(イザホワケノミコト):第十六代仁徳天皇の皇太子
気息長足姫命 (オキナガタラシヒメ):神功皇后
出雲色男命は物部系若桜部氏の祖神
春日造の本殿向かって右に高麗神社、左に天満神社の境内社が鎮座
神功皇后、および履中天皇の磐余稚桜宮の伝承地、『延喜式』神名帳の大和国城上郡にみえる「若桜神社」説もあるが前述の神社の存在もあり否定的な見解が強いようだ



神社名「稚櫻」の由緒
日本書紀によると「第17代履中天皇3年(西暦402)冬11月6日天皇が両枝船を磐余の市磯池(神社の東側にあった池)に浮かべて、遊宴ばれたとき膳臣余磯が酒を奉った。その酒盃に櫻の花びらが散ってきた。
天皇は、大変不思議に思われ、物部長真胆連をよんで「この花は季節外れに珍しく散ってきた。どこからだろうか探してこい。」といわれた。長真胆連は花を探したつねて、掖上室山で花を手に入れて奉った。天皇はその珍しいことを喜んで宮の名とされた。磐余稚櫻宮の由緒である。長真胆連は本姓を改めて稚櫻部造とし膳臣余磯を名づけて稚櫻部臣という、」と記されている。
稚櫻神社の御祭神
○出雲色男命
「新撰姓氏録」によると物部氏の御先祖の饒速日命の三世の子孫が出雲色男命で、また、櫻の花を探し求めた物部長真胆連(稚櫻部造)の四代前の祖先にもあたります。
「旧時本記」に「出雲色男命は第四代懿徳天皇の御世に大夫となり、次に大臣となる。大臣という号は、この時からできた。」とあります。
○去来穂別命(履中天皇)
第16代仁徳天皇の皇太子で「日本書紀」の履中天皇紀に「元年(400年)春2月1日皇太子(去来穂別命)は磐余稚櫻宮で即位された。」と記され池之内に都をつくられたことがわかります。
2年11月磐余池を作られた。
○気長足姫命(神功皇后)
神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后で、天皇がお崩れになったので、天皇にかわって政務をとられる摂政となられた。日本書紀神功皇后摂政紀に「3年春正月3日誉田別皇子(後の第15代応神天皇 八幡大神)を立てて皇太子とされた。そして磐余に都をつくられた。」と記されている。
『日本書紀』の履中天皇のときに磐余池が築かれた記事に続いて、磐余市磯池で天皇が両股船を浮かべ遊宴したとあり、季節はずれの桜の花びらが盃に舞い降り、天皇はあやしんで、どこの花なのかと探索を物部長真胆連(もののべのながまいのむらじ)に命じた。 長真胆は、腋上の室山で桜の花を手に入れ献上したので、天皇はよろこんで宮殿の名を「稚桜宮」とし、また長真胆は功績をたたえられて「稚桜部造」の姓を賜ることになった、とされています。『姓氏録』右京神別の若桜部造条にも、同様の物語が載せられており、神饒速日命の三世孫・出雲色男命(いずもしこおのみこと)の後裔がこの氏であるといいます。って、出雲系と物部系はニギハヤヒからきているなど興味深い話である。
鳥居をくぐって石段を上ると「愛宕山大権現」の石碑。江戸時代には、天満宮と称し、菅原道真を祭神として祀っていたと言われている。



→メディア情報
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