1礼2拝2拍手1礼「石寸山口神社」イワレと読める?【桜井シリーズ】
「いわれ」と読むって読める人いるのだろうか・・??この地域は「磐余(いわれ)」で、桜井市南西部、橿原市にわたる一帯の古代地名です。イワレといえばイワレヒコこと「神武天皇」で、神武天皇といえば「橿原」なわけで??この呼び名の関係はたまたまなのだろうか?その謂れ(イワレ)を知りたい。
変更履歴
2025/04/15:初版
▼HP▼アクセス
HP:-
アクセス:奈良県桜井市谷502
▼祭神・本尊と脇時
大山祇神(オオヤマツミ)
▼見どころ
→由緒
式内社「石村山口神社」の論社のよう
「石村山口神社」は『延喜式』神名帳に大社に列せられ、古くは有力な神社だった
『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○山口(坐)神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一社
水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと考えられている
『延喜式』祝詞の祈年祭に飛鳥、石村、忍坂、長谷、畝火、耳無の各山口神社はその山の木材を伐り出し宮殿とした旨が記されている
奈良時代以前から祀られていたとも言われている
730年、「石村山口 神戸稲801束 租10田場云々」と記されている(『大倭国正税帳』より)
806年、「新抄格勅符抄」に石村神二戸
859年、「三代実録」に正五位下
社前の菰池(こもいけ)という小さな溜池の南側にある丘陵に祀られていたとも
「石寸水分神社」と称したこともあり、石寸川の水流と関わりが深く、水源の守護神、山からの水流を分配する神としての神格がより強まっていく
江戸時代中期は「雙槻神社」と呼ばれていたようで、これは用明天皇の皇居である「磐余池辺雙槻宮」がこの辺りとされたことに因むものと思われる
第31代・用明天皇・・・聖徳太子の父
→境内へのアプローチ


用明天皇の磐余池辺雙槻宮の跡地であるとする説から、「双槻(なみつき)神社」と呼ばれていたこともあるそうな。

→境内






2拝の前に軽く一礼で鈴慣らしで、その後に2拝2拍手一礼のようだ。




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