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通常非公開!説法印の湛慶作「西念寺」神仏習合は菅原道真「千喜万悦天満宮」【京都ツウシリーズ/烏丸四条五条シリーズ/京都駅周辺シリーズ】

嫌というほど車で通っている京都五条だが、こんなところに家にしか見えない寺が!?運慶の長男坊・湛慶作なのか?写真を見るとそうなのだが、実際のところは??2014年公開され見逃したが、2023年公開した~~!!

変更履歴


▼見どころ

▽西念寺:京都府京都市下京区高倉通五条下る堺町35

 平安時代前期に嵯峨天皇の皇子で、「源氏物語」の主人公・光源氏のモデル源融の別荘・六条河原院があった場所。
 戦国時代に月空上人が六条河原院跡に創建したとも言われている。その後安土桃山時代に豊臣秀吉が現在の場所に移したと言われている。さらに、五条通の拡張工事などにより今の規模になったそうな。天皇が東京に移り京都は財政が厳しくなり、今の形に区画整理などした歴史があると記憶しているが、この地域はその影響を受けた地域なのだろう。

 開基は月空珠心大和尚で、豊臣秀吉の政策により本願寺領を設けるために現在の地に移った。西念寺は末慶寺・竹林院等三寺という末寺があったが、末寺には替地はなく田畑に各々再建したようだ。

 本尊は湛慶作「阿弥陀如来坐像」を安置している。厨子には菅原道真ゆかりの梅の神紋が刻まれている。胸の前で結んだ印相(中品中生)が父・運慶の阿弥陀如来坐像を思い出させる。

 久しぶりにポストカード二枚!檜の寄木(だったはず)で、目は玉眼で、珍しい説法印が特徴。実際は写真よりシュッとしている。
 ※説法印=中品中生で釈迦如来は上品上生が多い。

 より近くから見仏できるよう厨子から出されて同じ目線で見れたので金拍の残りなど細かいところまで見ることができた。

 湛慶の仏像は父・運慶の作風を踏襲していることが多く、墨書で湛慶作がわかっている仏像は、顔が運慶仏像である認識。そういう意味で、父・運慶が作成した説法印の阿弥陀如来坐像@国宝があるので、湛慶作だ!というのは気持ちが分かるが、ちょっと体や手の甲の肉付きが薄い気がした。ただ、慶派だろうし、慶派でなくとも院派か円派なのだろうというのは分かる良い仏像なのは間違いない。
 あと、白毫って丸の形が多いのだが、六角なんですよね~ということで六角堂に安置していたとかだったら面白いのだが。

 最後に、私が思い描いていた運慶長男坊・湛慶の阿弥陀如来は次の通りですね。

 この湛慶作の毘沙門も運慶作に似ているんですよね。運慶の後継ぎだと思っており、父の技術に忠実なイメージがある。
 あと、南山城にも西念寺があるので、お間違いなく!

木津川市鹿背山鹿曲田65
創建は古く、往古「百済」の僧がこの地で修行し、後に行基が堂塔を整備し、薬師如来を本尊にしたことが始まりとされている。御本尊「阿弥陀如来坐像」と「薬師如来三尊」を公開。

↓私のNOTE

 あと2023年は修復された涅槃図が公開された。どうも過去の修復時に若干の絵柄の変更がされたようで、その写しと説明もあった。

 絹本著色「仏涅槃図@重文」は、絹地に金と銀を載せている。戦前の調査では、室町中期の作と鑑定されていたものの、2009年の調査で、平安後期の作と判明した。高野山・金剛峰寺所蔵「仏涅槃図@国宝」と東京国立博物館所蔵「仏涅槃図@重文」の間の製作時期であると考えられているそうな。
 古い涅槃図の特徴は、釈迦の周囲に集った人物、動物の数が少ないよう。涅槃図と言えば釈迦の母・麻耶夫人がキントーンで登場するが描かれておらず、左上の白い月は後補とか。月輪の一部が切れ、修理時に画面上部を切り詰めたとも。縦172.5cm、横207.7cmと大きめの涅槃図でした。
 最後に、戦時中は先代住職が古井戸に吊るして守り、戦火から逃れたとか。

最後に、重要文化財や国宝になると苦労はあるようで。

 京都市内のまちなかにある小さな寺で、ほそぼそと守ってきた涅槃(ねはん)図が、思ってもみなかった流れで国の重要文化財になった。大がかりな修理が必要になったが、寺が用意しなければならない費用は1千万円。住職は「目の前が真っ暗になった」と振り返る。
(略)
 住職の岩田浩然さん(77)は「父は空襲警報が鳴るとご本尊と涅槃図を井戸の中に入れたと聞いた。何があっても守るように言われてきた」と思い返す。
 転機は2009年夏に訪れた。本尊の阿弥陀如来像を調べる機会がきっかけとなった。訪れた仏像の専門家に涅槃図を示すと、仏画が専門の大原嘉豊・京都国立博物館研究員(現・教育室長)が駆けつけた。
 そのとき大原さんが発した言葉を岩田さんははっきり覚えている。「おそらく平安時代のもの。こんなん僕らも100年に1度出合うかどうか」。亡くなる釈迦(しゃか)が横たわる台の角度や周囲で嘆く動物の数に特徴があった。国内でも例の少ない重文級の涅槃図だった。
 大原さんも当時を振り返り、「見た瞬間に分かった。京都の寺はかなり調査されているので、こんな新発見はありえないと思った」と話す。
(略)

↓引用元


▽千喜万悦天満宮 ※洛陽天満宮二十五社

 境内には「千喜万悦天満宮」がある。洛陽天神二十五社の22番に数えられる「千喜万悦天満宮」は、「西念寺天満宮」とも言い、五条通南側、高倉通東の報國山西念寺の境内にある。
 菅原道真が、宇多天皇から右大臣に任命された喜びを描かせたという「菅家繁盛の絵図」とご尊像が祀られ、「千の喜び万の悦び」という名前の由来となっているよう。

 こちらの社のお世話をしていた方が、九州へ移住される際に西念寺に寄進されたという経緯があるようです。九州・大宰府なら面白いが・・・。

▼旅行記

▼セットで行くところ



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