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サンイチイチの思い出コレクション#05 『井戸&プロパン最強説』


サンイチイチの思い出コレクション #05
TAKAHASHIさん(当時40歳・専業主婦)の記憶


あたしは震災がきっかけで家を引っ越すことになって働きはじめたので、その頃は専業主婦。その日も家にいました。

たぶん金曜日だったのかな。
朝から週末のための食料品を買いだしに出て、灯油を2缶買って、ガソリンも満タンにして。午前中のうちに用足しを終えて帰ってきたの。

そのあと旦那の夜用のお弁当を作りながらいっしょに自分用のお昼を作って、たらたら食べながらパソコンをしてたら急に揺れがきて。
これは尋常じゃないなって。

その頃住んでた家は周辺で一番と言っていいくらい築年数の古い家だったんです。揺れが大きかったので「家が潰れる!」と思って、はじめのうちは一人でパニクってました。

少し落ち着いてきて、隣近所はどうなってるんだろうと思って見に行ったらけっこうな被害が出ていて、一番古いうちが一番ましだったというのは驚きでした。

周囲はもともと畑だったところを宅地にしたので地盤がゆるかったのか、新しい家なのに玄関に亀裂が入ってドアが開かないとか閉まらないとかいう騒ぎをしていて。
屋根瓦が大量に落ちてきた家では、下に駐めてあったBMWとかの高級車がもうガチャガチャ。


雨がぱらついてたので、あるお宅の屋根のある広い駐車場に椅子を出して、近所のおばあちゃんなんかを座らせてあげて。うちから持っていったレジャーシートでまわりを囲って雨が吹き込まないようにしたり。

窓から「すいません、すいません」と声が聞こえたので、足の悪いおばあちゃんを助けにいったりして、近所の人みんなで助け合ってたんです。

そうこうしてたら小学生の子どもたちが帰ってくるのが見えて。

あたしはてっきり避難訓練のとおりに集団下校してくると思ってたので、そのうちうちの息子も来るかなって思いながらあれこれやってました。
そこへ家が潰れてるんじゃないかと心配した旦那が仕事先から帰ってきて。

「学校まで親が迎えに行かないと子どもを渡してくれないらしいよ」と言うのでびっくりしました。
「集団で帰ってくるんじゃないの?」と聞いたら、「違う違う、親が家にいないうちは帰らせてくれないんだって」と言って、息子を迎えにいってくれました。

うちの後ろのお宅には息子と同級生の3人兄弟がいたので、「できれば一緒に連れてきてあげて」と言ったのですが、学校からはやはり保護者が直接迎えに来ないと渡せないと言われたそうです。
「かわいそうだけど置いてきちゃった」って。

そこのうちはお母さんが保母さんをしているので、逆に預かっているお子さんをすべて親に引き渡すまでは帰ってこれなかったんですよね。

地震の日の思い出は、ご近所でいろいろと助け合った、そういう思い出。
お年寄りのお世話に一生懸命で、自分ちの子供のお迎えはすっかり忘れちゃったけど(笑)


うちの被害は屋根の鬼瓦が落ちただけ。あとは電子レンジの扉が開いちゃって、中のターンテーブルが割れてたくらい。
逆にまわりの新しいおうちの方が被害が大きかったのはほんとに意外でした。

でもやっぱりかなり古い家だったので、大きく揺さぶられてしまったから、住み続けるのはちょっと危ないね、引っ越しましょうということになったんです。



地震が発生してすぐに携帯がつながらなくなっちゃったんだけど、その前にいち早く連絡をくれたのがようちゃん。高校時代の仲良しで、結婚して神戸に行った子なの。

ようちゃんが嫁いだのは阪神・淡路大震災の何年かあとだけど、やっぱり神戸は今でも災害に対する意識が高くて、助け合いの精神がつよいんですって。
地震のニュースが流れた直後に一番に電話をくれて、「大丈夫だった?」って気にかけてくれました。


私の実家(水戸市)とは数日間連絡が取れなかったんですよね。
父親が軽い認知症で母親が面倒を見ていたので、どうしたかなって心配してたんだけど、その日は電話がつながらなくて。
次の日に公衆電話だけは使えると聞いたので、公衆電話を探しに行って実家にかけても出なくて。

実家の近くのいとこに電話をしたら、うちの両親はどこか避難所にいるという情報をもらって。
小学校も公民館もすぐ近くだから、どちらかに避難しているんだなと、とりあえず安心しました。



震災の当日は息子が少し風邪っぽかったので、学校から帰ってからは家族でずっと家にいました。
最初はクルマから電源をとってテレビを見たりもしてたんだけど、ガソリンがなくなったら困るからってすぐにやめて。

そのあとワンセグでテレビが見られるスマホを持ってた近所の人が、「今って海沿いはこんななんだよ。津波でこんなことになってるんだって」と、映像を見せてくれて。
そこで初めて「えっ!?」てなりました。

その夜は電気もつかないし早く寝たんだけど、一晩中バラバラバラバラとヘリの音がしてました。余震が来るたびに子どもが怖がるし、ヘリの音が大きいしで、ほとんど寝られなかった。

うちは茨城県北部の高萩市というところで福島県に近いので、たぶん自衛隊とか報道とか?とにかくヘリコプターの行き交う音がずっと聞こえていたのを覚えてます。




当時電気のないなかで石油ストーブがとても役に立ちましたね。すごく寒かったから暖房としてもありがたかったし、煮炊きもできるし。

でもよくよく考えたら、うちってプロパンガスだったの!
ガスが止まっちゃって「いやだ使えない!」と思って、カセットコンロを出してホットケーキとか焼いてたんだけど…  「ちょっと待って!うちプロパンじゃない?」って(笑)

知り合いのガスの配達をしてる人に聞いたら、地震で止まったプロパンガスは安全を確かめてから復帰ボタンを押せば自分で解除できるよと教えてもらって、普通にガスが使えるようになったの。
カセットコンロでちまちまと何枚もホットケーキ焼くことなかったじゃん!
プロパン最強!と思いました。


うちには井戸があったので水に関しては不便はなかったんです。
でも食料品店はやっぱりお店が空っぽになっちゃって、最後に残ってたのを並んで買った気がする。一人何点までとか制限があって。

普段から週末になると買物いかなきゃと思って、あの日もいつものように食料をたくさん買っておいた自分をえらいってほめました。

そういうわけで水も食料もガスも足りてたけど、いちばん苦労したのがクルマのガソリン。
だからガソリンが半分くらいになったら絶対満タンにしてる。
日頃の備えとして、それは今だに心がけてます。


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