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私が『刃牙』の板垣先生に『表紙』を描いてもらうまでの話

<前回記事:私が『史上最強の哲学入門』を書いてベストセラー作家になるまでの話

コンビニで哲学入門書を売る」という無謀な企画が立ち上がった。コンビニは回転が早い。売れなければ二週間で棚から消える運命だ。そうならないためには、通りすがりの人が二度見するような、インパクトのある表紙でなくてはならない。

そこで名前が挙がったのが、あの『刃牙』を描いている超有名漫画家、板垣恵介先生。しかも、その交渉を著者である私に任せようと言うのだ。
※前回の通り、編集者は交渉に失敗、それどころか怒らせてしまった。

……いや、無理だろう、普通に考えて。なにせ、私はブログを書籍化して2冊出しただけの、ほぼ無名の人間だ。一方、相手は『刃牙』の板垣先生。いやいや、格が違いすぎるだろ。

そんな私に、編集者は電話口でこう励ましてくれた。

「飲茶さんなら大丈夫ですよ! もしダメだったら、『浦安鉄筋家族』の先生に表紙をお願いして、刃牙風に描いてもらいましょう!」

いや、まったく懲りてないし、どんな励まし方だよと思いつつも、とにかく、私は板垣先生の仕事場があるマンションの前に立っていた。

最初に断っておくが、私は吃音障がい者である。それゆえ、フォーマルな場だと突然言葉がでなくなり、しかも咳や吐き気が止まらなくなる、というなかなか社会生活が厳しいタイプである。だから、今回の企画のプレゼンがうまくできるとは思えないのだが……。本当に大丈夫だろうか……。

■板垣先生の圧倒的存在感

「お待ちしてました」

エントランスまで迎えに来たのは、丸坊主でごつい体格のアシスタントさんだった。え、人違いじゃないか? 漫画家のアシスタントって、こんなに屈強なものだっけ? と頭が混乱する。
(柔道家? 腕が……いや、指が太い……!)
この時点で、もうかなり心がやられていた。

それから案内されたのは、仕事場ではなく、隣接する居住スペース。リビングに通されると、そこにいたのは……。

『刃牙』の漫画家、板垣恵介先生。

いや、もう、見た目の時点でヤバかった。まず筋肉質な身体を強調する黒いタンクトップに、金のネックレス。そして、指という指につけまくっているゴツゴツとした指輪。そんな風貌の人が、見たこともないような超巨大テレビの前で「格闘技の試合」を観ていた。

え……なにこれ……!? キャラ立ち過ぎ!

さっきまで気圧されていたアシスタントが急に縮んで見えるほどの圧倒的な存在感。本当にまるで刃牙の漫画から出てきたような人だった。

「いま、始まったばかりだから、終わるまで待っててくれッ!」

私は挨拶もそこそこに、言われるがままソファに座り、緊張で固まりながら先生と一緒に試合を観戦。もちろん内容なんて一切頭に入らない。ただとにかく吐き気が止まらなかった。本当に大丈夫だろうか……。

■緊張のプレゼンと板垣先生の質問

「じゃあ、話を聞こうかッ」

まず冒頭で言われたのが「仕事を受けるってことじゃない、話を聞くだけだッ」という一言。つまり、仕事を受けるかどうかは、そして私の作家人生が今後どうなるかは、この説明にかかっているということ。この瞬間、私のプレッシャーは頂点に達した。頭の中は真っ白になり、準備してきた言葉はどこかへ消えてしまった。

結果ですか……? はい、失敗しました。

緊張しすぎて、どもりまくり、要領を得ない説明。板垣先生の表情は「??」そのもので、空気が凍る。その沈黙がさらに緊張を増幅し、悪循環に陥った。

ちなみに、記憶に強く残っているのが、板垣先生の質問が常にシンプルで、それでいて鋭かったことだ。

「真理ってひとつなのかッ?」

私は、あわあわしながらも、ヘーゲルの弁証法について話した。弁証法とは、「対立する意見のぶつかり合いを通じて、より優れた真理に到達する」という考え方だ。ようするに、「唯一最強の真理を目指して、複数の真理が闘争を繰り返す」という世界観。これは板垣先生の好みだろうと思って持ち出した説明だったのだが……。

「その弁証法自体に弁証法は適用されないのかッ?」

予想外の方向からのパンチ。つまり、「もし弁証法が正しいとするなら、その弁証法と対立する反論(アンチテーゼ)も必ず現れて、弁証法自体を乗り越えた、より高次の弁証法が生まれるはずではないか?」というパラドックスみたいな話。いやいや、初見でそんなツッコミ、普通思いつかないだろ……。

「えーと、それはですね……あの……えええっと……」

もちろん、答えられるわけもない。完全に詰んだのだった。

■流れを変えた「顔」の話

(終わった……)

口から魂が出て、チーンと効果音が鳴ってるような、まるでアニメにありがちな感じで真っ白になっていると、ふと板垣先生が、持参していた哲学者のプロフィール資料に目を留め、ぼそりと呟いた。

いい貌(かお)してる……

それは、哲学者たちの顔写真付きリスト。板垣先生は食い入るようにそれを見つめていた。

人生のすべては、顔に出るんだよ……

あっ、と思った。そういえば、『刃牙』の登場人物たちは、みな一度見たら忘れられない顔をしているが、実は必ず現実のモデルがいるのだ。主人公の範馬刃牙も、花山薫も、渋川剛気も、それぞれ実在の人物の顔が元になっている。

もし私たち素人がキャラクターを創作しろと言われたら、たいていは肩書きや性格、もしくは過去エピソードなどで特徴をつけようとするだろう。が、よく考えたら漫画としては全然ダメ。だって、何ページにもわたって、そいつがどんなやつかをいちいち説明しないといけないからだ。でも、きっと漫画の理想とは、ただ出て来ただけで「どんな生き方」をしてきた人間なのか、それが読者に一瞬で伝わることなのだろう。

それこそ、一言の台詞も発さずに、だ。

それが分かってるからこそ、板垣先生は顔にこだわるのではないだろうか。そして、たしかに、歴史に名を残す哲学者たちは、みな生き様がにじみ出てるような、一癖も二癖もある濃い顔をしている!

