思い出(大阪で、青春時代…交通事故からの転職…②)
デートも、そんなにお金が裕福じゃなかったし、そもそも若いので、私の自宅、団地の一室。で過ごすことも多かった。
まだ、クルマがなかった頃、だから
元嫁と付き合いだして最初の頃だね
夜になり、帰りに、元嫁を家まで届けるのに自転車で、送った事があった。
後ろの荷台に、元嫁を乗せるので、お尻が痛くならないように、座布団をぐりぐりに巻いて、片道1時間弱くらいかかる。
元嫁も、よく、乗ってくれたものだ。ま、電車とバスを乗り継いで帰っても、同じくらいか、それ以上の時間がかかってしまう。
中央環状線を、南へ。
暗くてちょっと怖いけど、広い道で歩道もそこそこ広くて、なによりも、元嫁と、ちょっとでも長い時間いっしょにいれるのがうれしかった。体力にも自信があったし、やってみようと思った。
キコキコ。ガッタンガッタン。
元嫁を、自転車に乗せて、行くんだけど、途中の歩道が、ガタガタで、元嫁も自転車の後ろで、飛んだり跳ねたり。
途中で、なんかちょっとした、責任感みたいなのも出てきたり。将来は、この元嫁と、一緒になって家族作るんだなーって思うと自転車のペダルにも力が入った。
帰り道は、1人さみしく、永遠と中高環状線沿いの暗い歩道をえっちらおっちら。
通勤途中のバイク事故で、元嫁と、入院中の病院で知り合ったんだが、退院して、元の会社に戻っても、なんだかなじめなかった……
半年くらい休んでたし、バイク通勤も禁止になってた。居場所がなっかった。結局、会社をやめた……別に休んでいた間の給料も出てたわけじゃないし。片思いだった女の子にも未練はなかった。別の会社になってしまったみたいな感じ。
新しい会社、次の就職先を、求人誌で探した。当時は紙媒体中心、コンビニも増え始めて、求人雑誌もそを中心に置いてあった。
天満橋に、あるデザイン事務所に、決めた。
面接に行ったら、即採用だった。当時は、忙しいとき、どこも猫の手も借りたい状態だった。
給料とか、どうでも良かった。
家から、鴻池新田→京橋→天満橋、の通勤だったとおもう。
バブル真っ最中。仕事は多忙を極めて、寝袋を持ち込んで、昼夜を問わず働くことになった。
自分で言うのもなんだけど、とにかく真面目で、責任感が強くて、よく働いた。
会社は、造幣局を、道を挟んで、向かい側。
天満橋の、すぐそば。
毎日、天満橋を渡って、通勤した。
会社の側に、中華屋さんがあって、オフィス街なので、お昼時は満席だった。店主さんは、ベンツに乗ってた。
近所の喫茶店、お昼休みに良く行ってた。そこで、コミックとかよく読んでた。「項羽と劉邦」とか「三国志」とか、結構ボリュームのあるの読んでたよな。
何を、食べてたのか、思い出せない。
え!まだあったわ!中華屋さん!(w
会社はもうないみたい。
グーグルMAPって、便利ね。
東京にきて、16年になるけど、未だになつかしくて、グーグルMAPで、かつて、住んでたとこや、働いてたとこ、スクーターで駆け回ったところ。見てるんだけど。
最初の数年は、思い出して回れるの、グーグルMAPで、で、何年かすると、景色も徐々に変わって、私の記憶も曖昧になって、どうだっけかな?って思い出せなくなる。
昔は、その景色を観るだけで、グーグルMAPで、泣いてた(w。
大阪には、49年住んでた。
なぜ、東京に来たかって?
紆余曲折がある、今後また話すよ。
新しい職場では、人数が少なかったぶん、チームワーク取れててワンフロアで、みんなを見渡せた。
そこで、写植のこと、印刷や版下のこと、製版あって刷版があるってこと、印刷全般に関して勉強できた。
Macが、まだ無かった頃なので、すべて手でやってた。お客様から、要望を聞き、ラフ案を出して、文字の割り付け、級数や書体、歯送りって言って、行間なんかを決める。
写植部門にお願いして、打ってもらう。
当時は、文字は写植って言って、印画紙に文字を焼き付ける。方法が主流だった。文字盤というガラス板に文字が、いっぱいあって。それが机の上に何個も敷き詰めてある。
ハンドルで、位置を合わせて、シャッターで、文字を印画紙に焼き付ける。めんどくさいが、革命的でもあった。
写植の人が帰ってしまって誰もいないとき、仕方なく、自分で写植も打つようになった。写植も一応、資格みたいな物があったと思う。
書体は、モリサワ、写研、主にこの2種類。てか2社。後は欧文って言って、英語の書体。
このブログは、新ゴ系かな?と思ったが。平成ゴかな?
ま、当時の、モリサワと写研は、裁判してたからね。
書体ひとつで、見た目も変わる。
テレビで、佐藤可士和って人が、アルファベットの角の部分を、削ってたりしてたのが映ってたけど。わざとらしくて笑ったが、私も、ああいうこともしてた。
そのうち、グラフィックデザインの仕事も、するようになり、イラストも、その頃から描くようになった。
書体指定から割り付け、版下にトレペをかけて、色指定。
CMYK以外に、色使うときは、特色のカラーチップを貼り付ける、1番有名なのは、DICカラー、特色指定用の、チップセット、切り込みが入ってるやつ。短冊みたいになってる。
よく、この色は何かな〜って、レンズで拡大して、モアレがなかったら、これ特色だ!ってやってたな。
黒色を重ねて更に黒くする、リッチブラックや、この英文は写植文字じゃなく、レトラセットの、転写するタイプの書体だ!とか、この行間は、割り切れないから、てで広げてるわ。とか、現状の印刷物の分析。どういった方法で印刷されたのか、凸版なのか凹版なのか。コレは、何ページあるから、何丁づけだ、等。
いろいろ、身につけた、当時はそんな専門学校もなかった。
いろんな事が、自然と身についた。すべて手作業。
話それてきたね(w。
ま、当時は、若かったし、仕事も吸収した。
夏に、天神祭があった。
会社の直ぐ横、大川の河川敷、天満橋公園、人が動けないほど、いっぱい来てた。
仕事終わりに、元嫁と待ち合わせ。仕事場の会社のビルの下で、待ち合わせしてると。会社の同僚達が、元嫁の顔みたさに、いっぱい会社から降りてきた。
元嫁は、可愛く、自慢出来たので、どうどうと見せてやった(w。
造幣局も、側にあって、春には、さくら、で有名。通り抜けも何回も行った。大川の河川敷も、桜の時期には、花見客で、取り合いになる。なつかしいな……
大阪には、思い出いっぱい。
若い頃は、エネルギッシュだった。こうやって、思い出すと、懐かしいのと同時に、歳っ取ったんだなーって実感するわ。
【つづく】
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ただいま、無職です。ゴメンね。ありがとうございます。