闇の陰陽師 搾取の活字と予言の影
第一章:タダより安い怪談はない
東京の堅物な出版社で、実話怪談のアンソロジー企画を担当する編集者・木島は、デスクのパソコン画面を見つめながら鼻で笑った。
『先月発売された御社の怪談本に、私のブログに掲載していた実体験がほぼそのまま無断で使われています。せめて掲載の報告と、献本の一冊でも頂けないでしょうか』
木島は迷わずそのメールをゴミ箱へ放り込んだ。
彼はSNSや個人のオカルトブログから、素人が書き込んだ「本当にあった怖い話」を無断でかき集め、少しだけ語尾や地名を変えて出版するという手法で荒稼ぎをしていた。
素人に原稿料など一銭も払う必要はない。「掲載してやったんだから光栄に思え」「ネットに書いた時点でフリー素材だろ」というのが木島の持論だった。もちろん、感謝の言葉一つ伝えたこともない。彼にとって怪談とは、ただの「インクの染み」であり、自分のボーナスを増やすための都合のいい金塊でしかなかった。
「馬鹿な奴らだ。自分の恐怖体験が金になることも知らずに、タダでネットに垂れ流してやがる」
木島は冷めたコーヒーを飲み干し、次の「フリー素材」を探すために、ディープウェブに近いアングラなオカルト掲示板へとアクセスした。そこで彼は、異様に不気味で、しかし惹きつけられる奇妙な怪談の書き込みをいくつか見つけ、ほくそ笑んだ。
第二章:文字が喰らう命
木島の異変は、そのアングラ掲示板から集めた話をまとめた新刊『現代百物語・禁忌』が発売された直後から始まった。 最初は、肩の重みだった。四十肩かと思ったが、マッサージに行っても治らない。それどころか、日を追うごとに鉛を背負っているように重くなり、息をするのも苦しくなっていった。 次に、運気が急激に底を抜け落ちた。 順調だったはずの新刊が、なぜか全国の書店から「気味が悪くて置いておけない」「本から異臭がする」と次々に返品されてきたのだ。さらに、過去の無断転載が立て続けにネットで炎上し、木島はあっという間に会社から懲戒解雇を言い渡された。
「どうしてだ…… 俺は上手くやってたはずなのに……!」
汚部屋と化した自宅のマンションで、木島は頭を抱えた。預金残高は底をつき、体調は最悪。鏡に映る自分の顔は、土気色に濁り、頬はこけ、まるで死人のようだった。 その時、ふと床に転がっていた自著『現代百物語・ 禁忌』のページが、風もないのにパラパラとめくれた。
『……かえせ』
木島の耳に、直接声が響いた。 見ると、本のページに印刷された活字が、 まるで真っ黒な蟻の群れのようにモゾモゾと 動き出しているではないか。文字が意味を持たない 黒い塊となり、ページから這い出して、木島の足元へと群がってくる。
「ひぃっ……!」
『タダで、私を売ったな』 『感謝もせず、痛みも知らず、ただ消費したな』 文字の群れは、木島が無断で話を奪い取った何百人もの素人たちの「情念」そのものだった。怪談には、語り手の恐怖や悲しみが魂として宿る。それを金銭という対価も、感謝という供養もなしに搾取し続けたことで、木島自身が巨大な「呪いの寄り代(よりしろ)」となってしまっていたのだ。
「や、やめろ! くるな!!」
黒い活字の虫たちは、木島のパジャマの裾から這い上がり、彼の皮膚を食い破って体の中へと侵入していく。木島の体温と運気を、文字通り「吸い取って」いく。
『……お前はもう、空っぽだ』
その声を聞いたのを最後に、木島は完全に発狂し、自らの全身を掻き毟りながら暗い部屋の隅で崩れ落ちた。
第三章:暗闇の陰陽師
それから数ヶ月後。 京都、木屋町の喧騒から少し離れた、 仄暗い照明の隠れ家バー。 カウンターの隅で、冷酒を静かに傾けている和装の男がいた。闇の陰陽師、土御門朔である。
「……東京の出版社の男が、発狂して孤独死したそうだな」
朔は、隣に座る真砂つまり私に向かって、面白くもなさそうに呟いた。 私は頷き、「ええ。素人の怪談を無断でパクり続けて、その怨念に憑き殺されたとか。因果応報ですね」と返した。 朔は 薄 く笑い、冷酒のグラスをコトリと置いた。
「怨念? ……ふん、半分は正解だが、半分は外れだ。ただの素人の恨み辛み程度で、人間一人の命と運気をあそこまで根こそぎ吸い尽くせるものか。 あの男が致命的だったのは、 最後に『触れてはならないもの』を無断で本に綴じてしまったことだ」
「触れてはならないもの……?」
朔の細められた眼光が、店内の暗がりを射抜くように鋭くなった。 「あの男が最後のアングラ掲示板から拾い集めた 奇妙な怪談。あれはただの怖い話ではない。 『聖徳太子の未来記』の断片だ」
「未来記……! あの、日本の未来が記されていると いう幻の予言書ですか?」
「そう。強大すぎる予言の力は、そのままでは現代の世に出現できない。だからこそ、未来記の断片は 『都市伝説』や『怪談』という形に姿を変え、 ネットの深海を漂っていたのだ。本来なら、 霊的な力を持つ者が、しかるべき儀式と敬意をもって読み解かねばならない劇薬中の劇薬だ」
朔は懐から扇子を取り出し、弄ぶようにパチンと 鳴らした。
「それをあの愚か者は、一銭の対価も払わず、敬意も払わず、ただの『フリー素材』として金儲けのために乱雑にコピーし、三流の怪談本の中に閉じ込めた。 結果、未来記に宿る途方もない因果の波に耐えきれず、男自身の存在そのものが『文字の餌』として消滅したのだ」
朔の言葉に、私は背筋が凍るのを感じた。 木島は素人の怨念に呪われただけではなかった。 自らの強欲ゆえに、日本の歴史の裏に潜む 巨大な予言書の影を踏み抜き、自滅したのだ。
「言葉には霊が宿る。対価を払わぬ者、敬意を持たぬ者は、いずれ言葉そのものに喰い殺される。 お前も、怪談を語る時はゆめゆめ忘れるなよ…」
土御門朔の冷たい忠告が、京都の夜闇に静かに溶けていった。男の残した空のグラスには、まるで真っ黒なインクのような泥水が、一滴だけべっとりとこびりついていた。