漫画家の板垣先生に哲学者の凄さを伝えたければ、「言葉」ではなく「顔」を見せれば良かったのだ。
(写真付きの資料をたまたま持ってきて本当に良かった……)

そして、「顔」のモデルの話題から、私は刃牙のライバルである「ジャック・ハンマー」というキャラクターを思い出していた。私は、唐突に語り始めた。

「ジャック・ハンマーって、ドーピングで強さを得たキャラですが、あれは格闘技漫画の革命だと思うんです。もちろん今までの格闘技漫画にも、ドーピングキャラはいました。でも、たいていは『2回戦敗退』ぐらいの『卑怯者キャラ』として描かれますよね。たとえば、薬物のパワーで1回戦は圧倒的に勝つものの、2回戦で主役クラスにあっさりと負けてしまう、とか。そう描かれる理由は『薬で肉体を強化するのは安易な逃げであり、心の弱さそのものだ』という一般的な常識があるからです。

でも、現実のドーピングにはリスクがあります。

昔、『ダイナマイト・キッド』というレスラーがいましたが、彼はステロイドで筋肉を強化し、さらには身体を徹底に痛めつけるような戦いを行い、その結果、晩年は半身不随になり肉体がボロボロになってしまいました。もちろん、だからこそドーピングはいけないことです。絶対にやるべきじゃない。でも……『今日、強くなれるなら、明日はいらない』……そんな選択をしたダイナマイト・キッドが『卑怯者』だとも、『心が弱いやつ』だとも、どうしても思えないんです。ダイナマイト・キッドは強かった。誰よりも強さを追い求め、そして本当に誰よりも強かった。……ジャック・ハンマーの顔のモデルって、このダイナマイト・キッドですよね?」

板垣先生は静かにうなずき、こう言った。

「オレはよく取材でアスリートに『歴史に残る世界記録を出せるが、明日死ぬ、もしそうだったらドーピングするか?』って聞くんだが……、みんな最初はしません、って笑ってごまかすんだが、だいたい最後はこっそり耳打ちするように『絶対します』って答えるんだよ……。その時の彼らの顔が、今でも忘れられない……何か尊い、美しいものを見たような気がしたんだ……」

もう企画の話はどうでもよくなっていた。目の前に大好きな漫画家がいる。きっと二度と会えないだろう。だったら、その人と作品について語らなくてどうする。私は夢中で板垣先生に刃牙について語りまくった。

「今まで弱い、卑怯者とされてきたドーピングキャラを、先生は、実は最強なんじゃないか、という新しい気づきを与えてくれました。ここが今までの格闘技漫画と『刃牙』が全然違うところなんです。ほとんどの格闘技漫画は、いわゆるインフレ型です。たとえば、ものすごく強い敵が現れて、それを主人公が苦心の末に倒した──と思ったら、その最強の敵を一撃で倒す『伝説の拳法家』が現われて……といった感じで話しが続きます。でも、刃牙は違うんです! いま、やってる最凶死刑囚編。これは、試合場を飛び出し、武器でもなんでも使って良い、というルールの制限を外した時に、『強い』ってどういうことなのか、それを問いかける内容です。板垣先生は、ただ格闘技が強いキャラを描いているのではなく、『強さとは何か』を問いかけ、新しい『強さの概念』を常に生み出そうとしている。そういう漫画を描いています。つまり、だから──

だから、『刃牙』は哲学なんです!

身を乗り出して口走ったその一言に、板垣先生は立ち上がった。

「……よし、ちょっと来てくれッ」

連れて行かれたのは、板垣先生の仕事場。先生は机に座るなり、ペンを手に取り、何かを描き始めた。

「あの……それって……」
表紙だよッッッッ!!」
「え……!?」

なんと、突然その場で表紙を描いてくれたのだ! こんな嬉しいことがあるだろうか。憧れの漫画家が、自分のために目の前で絵を描いてくれている! しかも、「違うな……」「これじゃダメだ……」と言いながら、本気で試行錯誤しながら三枚も! 感動で涙が出そうだった。私は先生に何度も頭を下げた。

■衝撃の結末

帰り道の電車の中、感動の余韻に浸りながら窓の外をぼんやりと眺めていた。本当に、本当に夢のような時間だった……そして、心が震えた! これはもう、やるしかない! 2週間でこの世から消えようが一向に構わない! 絶対に最高の、いや最強の原稿を書いてやる!

それから私は寝る間も惜しんで執筆に励み、ついに原稿が完成する。
「やったぞ……自分でも信じられないぐらい良いものが書けた……、これならきっと先生も満足してくれる……」

しかし、編集者から衝撃の連絡がくる。

「すみませーーん、コンビニで哲学入門書を売る話なくなりましたー。あと、営業からすごい言われちゃって……。本にするなら、『バキ色を出すのは無し』で、冒頭の哲学者入場シーンも全面カット、本のタイトルも『今度こそわかる哲学入門』に変えてほしい!って言われました~」
「えええええええええええーーーー!!??」

ここから『史上最強の哲学入門』は、まったく予想外の、とんでもない方向に転がっていくのだった。

<本記事の続きはこちら↓>


※このnoteでは、哲学や科学など、人類が考えてきた「知」を面白く解説しています。初めての方は、以下の記事から読むのがおすすめです。

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