声かけの前に必要なこと
『「〇〇したら〇〇あげる」という声かけより、「〇〇しないと〇〇になるよ」という声かけの方が、子どもの自立につながる。』という記事がありました。
これは、その通りだと思います。
子どもに行動の意味を伝えること、世界の仕組みを一緒に確認すること。それが長期的な自立の土台になるという考え方は、発達科学の知見とも一致しています。
でも、保育の現場で子どもたちと関わってきた経験から、一つ付け加えたいことがあります。
どんなに正しい声かけも、それが「届く関係性」がなければ機能しません。
言葉は、関係性の上に届く
「歯磨きしないと、虫歯ばい菌が増えて歯が痛くなるよ」
この言葉が子どもの心に届くのは、なぜでしょうか。
内容が正しいから、でしょうか。それだけではありません。
その言葉を言っている大人を、子どもが信頼しているからです。
信頼している大人の言葉は、腑に落ちます。「この人が言うなら、そうなのかもしれない」と思える。
逆に、信頼関係が薄い相手から同じ言葉を言われても、「何か言っている」で終わってしまうことがあります。
声かけの「質」を考える前に、その声かけが届く「土台」があるかどうか。これが、実は最も大切なことだと思っています。
信頼関係は、どこから生まれるか
では、子どもとの信頼関係は、どうやって育つのでしょうか。
それは、特別なことではありません。
困ったときに来てくれた。 不安なときに受け止めてくれた。 うまくできないときに手伝ってくれた。 泣いているときに、隣にいてくれた。
こういった小さな体験の積み重ねです。
「この人は、私が困ったときに応じてくれる」という体験が積み重なることで、子どもの中に相手への基本的な信頼感が育ちます。
これは、前回までのシリーズでも書いてきた「甘えに応じてもらう体験」そのものです。
甘えに応じてもらうことで育つのは、「わがまま」ではありません。「この人は信頼できる」という感覚です。
そしてその感覚が土台になって、はじめて大人の言葉が届くようになります。
信頼には、もう一つの深さがある
「困ったときに応じてくれる」という信頼は、行動への信頼です。何かが起きたときに、助けてもらえるという安心。
でも、信頼にはもう一つの深さがあります。
「失敗しても、この人は私を受け入れてくれる」という信頼です。
これは、行動への信頼ではなく、存在への信頼です。何かができたからではなく、何かをしたからでもなく、ただ自分がここにいることを受け入れてもらえるという感覚。
この二つは似ているようで、子どもにとっての意味が違います。
「困ったときに助けてもらえる」は、行動の結果への安心です。 「失敗しても受け入れてもらえる」は、存在そのものへの安心です。
そして「存在への信頼」が育つと、声かけの届きやすさが変わるだけでなく、もっと大きなことが起きます。
「失敗しても受け入れてもらえる」という体験が積み重なることで、子どもは少しずつ「失敗しても自分は大丈夫だ」という自分への信頼を育てていきます。さらにそれが広がって、「この世界は、自分を迎えてくれる場所だ」という世界への信頼へとつながっていく。
人への信頼が、自分への信頼になり、世界への信頼になる。
これは発達心理学者エリクソンが「基本的信頼感」と呼んだもの——人間の発達のすべての土台に置いた、最も根本的な感覚です。
この感覚は、教えることができません。言葉で説明できるものでもありません。ただ、毎日の小さな体験の積み重ねの中で、少しずつ育っていくものです。
声かけが届かないとき、何が起きているか
「何度言っても聞かない」 「説明しても、全然わかってくれない」 「いくら理由を伝えても、動かない」
こういった状況に悩む保護者の方は多いと思います。
このとき、多くの場合「声かけの仕方が悪いのかもしれない」と考えます。もっとうまく伝える方法を探す。
でも、もう一つ考えてほしいことがあります。
声かけの「前」に、何かが足りていないのかもしれない。
声かけが届かないとき、それは言葉の問題ではなく、関係性の問題であることが少なくありません。
土台となる信頼関係が十分に育っていなければ、どんなに正しい言葉を選んでも、届きにくい。
逆に、信頼関係がしっかり育っていれば、多少不完全な言葉でも、子どもは受け取ってくれます。
順序がある
ここにも、このシリーズで繰り返し書いてきた「発達の順序」があります。
甘えに応じてもらう体験の積み重ね
↓
大人への基本的信頼感が育つ
↓
その大人の言葉が届くようになる
↓
「なぜそうするのか」が腑に落ちる
↓
自分で判断して動ける力が育つ
声かけの工夫は、この流れの「3段目」以降の話です。
1段目と2段目が育っていないうちに、3段目だけを一生懸命やっても、なかなかうまくいかない。
「結果を急ぐあまり、プロセスを省いてしまう」——このシリーズの導入で書いたことが、ここでも起きています。
「言うことを聞かせる」より前にあること
子育てや保育の中で、「どうすれば子どもが言うことを聞いてくれるか」は、切実な問いです。
でも私たちが日々考えているのは、その手前のことです。
この子が、この大人を信頼できているか。 困ったときに、安心して頼れる大人がそこにいるか。 失敗しても、受け入れてもらえると思えているか。
その土台があってはじめて、声かけは機能します。
「子ども達の親友でありたい」というそらのまちほいくえんの想いは、子どもに大人の言うことを聞かせたいというものではありません。困ったときに頼れる、失敗しても受け入れてくれる、そういう存在でいたいという願いです。
その関係性の中で、言葉は届くようになります。 その関係性の中で、子どもは「自分はここにいていい」という感覚を少しずつ育てていきます。 その感覚が土台になって、はじめて自分で動ける力が育ちます。
声かけの工夫は、その後の話です。
その前に、まずその子をぎゅっと抱きしめてほしいと思います。
どう伝えるかより、どう受け入れるか。「あなたはここにいていい」という気持ちは、言葉より先に、身体を通して届きます。
